2-02

       ◆


「よぅし、いいね。その感じです。次はロットーさんが取る人で、ぼくはかける人でいこう。間違えていいんだからリラックスしましょうね」


 なんでも許してくれそうな温厚な声でワカメ先輩が言ってくるので、気恥ずかしさと緊張で変な顔をしながら頷き、そのとき――プルルルル! 白い固定電話がけたたましく鳴って僕は飛びあがった。ワカメ先輩が「よっし、いい機会だ、出ちゃおう!」明るく無茶振りした。


「――お、お疲れ様です、えっと」


 あわわわ。受話器の向こうは沈黙してる。うー、えっと。


「練習どおりに。部名、名字だよ」


 隣でワカメ先輩が優しく囁いた。


 電話を取ったほうが先に名乗る。頭真っ白になってた。おっけー。


「お疲れ様、です、秘匿部ロットーです」


『おう、お疲れっす。北支局魔法鑑識課のゴウです。聞かねえ声だな? 新人? まあいいや。ラクロワ先生います?』


「はい、代わりますので少々お待ちください」


 なんで機構内の標準的な連絡手段があたりまえみたいに内線電話なの、とか、今ってばりばりの絶賛第二次魔法期ただなかだよね、とか、しかも此処は国際機関「魔法管理機構」だよね、とか、なのにこの固定電話はコンセントに繋がってて、電気を流さないと使えなくて、いや、まあ百歩譲って電動式機械でもいいよ、魔法使わないなんて不便の極みだけどまあいい、だとしてもだよ、無線タイプの端末やらコンパクトな機種やらいくらでもあるよね、この、重たそうな本体に何本もケーブルが伸びててまさに物理的な固定電話ですってやつ、一五〇〇年以上昔の人間が機械技術よちよち歩きだった頃に得意げに使ってたものだよ。


 化石じゃん。


 勉強したい僕がご多忙中の医師さんを質問攻めにして、それを見かねたワカメ先輩が「気楽な新人研修でもやってみる? おやつでも食べながら」とクッキー差しだして、一発目に内線電話での挨拶のロールプレイングだよ。教えてもらってるくせに大変恐縮だけど、僕アウストラロピテクスじゃん。


 ……とかなんとかいろいろおもうところもありつつ保留ボタンを押した。指名を受けた医師さんは一人で病室の奥の棚を睨んでなにやら虚空に向かってぶつぶつと呟いてる。


「医師さーん、北鑑識課のゴウさんから電話だよ!」


 白衣がものすごい勢いで振り返った。非常に丁寧で人好きのする微笑を浮かべながら大股で歩いてきて受話器を引っつかんだ。


「お電話代わりましたラクロワです暇支局アホ課シルバーアクセサリーさんこのくそ忙しいときにいかがいたしました? 急ぎのご要件でなければ後日――三年後あたりに折り返しでもよろしいでしょうか? ……なるほど今夜の大事な話ですか。いいでしょう。続けてください」


 僕はワカメ先輩と顔を見あわせた。


「ねえ先輩、シルバーアクセサリーって?」


「うーん、たぶんニックネームかな? 変な呼びかたをしあうくらい仲がいいんですよ。ロットーさんは北支局の彼と仕事で関わることはありませんが、電話がよくかかってくるからそのうち声だけでゴウさんだと判るようになります。にしても……」


 いったん言葉を区切った先輩が、ぱあっと嬉しそうにした。


「電話対応とてもよかった! 初めてなのにしっかり話せていました。先生への取り次ぎもばっちりです。取り次ぎのロープレまだやっていないのに!」


 いきなり褒められて僕は赤くなった。


「これでロットーさんも立派な当局職員! 基本、機構では内線で連絡しあうし、これさえできたらあとはなんとかなります。優秀な後輩がいてくれてぼくもこころ強い。初めてで緊張しただろうによく頑張ったね」


「あ、あっ、あのっ、」


 ほっぺたが完熟トマトになる前に話を変えなきゃ。


「あのね、先輩、えーと、そう、なんで固定電話とかいう古臭いガラク――いえ、趣きのあるアンティークで連絡するの?」


「あはははっ。――――ふ、あはは、趣き、あははははは!」


 相変わらずツボが浅いんだよなあ。この一ヶ月毎日会うたびにおもってるけど。ワカメ先輩がほがらかに大笑いする様子を僕は呆れて眺めた。


 三十代半ばの男性で、笑うと細い垂れ目がさらに細くなってえくぼができる。ひかりのあたり具合によって黒にも深緑色にも見える天然パーマがなんだかワカメっぽいからそう呼んでて、名前は知らない。誰も彼を名で呼ばないし、本人も名乗らないからだ。


