2-07

       ◆


 次の日の六時半、起床。生まれて初めての寝不足だ。社会人らしくなってきた感があるね。半眼でぼけーっと顔を洗い髪を整え制服に着替える。欠伸を噛み殺して監視役の部屋をノックし、


「おはふわぁあ」


「……異星語か? おはよう」


「おふわ……わっ、わっ」


「…………」


「おふ……あ……ふわ……っ……ぅあ」


「……無理するな」


「おはよわわあ」


 他者から返事もらえる権利を今日も有してるらしいぞって確認の日課を済ませて七時、――ってこの人なにやってんの!? どちゃくそやばい気つけ薬の注射器をいつのまにか握ってる監視役から全速力で逃亡、階段をのぼったりおりたりして渡り廊下をひかりの速さで駆け抜け、息をきらして少年のいる病室へ飛びこむ。


 機構からすると僕は情報漏洩をしかねない危険人物だ。装置制御システムもだし魔術師の隠蔽、検閲課の存在や業務内容、挙げればキリがない。は?って感じだけど。だって、世間にバレれたら困るような不都合を一方的に次々と招く機構が悪いんじゃん。


 まあとにかく魔術師は本来一一一・七階に軟禁されるルールになってた。でも病棟は例外だ。職場に慣れるため(という名目の友だち作りのため)監視つきで許可する、と偉い人の誰かが言ったらしくて、今まで医師さんにくっついてうろうろできたのはそのおかげだった。ほへえ。


 上記の理由で食堂に出入りできない僕は、最初のうちは運ばれてくるご飯を独りきりで食べてた。医師さんと戦闘職員さんは僕と違う時間帯に食堂もしくは任務先のどっちかで済ませるし、顧問はそもそも食事を取らない。独りでつまんないいいいい、ある日ワカメ先輩に泣きついたら、先輩の交渉で病棟であればいいよってことになったのだった。


 やっぱりさ。人と一緒だと美味しいよね。


 今朝は少年と約束してて、病室にお邪魔した。四歳で自殺未遂の末に寝こんでる妹ちゃんの、兄。六歳の少年は何故か妹ちゃんとともに病棟で軟禁され続けていた。


 さすがの少年も日に日に元気がなくなってくので僕は心配になって栄養いっぱいのピーマンを押しつけることにした。そしたらほうれん草を押しつけられた。意味が分からなかった。野菜を手づかみで投げあって頭からつま先までぐちゃぐちゃになり、医師さんにこっぴどく説教された。あまりにも理不尽だ。


「あのね、医師さん、僕がおもうに――」


「ロットーさん、そちらにお座りいただいてもよろしいでしょうか」


 二十分が経過した。


 僕は猛省した。


 農家の皆様ごめんなさい。もうしません。


 八時半、始業。キレ気味の医師さんと日課のラジオ体操をする。医師さんはのびのびとからだを動かしつつ敬語でめっちゃ嫌味を言ってくる。でもさ、ここだけの話、どう考えてもピーマンって人間の食べものじゃないよ。でしょ? 味的に絶対なにかしらの毒性が……ごめんってば。ところで「ラジオ」とはどういう意味だろ。体操のときに流す単調なピアノ曲の題名かな。まあ、なんでもいっか。医師さんの荷物をさりげなく持ってあげてご機嫌を取りながらワカメ先輩のとこに到着する。さっそく日課の自己紹介だ。


 九時すぎだった。窓は無いけど、朝だって分かるように明るい照明がつけられてた。一歩廊下から室内に踏みいると空気が変わる。病室というものは静謐で清潔な種類の酸素しか存在しない感じがする。いくつもぶらさがる点滴と肌が見えないほどの包帯に包まれて、ワカメ先輩はゆったりと上半身を起こした。ふわっと微笑んで僕を見る。光源の方向によって黒にも深緑にも感じられるくしゃっとした髪、線のように細い垂れ目、微笑んでできる、えくぼ。


 何度忘れられようと、ワカメ先輩の優しいえくぼが大好きだ。


 忘れられてしまうってことが大好きじゃなくなる理由にはならない。


 死んじゃうとしてもだよ。


「おはようございます。初めまして。僕は人間初心者です。先月入局しました。ご迷惑をお掛けすることもあるかとおもいますが、早く勉強して業務を任さるようになりたいとおもってます。よろしくお願いします」


 近頃は魔力のコントロールが上手になってきてるため自分から魔術師だと明かさないと相手に悟られなくて、なのでつけ加える。


「ついでに魔術師です。あっ、忘れてた、僕の名字は――」


「ロットーさんおはよう。今日もきちんと挨拶ができてほんとうに優秀な新人さんだね。朝から感激してしまいました。昨夜ずいぶん遅かったけれど大丈夫? 危険な任務が始まるというのに物怖じせずやる気に満ちている素晴らしい人材が後輩だなんてぼくは鼻が高いよ。生まれてきてくれてありがとう。もししんどいことがあったらちゃんと言うんですよ? ああ、ロットーさんは国の宝で機構の要で世界の――」


「えあ?」


 あれっ。


 ちょうどそのとき戦闘職員さんがドアの隙間から控えめに茶髪のミディアムヘアを覗かせた。自信なさげにおどおどとなにか呟くので全員がいちように口を閉じて耳をすませた。じゃないと聞こえない。


