1-18

 カチッ、カチッ、と何処からか秒針の音が病室の空間を一秒ずつ刻む。あとは風。高層ビルのかなり高い階にいるっぽいわけで窓から入りこむ風の音は強く耳に届く。


 神経質に着こんだ戦闘服のホルスターへ拳銃を戻し、課長は窓際から部屋の中央に大股で移動すると、こっちに向き直って僕を睨みつけた。しばし見つめあう。僕はといえば、九月の熱風が窓から徐々に室温をあげてくので、ゼクーくんが腐り始めちゃうなあとどうでもいいことを考えてた。人は全員もれなく未来の遺体だし生きるという行為はこの星でいっとう効果的な防腐処理だ。


 課長の舌打ちが響いた。


「魔術師、今後は口答えを禁じる。しかと心得よ。上司が誰をフルネームで呼ぼうが射殺しようがお前にはあずかり知らぬことなのだ。以後同様の言動が見られた場合は機構および本国への反逆行為とみなし相応の処罰がくだされる。理解したかね」


「うんまあ受け入れるかはともかくとして君の台詞に分からない単語は無かったよ。理解OK」


「無礼で非常識な言葉遣いも改めたまえ」


「おーっとぉ。前向きに検討しておくねー?」


 あたふたと戦闘職員さんが僕の服の裾を控えめに引っぱった。すがすがしく無視を決めこんだけど。だって僕こいつ嫌いだもん。


「ハッ。入局したばかりの新人がそんなでは処罰はそう遠くなさそうだ。一度でも考えたことはあるのかね? 本国は魔法発祥の中央国家。この魔法社会において紅龍国機構中央局を敵にまわすということがなにを意味するのか、無い知恵を絞って熟考してみたまえよ」


 僕が口を開こうとしたとき戦闘職員さんにまたくいっと引っぱられる。震えながら首を横に振る彼女がどうにも可哀想で渋々押し黙った。うーん。とばっちりでついでに処刑されたらたまったもんじゃないもんね。ああ。地下室の外ってめんどくさいな。


 人間関係は案外、結構疲れるものなんだ。


 課長が咳払いをし、朗々と声を張った。


「姓をロットー、名をテナ。本日より紅龍国魔法管理機構中央局秘匿部職員――つまり事象調整部検閲課自殺担当に任じ、当面のあいだを試用期間とする。総裁の決定である。魔術師最大限のちからをもって誠心誠意任務を遂行せよ。当局機密保持を徹底せよ。その他世界政府ならびに本国の法を遵守せよ」


「嫌だけど?」


 課長を見据えたまま戦闘職員さんの震える手を振り払い、僕は肩をすくめて言い放った。この場の全員が息をのんだのが分かった。ピンと張り詰めた沈黙を破って続ける。


「何回も」


 濃厚な鉄の臭いの隣に立ってる自分の、今、刹那。


「何回も。何回も。何回も。この人たちに言った。僕は検閲官になるなんてまっぴらごめんだよ。断る。断固拒否だね」


 これは僕のものだ。


 君たちの持ちものじゃない。


「では処刑とするがよいかね」


「ふ……」


 カチッ。カチッ。カチッ……。


「あっは、――あはははははは! 好きな仕事を選ぼうとしただけで殺されんの? 機構まじで面白いね? 人権侵害じゃん」


 明るく楽しく嘲笑いつつこんなに馬鹿らしいことなんて無いよなとおもった。


 今まで人権が与えられた経験は一秒も無い。


 生まれた日に拉致されて。


 暗い地下室に独り監禁されて。


 あたりまえに椅子に縛りつけられて。


 からだから魔力を根こそぎ奪われて。


 誰も助けてくれず。


 道具みたいに扱われて。


 定期的に訪れる検閲官たちにあんなに必死に声を掛けたって誰も返事すらしてくれなくて。


 やっと救いだされても変な装置に繋がれそうになって。


 人の名を呼ぶなとか思考するなとか理不尽に命じられて。


 そもそもそれが僕のたったひとつの存在意義で。


 この世に正しく定義づけられてる。


 無価値な人格は死ね。


 ふと、淡々とした声が脳裏に蘇る。


 ――魔術師を救ってくれと訴えるメールが届いた。彼女は同僚だな? マーフィ・Eに会わせていただきたい。


「大量殺人未遂の犯罪者がなにをのたまっているのかね。仕事を選ぶ権利だと? 笑わせる――。〈爆破〉を機構内病室にて発動し、人類を全滅させかけたことを忘れたわけではあるまい。あれは発動どころか陣を書き起こすだけで立派な重罪であるぞ」


 あっそう。


 あの程度の些細な魔法で。


 あはは。


 アホみたい。


「お前は貴重な魔術師だ。罪状からすると本来即処刑のところを、我々魔法管理機構の制御下であれば執行猶予が許可される。執行猶予とは言っても警察では魔術師の暴走を面倒見きれまい。一介の研究機関や教育機関等に丸投げできる案件でもない。一般社会に解き放てば魔法の加減も分からず早々に傷害罪か殺人罪でしょっぴかれるであろう」


