2-04

       ◆


 自室に帰ってすぐいつもどおりシャワーを浴びていつもどおりに無地の部屋着を身につけていつもとは違う無記名のドッグタグを首にかけいつもよりずっと遅い時間帯ではあるもののいつもどおりにずかずかと監視役の部屋へ入った。もはや僕専用と化してる革張りのソファーに勝手にダイブしていつもどおりつけっぱなしの空中ディスプレイの国営放送を見るともなしに見た。


 画面には気品あふれる艶やかなブロンドの女性が映ってる。ミレイニア陛下の半生に関するドキュメンタリー番組だった。僕はいつもどおり適当に数分聞き流してから「ねえねえゼクーくん、今日の僕はノックを何回したでしょーか?」と絡んでやろうとおもったけど、いつもノックに気づかないほど集中して本を読んでるかもしくは日記を書いてる彼が今夜は珍しく、国営放送に目を向けていた。


 おそろしく生活感に乏しい部屋だ。私物がほとんど見あたらない。家具も。寝具すらもだった。簡素な机と椅子、無造作に背もたれへ引っかけられたジャケットと、暗号みたいな悪筆が並ぶ手帳、数冊の紙版本、机にぽつんと置かれたストームグラス、それがこの空間の生活感のすべてだった。


 っていうかベッドも布団も無くてどうやって寝てるんだろ。いや、そもそもこの人が眠ってるとこなんか見たことないけど。以前「君ってさ、何処でいつ寝てんの?」質問をしてみたところ、「自席で。業務時間中に。だが?」それがなんだと言わんばかりにはぐらかされた。


 ゼクーくんは話し始めるとわりとよくしゃべるタイプだ。先生の授業っぽい。さすが観測年齢五百六十四歳だよね。でも自分自身についてはめったに語らない。どんなことが起きても表情を変えないし声色も常に一本調子で、時折僕や医師さんをからかって暇つぶしすることもあるが、結局僕たちがどんな反応をしてみせてもゼクーくんに変化は見られない。なにを感じて考えてるのか分からない。


 ちなみに、この能面を仰天させてやるぞと意気込んで仕掛けた多種多様なイタズラは今のところ全滅してる。ちぇっ。文句すらも言ってこないで淡々と片づけて終わり。生活に支障がなければ無反応で放置だ。


 監視役として四六時中僕の隣にいながら、彼は彼自身をいないことにしてしまう。関係性の希薄化。〈呪い〉の強大な魔力によって人々から忘れられるままに、どこか身を引いて、空気みたいに黙りこくって、そのあいだひとりぼっちで退屈しないよう紙版本を持ち歩いて、僕が珈琲ミルク味を投げてなかったらあのときだって、ゼクーくんは存在してないフリをしただろう。甘いもの大好きなくせに。紅茶にスティックシュガーを最低十本入れるもん。キャンディー一個くらい一緒に食べたらいいのに。


 話しかけても、誰も返事をしてくれなかった、地下室の十五年間をおもう。


『グレイエス・ゼクンはいるかァ!? 魔術師もだ!』


 ――あのさ、なんか珍妙なのが呼んでるよ。


 ――不在だ。


 ――はい?


 ――私は不在だ。


 要するにだ。


 僕は。


 怒っていた。


 なにが「あらかじめ頼んであったこと」だよ。一ヶ月ものあいだ医師さんを巻きこんでとんでもなく遠まわしに僕に友だちを作らせようとして、自分は隣で知らんぷりかよ。こっちが話しかけなきゃいつまでも独りで読書してるもんね。だってさあ、君が命令したんだよ。覚えてる? 隔離室で、戦闘職員さんに装置をつけられそうになって、魔術師の人格なんか要らないって言われて、消えろって、言われて、だから消えようとした僕に、九月十二日、初対面の君はいきなり「息を吸え」と命じた。そっちからなんだよ。僕の人生に首を突っこんだのは君のほうだよ。


 だったら潔く「書くからドッグタグを寄越せ」くらい言ってみせてよ。

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