 というか、僕に対して自ら名乗る人はいない。ひと月も経てば初対面の人間がそりゃ何人もいたんだけど、普通は名字もしくは名前を教えあうものなのに、魔術師にそれをやるのはみんなはばかられるみたいだった。フルネームの「名乗り」を面と向かってしない限り、相手が魔術師だったって危険なんかちっともなくて、しかし僕のほうも訊くのはこわい。


 ――あー言い忘れていましたがあなたは金輪際、死ぬまで他人の名前を呼ぶことを禁止します。


 ――魔術師のちからなんてわたしたちには予測不可能です。名乗りを受けずに記名式魔法を使わない保証が無いですよね。


 依然として、杭が刺さってる。


 だから名前は訊かないことにしてた。勝手にニックネームをいくつか作って呼んでみて、反応がよかったものを採用してる。


「――――なんですって? 大変面白いことをおっしゃいますね? いえ、断じて褒めてはいませんよ。今夜についての重要な話って、要約すると飲みに行こうと言いたかっただけですか? 俺は忙しいんですがね。脳みそお花畑管理機構に転職でもしたのですか? はい? 転職祝いに一杯つきあえ? あなたが一杯で済ませたことありました? 酒癖の悪いシルバーアクセサリーですよ、まったく……」


 医師さんは楽しげだった。親しいからニックネームを呼ぶという感覚がちょっとだけ羨ましく見えた。


 ワカメ先輩が肩を震わせながらもやっと人語を話しだした。一度ツボにはまると何分も笑い続けるのだ。陽気な人だ。


「……そうだね、機構が趣き……ふふっ……趣きのあるアンティークの電話機をどうして使うかというとね、ロットーさんは魔法の四大原則を知ってるかな」


 うん。昨日ワカメ先輩が新人研修だって言って教えてくれたよ。


「四大原則。一、代償の絶対性。二、利き手による媒介。三、関係性の希薄化。四、干渉不可項目。だよね」


 僕はひとつひとつ噛みしめて挙げた。


「うんうんよくできました。魔法は発動に成功してもしなくても必ず相応の代償がともなうこと。魔法は利き手を怪我したらほぼ使えなくなること。魔法は物と人、人と人との繋がりを薄くしてしまうこと。魔法では干渉できない項目があること。これらが基本的な性質だね。さて、干渉不可項目を知っているだけ言ってみよう」


 魔法をかけることができないもの、か。


「えっと、人間の感情だよね」


「そのとおり。九九・九点あげよう。補足すると、人間だけじゃなくすべての生きものの感情ですね。魔法で他人を操るためあの手この手を尽くして何百年も試されてきたのに、誰も一度も成功していないらしい。ほかには?」


 僕は首を横に振った。


「うん。ほかに代表的なものは、薬品と電動式機械と、生命、代償。細かくいうといろいろあるんだけれど、まあ今日のところはおおまかにいこう。毒を盛られても魔法では解毒できないです。電力のみで動く機械を魔法でクラッキングすることもできません。魔法でいのちを生みだす、または死人を生き返らせることも、魔法を使うために代償となったものを取り返すことも、不可能です。これらにチャレンジしようとして新しい魔法陣を作りだした人は、もれなく想定外の代償を払わされてきました。代償の絶対性。最悪死にいたるわけです」


「代償って陣を使う前に分からないの?」


「はい。魔法陣を発動したあとに自動的に失い、そこで初めて分かるのです。使い古されて安全が確認された魔法を適切なやりかたで発動するなら多少の個人差はあっても大丈夫ですが、自分で作った新しい魔法、利き手を負傷しているときの魔法、干渉不可項目への魔法は、どれだけちいさなものでも大変危険です。以前知人がね、この固定電話で好きな人の声を盗み聞きしようとおもって、うっかり〈盗聴〉を仕掛けてしまい、五年入院しました。笑っちゃいけないけど笑えるよね?」


 笑っちゃいけないのに大笑いするワカメ先輩の嫌味のない表情に呆れてると、医師さんが「ロットーさん、次の部屋へ行きましょう」と荷物を〈バッグ〉にひょいひょいっと投げこんで言った。


「もうそんな時間か。ラクロワ先生ありがとうございます。ロットーさん、次に会ったらその知人の面白いエピソードをいくつか話しますよ」


「うん」


 喉がつまってそれ以上の言葉が出なかった。ありがとうとか楽しみにしてるねとかいろいろ言うべきことはあったはずだった。


 次に会うとき。ワカメ先輩を見つめた。点滴がいくつもぶらさがってて、全身包帯まみれで、さっき医師さんが治療したばっかの部分が赤くしみだしてて、左の手首から先が原型をとどめてなくて、日によっては会話の途中で意識がぶっ飛んだりすることもある、瀕死の先輩を、見つめた。なんでも許してくれそうな温厚な声で先輩は「おやすみなさい」と締めくくった。


 次?