「……う……えっと、あの、総裁から、で、……」


 頑張れ。頑張れ。


「で、……お電話です……事務室の内線で受けて、お待ちいただいています……グレイエス顧問宛です…………」


 なんとか絞りだした戦闘職員さんだった。応援しつつおもわず自分も緊張しちゃった。胸を撫でおろす。と、


「不在だ」


 にべもなかった。


 全員がじとっと件の人物の退屈げに本をめくる様子を見つめる。静まり返ってた。というかおそらくみんな絶句してた。ちなみに総裁というのは機構のトップで、王族や政治家などと肩を並べて国営チャンネルに頻繁に登場する要人であり、機構の職員ならば誰もが慌てふためいて電話に飛びついてへこへこ頭さげまくって泡を吹く。いや、それ以前に普通は総裁から一般職員へ内線がかかってくることがまず無い。


 はずだ。


 たぶんそのはずだ。


 もうかれこれ僕の知ってる限り三十七回目だけど。


「あぅ……」


 戦闘職員さんがひるんだ。


「……ええと、ですね、総裁が、えっと、大変お怒りのご様子で……事務室で電話を取ったクリウちゃんが、とても怒鳴られていて……あのっ……何日の何時何分ならいらっしゃるのか、と…………」


「不在だ。常に」


「……差し出がましいようですが、その……八つ当たりされているクリウちゃんが、可哀想です……」


「同感だ。のちほど電話係に直接謝罪する」


 諦念の滲む表情で戦闘職員さんは事務室へ架電し「クリウちゃん」とやらに涙声で謝り倒した。


 みんながいっせいにわーわーいろんなことを騒ぎだして(主に顧問への罵詈雑言だった)、僕は見渡して、うん、ひとつ頷いた。メンバーが揃った。あんまり揃うタイミングがないから切りだすのいつにしようか迷ってたんだけど、今でいいや。「はいちゅうもーく」ひときわおおきく呼びかけて両手をあげた。


「全員いるから保護対象の詳細とか医師さんが飲み会でもらってきた情報とか教えてほしいな。共有? してくれるんだったよね。みんないつなら打ち合わせの時間取れそう?」


 ぽかん、とした顔が並んでる。


 沈黙のなかでワカメ先輩が感極まった声で「……なんというやる気! ロットーさんは今時珍しいほどいい子で健気で存在そのものが尊い……さらに上司や同僚たちのスケジュールに気を遣うこともできる! まだ教えていないのに頭がよすぎてこわいくらいだ……!」うんぬんかんぬん長々と褒め称えたあと冗談めかした口調で続ける。


「やる気がいっぱいあるのにあれなのだけれども、打ち合わせは〈通過儀礼〉が終わったらにしましょうね。来週かな。そしたら機構内を自由に使えるようになって、食堂も行けるよ。なんでも食べたいものをぼくがご馳走しよう。内緒ですよ」


「ほんと!? えっ、やった、ありがとうワカメ先輩……! 本気で楽しみにしちゃうから早くベッドを出られるくらい元気になってね。約束。分かった? 約束のついでに打ち合わせ日時も決めようぜ」


「うんうん、〈通過儀礼〉が終わったら日にちを決め」


「終わってるよ。任務は早いほうがいいだろうし、今日空いてる時間ある? 明日は? みんなのスケジュールを教えて」


 通称〈通過儀礼〉、機構において一定以上の役職および秘匿部に義務づけられる記名式装置。職員が情報漏洩をした場合もしくはそれを計画した場合に実刑として記憶が削除される。


 慎重なことだね。


 困惑顔を順番に見まわした。


「だからさ。〈通過儀礼〉は書いたよ。自分で。昨日の夜。んなことより僕は検閲官として情報を共有してもらいたいな。前に医師さんが怒ったから〈検索〉を我慢してるけど、知りたいことはいろいろとあるわけだよ。たとえばワカメ先輩の正体とかね」


 布団の上に投げだされてた先輩の手を握る。


「僕は先輩のえくぼが好きだ。笑うと線になる細い目が好きだ。優しくて、世話焼きで、必死に僕を救おうとして、自己肯定感とかなんかいろんなの育もうと一生懸命に言葉を尽くしてくれる先輩が好きだ。その言動を僕に対して行わずにはいられず、毎回、何回でも、不自然な褒めかたであっても決行するような、そういう人間性も、そこにいたる過去も、ぜんぶまるごと大好きだよ」


 感情をこめず淡々と僕は話す。


「〈記名無効〉。出生時に親が子にかける最初の陣。記名式魔法を人生で五回だけ選んで無効にできる優先魔法だ。先輩の使用済み回数は現在五回だね。昨日までは四回だった。だから諦めて〈記憶補助〉を無理やり使い始め、今日は僕について覚えてた。こんな左手で魔法を使うなんて馬鹿もいいとこなのにさ。代償をどれだけ払ったんだろうね。質問、いいかな」


 右手で握手をするみたいにワカメ先輩の手を握る。無事なほうの手を。左は手首から先が原型をとどめてないので。


「先輩には年季の入った剣だこがある。ゼクーくんの手とおんなじで分かったよ。君、ただのおっとりした優しい先輩じゃないよね。戦闘職員だ。身のこなしからして愛煙家さんよりぜんぜん強いな。〈変化へんげ〉装置で姿形を変えて、魔法を隠す〈カバー〉装置も使用して、病室にネームプレートもつけず、誰も徹底して名前を呼ばない。彼、いや彼女かもしれないけど、僕に見えてる先輩の人物像はすべて作りもので、隠しごとがいっぱいあって、にもかかわらず突き動かされるなにかのために、僕を必死に肯定し続けてくれる。僕に見透かされるような、僕に疑問を持たれるような、優しさを止められないでいる。――見ず知らずの王女様なんか今の僕にとってはどうでもいい。僕も仲間に入れてくれる?」


 左手でシャツの内側にしまいこんであった記名済みのドッグタグを引っぱりだし、高々と掲げる。

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