 傷害罪? 殺人罪? 魔術師を人間扱いしてくれないのはそっちなのに魔術師のほうは人間を大切にしなきゃなんないの? あはは、笑えるね。あの程度の些細な魔法で犯罪だなんだと大騒ぎして被害者ヅラ、うん、面白いよ。


「条件をのめないならばすみやかに刑を執行する。装置制御システムに入り、無期懲役で国のため世界のために魔力を数十年間提供し続けるのだ。どちらにしろお前がどれほど機構を嫌っていようと此処以外での管轄はあり得んのだよ」


 君たちは地下室の椅子の〈拘束〉から自由になった僕が検閲官たちの要求におとなしく従うと本気でおもってるわけ?


 カチッ。


 カチッ。


「その他の指示をだすのでよく聞くことだ。ラクロワ・N医師。お前は自殺担当班で魔術師と保護対象の子どもの治療にあたりたまえ。保護対象を死なせてはならん。近々例の王族も救出する。準備を怠るでないぞ。マーフィ・Eは暗殺担当班ではあるがしばし自殺担当班に入りたまえ」


 ――魔法は、ほんの一瞬が命取りだ。瞬きひとつの隙に植えて芽がでて花は咲き終わる。はい、ドカン。機構には、魔術師が広げた陣の発動するその瞬間を見極められるだけの人間が何人いるんだろう。


「え、あ、っと……あの、課長、申し訳ありません、わたしは……、あの、暗殺班で、えっと溜まってる案件が、ありまして……」


 差しで僕を制圧できるSSランクは機構自ら処刑した。それでこのちゃちな認可装置武器を携えたSランクやらAランクやらが列をなして僕の周囲をフォークダンスでもするつもり?


「暗殺班にはCランクの代わりなどいくらでもいる。だがこの自殺班の顔ぶれを見たまえ。産まれたばかりの赤ん坊のごとく常識が危うい殺人兵器。自身の身を守ることすらかなわん運動音痴。時間を無視しまともに食事も睡眠もとらん社会不適合者。生活力の気配を微塵もうかがわせない猿の集まりだとはおもわんかね? お前には子守りがうってつけであろう」


 せっかく地下室の硬い椅子から開放されたから、死ぬ前にやってみたいことはいろいろあるなあと考えた。今まで奪われた分を今から好き勝手に取り返す。やってやるんだ。手をぎゅっと握り締めた。失った青春。だから。


 カチッ。カチッ。


 一歩前に踏みだすと足元で水音がした。


 見なくても解る。


 カチッ。カチッ。


 赤い水たまりのむせかえるような鉄の臭い。


 あはは。


 あははははははははは……!


 この世ってほんとうにすごい。


「じゃあさ」


 両腕から熱い熱い魔力が溢れてこぼれゆき黒よりも黒い死を円形に描き始めると鋭い青白さで文字列が凍りついた輪を形成しいくつも繰り返されて目に痛いほど苛烈なひかりとなって床を埋めつくす、折りたたまれた薄い〈銃撃〉の魔法陣が何枚にも重なりあって部屋のすべての検閲官の足元に伸びる――。


「……好奇心で訊くんだけど。僕が、命令にはなから従う気が無かったら、君たちどうするの?」


 時計が聞こえる静けさに佇んで、僕はにこやかに笑いかける。


 課長は苛立たしそうに舌打ちをした。


「チッ……魔術師の監視役に立候補した者に任せるが、それがなにかね?」


「へぇえ、立候補。あはは。だぁれ?」


 このまま。


 全員。


 ぴ。ぴちゃっ……。


 ――人生で二度だけ経験したことがある、抵抗しようにもどうにもならない圧倒的な支配力、いや、抵抗の気そのものが消し飛ぶくらいに冷徹かつ強大な、うえから頭をぐわりわしづかみで地にねじ伏せるかのような、息が止まる、感覚。


 この場の全員を殺すためにかけた渾身の〈銃撃〉は薄いガラスが砕け散るみたいにいともたやすく破壊された。


「気に食わんがやむを得ん。わざわざ突入部隊が大勢並んでいる前でこれみよがしに魔術師の魔法を壊してみせ、自分ならば魔術師を制御可能だと派手にアピールし、まわりくどく立候補してきた愚か者がおるだろう。彼に試用期間中の新人を預けるほかはあるまい。魔術師よ、逃げられるものならやってみるがよい――」


 あまりにあまりの乱暴な破壊方法で、僕は立ってることもままならなくて床にばったり倒れこみそうになり、後ろからからだを抱きかかえられた。


 視界の端に絹のごとく透ける透明で白い髪。


「オペラ小僧。いい判断だ。引き受けよう」


「…………当局による通算二五一回目の処刑を受け終わった途端に相も変わらずふんぞり返ってお前は罪人の自覚が少しでもあるのかね?」


 苦虫を噛みつぶしたような顔で課長が吐き捨てた。

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