Part.2 閉じたままのアイスワイン

2-01

 雨音が降りしきる。しとしとと濡れそぼつ地面の水たまりは身投げした水滴の形状に押しつぶされて、どれだけ強まってもやむまで凹凸に耐え抜きながらやがて何事も無かったみたいにひらたく「複雑な現実」とやらを映し返す。


 考えごとをしててグラデーションになってくアイスココアを眺めた。まあるい星の表面にへばりつくようにして人間は愛と憎しみを堂々めぐりさせる。分子はちいさすぎて僕たちの目にはおおまかなかたちしか見えないね。どれだけ氷がとけたように見えても、コップの内容物はさほど変わってないのに。


       ◆


 胴を捻っておもいっきり放った左脚が呆気なくいなされたとき、いや、このままじゃいなされる、と本能的にさとった途端に僕は〈瞬発〉で跳び退いていた。


 鋭い風が頬をかすめる。危なかった。急ぐあまり〈瞬発〉の魔法式がだいぶ無理のある省略になったけど構いやしなかった。魔術師だもん。不安定になった箇所は魔力量でゴリ押しする。楽勝。一般人みたいにこせこせ出し惜しみするより今は、とにかくスピードが第一だった。


 ちんたらしてたら死ぬ。


 すぐさま〈瞬間移動〉を三つ書いた。別々の位置へ同時確定させる。ダミーのなかからほんものを咄嗟に判別するのは至難の業だ。相手に迷う暇を与えず、おまけに〈雨針〉を半径二メートル内にびっしり降らせ、その対応に追われるであろう敵の完全に死角となった後方頭上へ〈瞬間移動〉する。重力で自分のからだが落下するに任せて上から勢いよく抜き身の真剣を振りおろす。


 白刃が、ひらめく。


 ――チェックメイト!


「四十八」


 低い声が告げた。


 僕の喉元を冷たい感触がぬらっと舐める。もしかして、っていうかもしかしなくても、僕の短剣だよね。今さっきまで両手で振りかぶってたやつ。


 速すぎて状況を理解するのに数秒を要し、そのかん相手はのんびりと待った。で、丁重に剣を返却してきた。


 ふーん?


 ――速攻〈火炎放射〉を派手にお見舞いした。


 ズドドドド。空間が激しく振動する。〈銃撃〉を追加投入し、四方八方から文字どおり蜂の巣にしてやりながら〈瞬間移動〉を三つ広げる。――ざまあみろ! 今度は三つともダミーだ。僕はその場で敵の足元に〈氷結〉のトラップ魔法を仕掛けた。氷で固めて相手の動きを封じる拘束魔法だ。間髪入れず背後からローキックをかます。横ざまに脚を払って崩そうとしたのだ。


 崩れてたのは僕のほうだけど。


 なにかをされて(認識するまもなかった)よろけた隙にみぞおちへ肘を叩きこまれそうになり、でも寸止めされる。代わりに「四十九」耳元で無感情に囁かれて、次の瞬間僕の視界は三六〇度回転した。


 床へ叩きつけられた衝撃で呼吸が止まる。飛び起きようとする前に〈銃撃〉が一発のみ発動寸前の状態で心臓付近に押しあてられる。


「五十」


 敵は余裕綽々と〈銃撃〉を解除した。使わずに。むっっかつく!


 反撃に出――、


「あ、れ?」


 からだが動かない。


 両手両足がひどく冷たい。


 んん?


 気づけば、分厚い氷で全身が床に固定されてて身じろぎひとつできなかった。いや、あの、これさあ――こっそり仕掛けておいた〈氷結〉を横から乗っ取られたっぽいね、どうやら。わはは。魔術師渾身の魔法をどうすれば易々と主導権奪えるわけ? 涙目なんだけど。


「五十一。五十二。五十三」


 木製の杖で僕の額をつんつん小突き続けるゼクーくんは、憎たらしいほど涼しげな顔で紙版本しはんぼんをめくった。そう。こいつ初日からこの調子なのだ。毎日違う紙製の本を持参して僕をぶちのめしつつ世にもつまらなそうな様子でずっとめくってる。


