2-12

 風が吹いた。先輩の顔がみるみるぐっしゃぐしゃに歪んで、それを風に煽られた髪がさあっと覆い隠した。強風が僕の涙も攫ってく。無地の白いワンピースが足元でばたばたっと暴れた。雲ひとつ無い夜がこぼれ落ちてきそうな秋。無数の星たちの真下。月明かりに照らされて吹きすさぶ高層ビルの風。ぜんぶ持ってってくれよ。叫びたかった。なんにも要らないから。


 クソ喰らえの神様。


 あんたにとっては、なんでもないことだろ?


 慟哭した先輩が、膝から崩れ落ちる。狭いベランダに僕もしゃがみこんで先輩を掻きいだく。きつくきつく抱きしめ返された。戸惑いながらも必死に先輩の背中をさすった。子どもみたいに泣きじゃくる彼は僕の肩に顔をうずめて震えてる。びゅううっ。寒くて、寒くて、寒くて、二人で抱きしめあう。


「――――――死にたくないよ……!」


 まだちゃんとあたたかい先輩は僕の耳元で叫んだ。


「生きたい! 死にたくない! 装置で嘘の見ためをして、情報保護契約のために性格も話しかたも演じて、親しい人には帰国を知らせることもできず、こんなふうに隠したままみんなと別れたくない! ロットーさんと、別れたくない! 教官とか、ラクロワ先生とか、機構の危なっかしいみんなのことも、ヴィーノくんやゴウくんやムーウちゃん、マスターやシャノンちゃん、ヤズーちゃん、トーガくん、今まで知りあったたくさんの人のことを、もっと知りたい! 生きていたい! 死にたく、ない! ぼくがみんなを肯定したい! せめてみんなに挨拶をしたい! ありがとうって伝えたい! 帰国したよ、お世話になりましたって、それだけでも言いたい! どろどろに醜くても、そうやってあと何日かだけでもいい、生きて、いたいよ……!」


 なんだよそれ。それじゃあまるで。


 ぎゅっと胸が締めつけられて息が苦しい。


 クラクラする。


 濃密な。


 死の気配。


「ばっかじゃん、先輩、魔術師が本気で守ってあげるって言ってるんだよ」


「――それでも! ぼくは! 世界情勢的に! 死ななければならない!」


「記名式魔法を使わせてもらえるなら、必ず一般人より僕が勝つ。守ってみせる」


「ロットーさん……私情を挟んではいけないんだ、言っただろう……これは仕事だ! 歴史にとって正しいかどうかを基準にしないといけない! そんなこと最初から知っていてぼくが自分で決めて引き受けた任務なんだよ……!」


 なにそれ。


「っぐ……ひっく……先輩の馬鹿、じゃあ僕が機構の誰にもバレないとこに逃がしてあげる。守ってあげる。仕事なんか逃げちゃえばいい、なんでもするから……」


 震える背中を一生懸命に抱きとめる。こんなにたしかな温度と質感が此処にあるのにどうして今にも消えてしまいそうなんだろう。僕の細い両腕ではかかえきれない。魔法を使わせてくれたら助けられるのに、生きたいと泣き続ける先輩を僕は、救えないのだ。


 泣いて、泣いて、泣いて、二人で馬鹿みたいにひたすら泣き続けた。

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