2-18

 そしてその質問は僕が泣きやむ頃には猛烈に理屈っぽくて要領を得ない説教と化していた。


 趣旨はこうだ。指示に従え。逃げろと言われたら逃げろ。敵にすんなり身を差しだすな。替えのきかない魔術師である自覚を持て。拷問、支配、殺害などなにをされてもおかしくなかった。


 ゼクーくんは自白剤らしきものを存分に打たれたそうで会話してるあいだもみるみる発言が支離滅裂になっていった。普段明晰な物言いをする人物が真顔でカオスになってて笑える。むしろ泣けてくる。


「……だがな、ロットー。自白剤とは言っても、フィクションに出てくるような『真実だけを語る薬』など、この世には存在しない。せいぜい朦朧とさせ自己抑制を鈍らせる薬品だろうな…………具体的な成分は知らんが。医学は嫌いだ。非常に嫌悪しているゆえ、意図的に学習を避けている……まあ、この状態の私が話したことは、寝言だ。勘違いや思いこみが多分に含まれる……話半分に聞いておけ」


 その寝言によって状況もだんだん分かってきた。反魔法主義団体はゼクーくんが持ってる検閲課の情報を十年間分(できればもっと前のも)ほしがってるらしい。ワカメ先輩が王守になったのは九年前だからだ。ワカメ先輩は正体がバレたあと王宮記憶技術者の尋問を受け、ゼクーくん含め数人、当時から本件に関わってる検閲課職員の情報が漏れたのだそうだ。


 反魔団体は表向きには魔法に反対してデモやらテロやらで騒ぎ、あやしげな宗教を運営し、違法の魔法実験をして時々ニュースになるのみだけど、裏ではいろんな政治家や王宮など権力者と深く繋がってる。


 今回はワカメ先輩のいた国(何処だかは言ってくれてないけど)に依頼されて反魔団体が機構を探ってる流れで、反魔団体のだいぶ下請けの追跡特化型犯罪者グループにゼクーくんの尾行が外注された。尾行だけ専門家に外注するとかあるんだね。どうりで〈瞬間移動〉で振りきれなかったわけだ。


 追跡グループはうっかり魔術師も一緒にとらえてしまい、扱いに困った。とりあえず魔術師を隔離室へ閉じこめてゼクーくんに対する人質とした。反魔団体は連絡を受けて大喜び。受け渡し方法を再考することになった。


 ところがここで問題が起きる。魔術師を閉じこめておくには隔離室がもっとも適してるけど、隔離室って魔法分子をゼロにする特殊なもので、そうどこにでもある施設じゃない。追跡グループは反魔団体に断りを入れる時間もなく独断でほかの組織に協力を緊急要請するしかなかった。挙句に隔離室を持つ組織と魔術師の取りあいになってバタバタしだした。


「ざっとそんなところだ……多少推測で補っているもののおそらくほぼ間違いないだろう……」


 ゼクーくんがドアに背をぐたーっと預けて締めくくり、僕はぽかんとしつつ「おもいっきりふにゃふにゃ馬鹿なのによくそこまで把握できるね?」と舌を巻いた。そしたら何回目か分からないトンチンカンな説教が再び幕を開けた。


 高熱をだして蒼白になってるゼクーくんに毛布を進呈する。低い位置にぶらさげられた電球が弱すぎるせいで隔離室は結構暗くて、なのに彼の顔色のやばさは一目瞭然だった。超絶元気な僕でも寒い部屋だ。薄っぺらい毛布も無いよりはいい。ゼクーくんは最初頑として受け取らなかったけど、僕が適当に屁理屈並べて言い負かしたら、やっと受け取ってくれた。