 今日という今日は面と向かって言ってやるしかなかった。


「……はぁっ、はあ……ね、ゼクーくん、紙の本なんて……馬鹿高価なものを、……はあっ……」


「まずは息を整えろ」


「っはあああああ? 平気だしいいいいい? 目ん玉ついてんのおおお? 超元気――げほげほげほっ! はあ、はっ……、ふ、馬鹿高価でぇ、ふう、はっ、はあ、すぐ壊れる、非魔法製品を、……はぁっ、訓練室で開くのはどうかな……、なにか起きても、僕、には……はあ、はあ、返済能力、無いよ」


「ほう?」


「初任給、はあはあ……まだ、だもん……」


「そろそろひと月になるか。もうすぐ初任給だな、おめでとう」


「汚れたり破れたり……するよ? お高いんでしょ、紙版って……はぁ、はあ、知らないからね? 壊れても。僕は……」


「やってみろ」


「…………はい?」


「やれるものならやってみせろ」


「…………………………」


 ――全身全霊の魔力を暴発させて一瞬で〈氷結〉の拘束をバッキバキに破壊し――あれ? ん? あれっ? 魔法が使えない。


 なんでか魔法がまったく発動しなかった。


 あ。


 首を動かしてなんとか自分の右手へ視線を向けると、手の甲にわずかなかすり傷があった。魔法の大原則だ。利き手をちょっとでも怪我すると魔法はまともに扱えなくなる。魔法構造が利き手にあって、そこから魔力をコントロールするため、魔術師も例外なく、どんなに強い人間でも利き手だけは守らなきゃいけないのだった。


「五十四。五十五。五十六……」


 つんつんつんつん。


 いたいけな少女の額を容赦なく杖の先で突っつきながら、この戦闘で僕を殺せた回数をカウントし続けてる。五十七、五十八……、


「ちょっ、ちょ、オーバーキルだってば! 降参! 降参だよ、負けました!」


 僕は叫んだ。


 見おろすな。むかつくから。あと、笑みを浮かべるな。腹立つ。この人いっつも表情筋が死滅してるくせに人を怒らせたいときだけわざわざ表情筋駆使して皮肉っぽく笑ってみせるのなんなのまじで。殺す。


「くっそー……」


「ふむ。毎度のことだが、貴方は力技に頼りすぎだ。無駄が多い。座学を真面目にやれ。本来は魔法文字学と魔法テキスト論で幼少期に基礎を積んだあと実践へ移るべきところを、貴方は今までその機会に恵まれなかった。今からでも遅くはない。勉強しろ。センスのみで押しきろうとする結果、コントロール力に欠け、自身が垂れ流す魔力で敵に行動を予測されるばかりか、敵の気配を自ら掻き消して予測不可能にし、反応がワンテンポ遅れる。集中力も足りんな。右手には注意しろとあれほど……」


「ねえ! 反省会始める前に拘束を解いてよおお!」


 十月十九日。僕が魔法管理機構中央局秘匿部(事象調整部検閲課自殺担当)に所属してひと月が過ぎた。一一一・七階の検閲課フロアで勉強と訓練に明け暮れ、時折医師さんに呼ばれて魔力を提供させられたり研究につきあわされたりして、そしてまた勉強と訓練、食堂で毎日三食おなかいっぱい食べて、また勉強と訓練。


『ではこうしよう。ご覧のとおり私は不死者だ。〈呪い〉によって幾度死のうとも生き返る。ゆえに、本気で殺しにこい。一度でも達成したら外出許可を与える』


 このくそすぎる提案に二つ返事で同意してしまったことを今さら心底後悔してるけど、まだまだ外を見ることは許されそうになかった。


 機構は最大限僕を利用しようとしてる。数十年から数百年に一人しか生まれないたぐいまれな魔力を持つ魔術師が、コントロール力をなくして暴走したり、意図的に反逆行為をしたり、なんらかの理由で死亡したりしないよう、機構で利用し尽くすために、検閲課顧問はいつも隣にいる。正直、やむを得ないとおもう。


 三七〇四年は危うい年だ。反魔法主義団体がめちゃくちゃしてて、それは昔彼らの神様が死んで現在神代わりに崇めてるミレイニア陛下が一〇五歳の死にかけだからで、新しい神様作りで反魔団体は児童虐待を繰り返し、政治とかもからんでややこしい事態だ。くわえて陛下が死んじゃったらこの国だって荒れる可能性もあり、そういうのもろもろ歴史を検閲するための検閲課という職場は、とんでもなく忙しそうだった。


 忙しそうな人たちの蚊帳の外で、一一一・七階のなかに閉じこもって、僕は今日も勉強と訓練に励んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る