2-09
「失礼。盛りあがっているところ悪いが」
今まさに超、超、超重要な自己紹介が始まるってときに限って突如会話に関心を持ったらしい顧問が本から顔をあげてワカメ先輩の温厚な声を遮った。
えーっと。身も蓋もない言いかたをすると、クソみたいなタイミングだよ。分かってんのかな。永久に馬鹿高い紙版本にがっついて口閉ざしてくれててもいっこうに構わないんだけど。
「少々時間をいただく。いいな? 二点ある。一、たとえ本件が貴方がたの最優先任務であると言えども長話をおっぱじめる気でいるならば関係者各位へ予定変更の旨を一報入れろ。特に医師と喫煙者の二名はほかにも業務があるはずだ。二、医師に新米を診療していただきたい。以上だ」
いいな? と訊いておいてメンバーがいいともよくないとも答えないうちに一方的に少々時間をいただいた顧問は、もう用は無いとばかりに手元の本へ視線を戻した。
すごい勢いで掛け時計を振り返りあわわわと狼狽しだした愛煙家さんの隣で、医師さんがワカメ先輩のカルテをゆっくり閉じ、眼鏡を押しあげ、白衣の襟元を正して、人好きのする柔和な物腰で返す。
「ご多忙のなか大変恐れ入ります。グレイエスに二点おうかがいいたします。一点目、申し訳ございません、よく聞き取れませんでした。お手数ですが再度お願いいたします。一報を入れなさいと言われた気がしたのですが、まさか万年音信不通帝王の口からそのような命令が出ようはずもなく、俺はなにか聞き間違いをしてしまったようです」
いいぞ。
もっと言ってやれ。
「二点目、ロットーさんの体調についてご教示いただけませんでしょうか。このかたはご自身を軽視する傾向があり、問診をしようとするとユーモアに全振りした壮大なフィクションしか話してくださいませんので――」
「――あのっ、ちょっと、ええと、……わたしちょっと電話してきますうううっ」
愛煙家さんが真っ青になって半ベソかきながら悲鳴みたいな報告を残しバタバタ走り去っていった。会議が……とか、十時まわってる……とか、さっきからパニックで呟いてたもんな。可哀想だった。って予定狂わせた犯人僕じゃん。ごめんね……。そんでその後ろ姿を目で追って鼻を鳴らした顧問はゲス野郎だった。
あ。
ゲスと目があった。
「ふむ」
じっくりと観察された。
「呆れるほど元気そうではあるが、魔力を暴走させたあとだ。昨夜言ったろう。診てもらえ」
「……どう考えても今のタイミングじゃないよ」
「ああ」
首肯された。
「以後はラジオ体操の前にしろ」
そっちかよ。
「不服か?」
時折この人は分かりきったことをわざと言語化して確かめることがある。切羽詰まってる人間たちを遙か上から見おろして楽しんでるかのようだと僕は感じる。
「ゼクーくん。空気読めないにもほどがあるとおもわない? ……おもってなさそうだね。いいやもう。僕が言ったのはね、どうでもいい診察なんか、あとまわしにして、とっとと、話を、進めようぜ、ってことだよ」
怒鳴り散らしてやりたい衝動を抑える。声量は変えず、単語を強調することにより事の重大さを伝える。試みる。何故ならこの手の人には怒ってみせても効果がないから。
「返答はこうだ」
君には。
慣れきった、数ある別れのうちのひとつなんだろうね。
「提案には同意しかねる。貴方は誤っている。体調は優先されてしかるべきであり、固有の性格や経験を鑑みるに、貴方の場合は過剰ともおもえるほど自身のからだを丁重に扱わなければならない。ただちに改めろ」
あ?
――途端「お前が言うな」的発言が二人分重なっていっきに病室が騒々しくなった。医師さんは分かる、慇懃無礼医師さんだもん、顧問へ毒舌を吐くことに余念がない。でもワカメ先輩の言いようもやばくて度肝を抜かれた。先輩……? 「虚弱体質の自殺常習犯」やら「人格破綻者」などなど言いたい放題だ。うっわぁ。
なんかカリカリ怒ってるのも馬鹿らしくなってきたな。
医師さんが急ぎ足でパイプ椅子を抱えてやってきた。
「ロットーさん、治療をさせていただいてもよろしいですか」
「……………………う、ん」
僕の手を取って優雅にさりげない誘導をして座らせ、いつもはぴんと伸ばしてる腰を屈めて診察し始める。この人、黙ってりゃ所作のひとつひとつが紳士的でイケメン好青年なのに惜しいよね。
「ロットーさんの脳には酸素がいっていないのですか? 思考能力が著しく低下していらっしゃるようです。よろしいですか。暴走したらすぐに申告してください。何度目か分かりませんが本日も言わせていただきましょう。すぐに、申告を、してください。あなたの脅威的な愚かさは今後魔術師の肩書きとともに世界の歴史に刻まれていくでしょうね。こころから敬服いたします」
ひとたび喋るとこれだ。黙ってればいろいろ得するとおもうよ、君。と、うつむいてたワカメ先輩が肩を震わせ始めた。空気が清潔すぎる十時過ぎの明るい病室。なにもかも整頓され、あるべき物があるべき場所にあるべき姿で在り、過剰も不足も無い完成された空間。だからこそかえってその裏側の陰の存在が強められてしまって色濃く死の気配が漂う病棟の一室。
ワカメ先輩は、笑っていた。
というか。
「――ははっ、あははははははははははははは……!」
泣いていた。
おなかを抱えて大爆笑しながら大粒の涙を人目も気にせずたくさん落としていた。ひとしきり笑うだけ笑って先輩は涙をぬぐって僕に微笑んだ。
「……ロットーさんはきっともう大丈夫ですね。支えてくれる仲間がいます。数分見ていただけでもよく分かる。安心しました。此処のみんなはロットーさんが考えているより強固に、真剣に、しつこく、ちからになってくれます。うまれてきてくれてありがとう。もう大丈夫ですからね。魔術師としてこれから派手な人生を歩んでいくのだろうけれども、一人の女の子として、幸せになってね」
な。
なに、なんなの、ねえ、……先、輩?
「ラクロワ先生は今でも毎晩あの拷問じみた『勉強』をしているのでしょうか。優秀でなくていい、無理にからだを痛めつけるな、何度も言いましたが最近はどうですか。例の家庭の問題は踏んぎりついたのかな。自身を罰するばかりの悪ガキで心配していたけれども、やりたいことはちゃんと見つけられたようだ。ふふっ。付け焼き刃の敬語は似あっていないけれどね。よく頑張っている。頑張りすぎるなよ、ガキ。お疲れ様」
医師さんはその場から動かなかった。静かに舌打ちだけをした。
淡々と顧問が制した。
「……三番、御託はいい。寝ろ」
「『三番』。いつまでぼくを学籍番号の下二桁で呼ぶつもりですか。番号が前のほうだったので実質一桁ですが。アス、って名前で呼んでほしいといくら言っても最後まで応えてくれませんでしたね。クォルフォア教官。死にたいと願っているうちは不死のままですよ。望むのをやめれば〈呪い〉は自然に解けます。それが〈呪い〉の特性です。ほどほどに諦めてくださいね」
ワカメ先輩のからだからちからが抜けた。ベッドに軽い音を立てて倒れ、夜中までまったく目を覚まさなかった。
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