 くどくどと説教をしつつ。


 ……う。ねえやめてそれ、ほんとうもう理解したよ。うんうん、ごめんってば。遮りたくて投げやりにほかの話題を振ってみる。


「ところでちょっと疑問があるんだ。ゼクーくんってわりと心配性キャラなの? 心配したーってそればっかり言うね。なんかもっとこう割りきってるイメージだったよ」


 せっかくのチャンスだもん。この人がここまでポンコツになる場面は今後二度と訪れないだろうしね。考えてもみてよ、あのゼクーくんが「怪我をしたらどうする」だの「暴力をふるわれるかもしれなかった」だの説教してくるんだよ。長々と。申し訳ないのを通り越してちょっと楽しくなってきた。


「もしかして君めちゃくちゃ僕のこと心配してた?」


 弾んだ声で僕が尋ねたのを、でも、ゼクーくんは間髪入れず返答した。


「心配に決まっている」


 おいおい。


「えー? 君さぁ、だって僕が自殺しようとしたとき、うーん、一ヶ月前くらいだったかな、手帳をくれた夜に、死にたいなら好きにしろ的なことおっしゃいませんでした?」


 ニヤけるーう。面白すぎるでしょこれ。監禁されてる緊迫したシーンで出す声じゃないな。自分でも呆れるほど陽気だなっておもっちゃった。


「……あー、あれか……賭けにでただけだ。……手帳を渡したあとにもし貴方が自殺を選んでいたら、魔法を破壊してぶん殴って気絶させる予定だった。しばらく…………ん、徹夜でドアの前に待機していた」


 まじかよ。僕はますますニヤニヤした。


「……自殺企図への基本対応は、否定せず傾聴すること、だが……私は傾聴に向かない。一、口下手である。二、自分が希死念慮にのまれる。私には的確なサポートができかねる。サポートか……はっ、笑えるな。――私は、自殺を否定するつもりはない。生きろと言うのはたやすいが、代わりに生きてやることはできないからだ」


 さっきまでのわけが分からない話しかたとは違ってだいぶ明瞭な口振りだなあと不意に気がついた。


「……生き地獄としか表現のしようがない環境は実在する。他者に共有することは不可能ゆえ、経験者にしか知られていないが。痛みも、義務感も、閉塞感も、自己嫌悪と殺意も、無価値感も、無への安堵も、終わらない償いも、そして、あののみこまれるような抗いがたい衝動も。誰にも共有はできない。ので、……生きることが正しいとかいう価値観は、無知からくる綺麗事だと私はおもう。それらを踏まえたうえで、貴方があの夜に自殺するのはまだ……早いと、おもった」


 もはやまったく笑えなくなっていた。


 大量の自白剤で思考力がアホほど落ちてても、この人はこの手の話題になら理路整然と答えることができる。


 戦慄した。


 なんてことだ。


 思考力なんか今さら必要がないくらいに、常に、ゼクーくんはこういうことにとらわれて生きてきたんだ。


「私は……んん……私は、生き地獄の苦痛の実在について、知っている。無知な社会が自殺を悪とするなら……機構が貴方を責めるのなら……世界中が敵になろうとも、私だけは、貴方の選択を肯定する。しかしあの日の貴方はまだ地下室から出たばかりだった。私の勝手なエゴにすぎんが、外を少し試してみてからでも、遅くはないはずだと感じた……試しもしないのは……選択肢を、選択肢の意味も分からず……選択…………」


 僕は後悔していた。これは部下を守るために敵に服従してくれてる顧問に喋らせることじゃなかった。言いたくなくてあんな態度をとり続けてるのだろうに、自分は彼にものすごく非道なことをしてる気がした。


「……ロットー、どうせ百年程度で死んでしまうくせに、急ぐ必要があるか? どうせ、どうせ、……どうせみんな死んでいくだろう」


「それほどまでに仲間が大事なのに、人命を救う医学のこと嫌悪してるって言ったの……?」


 訊いちゃ駄目っておもうのに。


 よくないことだ。


 なのに。


 ごめん。


 ゼクーくん――。


「そんなものを駆使してもどうせ全員に私は置いていかれる。医学などなんの役に立つ? なにもだ――なにもだ!」


 機構観測年齢五百六十四歳の彼に、返す言葉が見つからない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る