「……うん」


 次に会うとき?


 医師さんがせっついた。


「患者は患者らしくベッドに這いつくばって睡眠でも貪っていただかないと困りますよ。寝られないなら睡眠導入剤を差しあげます。顎にガツンとゲンコツを一錠。昏倒療法といいましてね、よく眠れますよ。――ロットーさんはほら、次です、ちゃっちゃと行きましょう。忙しいんですから。今夜は特に」


「わはは、医師さん飲みに行くからって急かさないでよー」


「…………。ほら、行きますよ!」


 清潔すぎて何処かよそよそしい廊下を並んで歩く。僕はまだ仕事らしい仕事はしていなくて、勉強と訓練をするかたわら医師さんに魔力を提供してた。医師さん一人の魔力では届かなかった治療を魔力の提供によって格段に早く進めることができるうえ、僕としても様々な人に会えるからウィンウィンだった。人間初心者の魔術師が職場にとけこむためには必要な時間だと、自分で強くそう感じてた。


 医師さんが突然廊下の真ん中で立ち止まった。


「……大変申し訳ないのですが、さっきの病室に忘れものをしました。ロットーさん、電話機のすぐ横に小瓶が一個ありますので、取ってきていただけませんか? 俺はすぐにジューナちゃんの診察をしなければならなくて……」


「おっけい」


 珍しく、この慇懃無礼医師さんがほんとうに申し訳なさそうに謝ると、慌てたように小走りで廊下を曲がっていった。何度もかよった場所だ、どっちの病室も位置を把握してる。僕は来た道を戻り、ワカメ先輩の病室の前で深呼吸をした。ノックする。


 心臓が、ぎゅっとなった。


「はい。どうぞ」


 なんでも許してくれそうな温厚な声が応じた。


 ひとけのない閑散とした廊下で僕は立ちすくむ。


 迷う。


 そうしていつものとおりにドアを開ける。


「こんばんは。ラクロワ先生の忘れものを取りにきたよ。失礼します」


 ついさっき挨拶を交わしたばかりのワカメ先輩が、ふわりと笑って僕を見る。ひかりのあたり具合によって黒にも深緑にも見えるくしゃくしゃの髪が、困ったようにちょっとかしげられた。数秒が永遠に感じられる。窓の無い病室に、月明かりの代わりとして淡くともされた常夜灯の、暖色。優しい微笑みだ。時間が伸びて伸びて停止してしまうくらいの巨大な重力だとおもった。


「……ええと、ラクロワ先生の助手さんでしょうか。初めまして。お嬢さん一人でこんな時間に彼の手伝いは大変でしょう。先生によろしくお伝えくださいね」


 大量の魔法陣に囲まれたワカメ先輩は、生死をさまよっているとはおもえぬほどさわやかにこちらへ笑いかけた。


 僕は会釈だけして電話機のところの瓶を握り、逃げるみたいに退出する。挨拶もそこそこにドアを閉めてしまう。閉じこめてしまう。たったひと月で、自分が機構にくるまで知らなかった感情は無数にあるのだと実感してる。


 代償の絶対性。魔法で限界まで治療しても瀕死状態から抜けだせない彼に、これ以上支払える代償は無い。もういのちしか残ってない。


 利き手による媒介。原型をとどめてない左手首から先を見るに、彼はおそらく二度と魔法をまともに使えないだろう。


 関係性の希薄化。毎日医師さんにくっついて病室にやってくる僕に、そのたびに「初めまして」を繰り返す、面倒見のいい先輩は、次に会うときに話すよっていろんな約束をするけど、どれも僕に語られることはないままだ。


 干渉不可項目。いのちには魔法をかけられない。死にゆく彼を助ける方法は存在しない。


 この感情が、独りぼっちで地下室にいた頃より人と触れあってる今のほうがずっと鮮烈なのはなんでだろう。


 ――ロットーさん、次に会ったらその知人の面白いエピソードをいくつか話しますよ。


 うん。


 ――お嬢さん一人でこんな時間に彼の手伝いは大変でしょう。


 ロットーだよ。覚えてよ。


「……あはは、お嬢さん一人、だって。ねえ? 機構が魔術師を一人でほっつき歩かせるわけないのにさ。でしょ?」


 ひとけのない閑散とした廊下でうつむく僕の、ぽつり呟いた一言に返答がある。


「あれだけの〈治癒〉を浴びていれば至極当然の反応だな」


「…………君は、平気なの?」


「別に。慣れた」


「そっかぁ。僕は、……慣れたくないな」


 入室しても認識すらされない僕の監視役は無関心に鼻を鳴らした。

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