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あえて抵抗をしなかったように見えた。できるのにやらなかった。そうとしか考えられなかった。
だって、えっ、冗談でしょ?
シンプルなオッドベストのスーツとアイスグレーのトレンチコートに包まれた長身は糸が切れたみたいに崩れ落ちて、彼の寄りかかってた後ろの壁にずるりずるりただことじゃない血痕が引きずられる。冗談、でしょ? 真っ白な長髪が信じられないほど赤く濡れ、周辺にはなんかよく分からない肉片が無数に飛び散ってる。ねえ。硝煙と鉄の臭い。耳鳴り。床が、染め替えられてく。ねえ……。少し開いた窓からじとっと湿った夜の夏が入りこんでる。ねえってば。
〈治癒〉は広げない。
だって明らかに即死だったから。
死は、黒よりも黒い。上から何色の魔法を重ね塗りしても意味なんて無い。人間は生まれてから百年かそこらまでのどっかで確実に死ぬ。「出生とは死に至る病気である」的なことを言った有名人いなかったっけ。魔法は決して万能じゃなくて、僕は諦めてなんの陣も書かず、医師さんも応急処置とかを特になにもしなかった。
課長が腕をおろした。握りこむと自分の魔力を注入できるよう作られた認可装置武器のたぐいだ。殺傷力や命中率をあげるための小細工がしてあるんだろうけど、でも。
なんで?
さっき、幼い兄妹の病室で医師さんがとち狂ったように散弾銃をぶっぱなしまくってる最中に、ちっとも動じず闊歩していって銃を払い落とし、撃ち手の顎を強打して気絶させた。それだけだったけど、それだけで充分に馬鹿強くて、えっと、いやだってさ、同じタイミングで僕がかけてた魔法、星ひとつをそっくり木っ端微塵にする超ド級の〈爆破〉についても、ゼクーくんは容赦なく粉々にしやがってくれながら医師さんを無力化した。そんな人物だ。
Sランクの部下に護衛させて入室したおっさんが、おもちゃみたいな魔法陣を刻んだ装置銃の引き金をどうこうしたって、殺せる相手じゃない。
「……グレイエス・ゼクンは検閲課による魔術師運用が気に入らないという個人的感情から数十年にわたって度重なる違反を続け、最終的に由々しき機密漏洩を計画的に犯した」
苦々しげに課長が告げるのを、僕はぽかんとして聞いた。
「七月二十九日、検閲課最重要事項である魔術師回収任務に出向かず、現場から約一キロメートル西の飲食店で読書をしながら数時間過ごし、その後行方をくらます。九月十日、食堂の――」
「え?」
青ざめた戦闘職員さんがベッドから叫んだ。
「顧問はあの日近くまで来ていたんですか……!?」
「ふん。静かにしたまえ。――九月十日、食堂の取材を口実に当局を探ろうとする国営チャンネルへ勝手に取材許可をだす。反魔法主義団体が不穏な動きをしており、世間から機構への反発が高まっているこの時期に、彼ら記者を迎えいれることがどれほど危険か考えもせずに、だ」
思考が追いつかない。
「本日、九月十二日、マーフィ・Eが魔術師を装置制御システムに取りこむのを阻害。魔術師の魔法をあえて乱暴に叩き割り、魔術師の体調に悪影響を与え、いっけんしただけで魔術師だと判るほどに魔力コントロールができない状態を作りだし、そのまま平日昼食時の一番利用者が多い時間帯に食堂へ連れていき、機密情報を知らされていない他部署職員たちの前で見せびらかしつつ騒ぎたてる」
……ええええ? うっわぁ……。
「そこまでであればごく自然に目撃者たちの記憶を操作することができる――そもそも『関係性の希薄化』という魔法の性質上、魔力コントロールができていない状態の魔術師を短時間見かけただけでは、本件を詳細に覚えていられる職員は少ないはずだったが、あろうことか食堂で記者に引き会わせ、国営チャンネルで映像を全国に放送させた……ッ!」
な。
なるほど?
映像越しでは魔力が届かないから、僕が魔力を垂れ流してても「関係性の希薄化」は起こらない。なるほど? へええなるほど。
考えてもみなかった。
「また、我々が魔術師に対して重要な優位性として秘匿してきた術紋の操作について魔術師に漏らし、検閲課の魔術師運用を危うくした……!」
魔術師だけが腕に持つ刺青みたいな模様のことだね。食堂でゼクーくんが一回術紋を引っぱっただけで僕は激痛で死にそうになったんだった。
あれは、わざとだったの?
――謝罪する。
真摯に頭をさげてそう言ったゼクーくんを、不意におもいだす。
――手荒なことをした。お詫びする。
ティーカップにアホみたいにスティックシュガーをちぎっては入れてちぎっては入れてそうして彼はまっすぐに僕へ言ったのだ。
――隔離室で貴方の魔法を乱暴に破壊した。先ほど術紋の隠伏を無理にといた。以上の二点だ。
「約五十年前にも同様に魔術師関連の問題を起こしているとのことだ。検閲課のみならず事象調整部全体と総裁や幾人かの政治家を巻きこみ、大騒ぎになったそうだ。支離滅裂で自己中心的な犯罪者め――」
――適当にココアを選んだ。試してみるといい。好みでなかったら違うものを用意する。遠慮無く言え。
「よって、グレイエス・ゼクンは処刑とする」
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