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「そろそろ失礼する」


 おもむろにゼクーくんがなにもない壁に手を触れると〈セキュリティー〉が解除されて片開き窓が出現した。人が一人通れる程度に開け、窓枠へ右脚をかけながら、


「あとは若者同士で親睦を深めるといい。ではな」


 いや待てい。


 念のため周囲を確認する。うん、やっぱり。秘密の多い機構が情報をあれこれ保護するために仕込んだんだとおもうけど、〈瞬間移動〉とか〈浮遊移動〉とかの移動系はこのあたりで使えなくなってて、もし万が一足をすべらせでもしたら普通に地面へ真っ逆さまだ。


 窓の外は曇って星も月も無い夜一色に塗りつぶされた空で、ねえ、空しか見えないような高さなんだよ、君、片脚悪いんでしょ。ってドアを差し示そうとしたときに、アイスグレーの白衣が視界を遮った。


 医師さんが不安定な姿勢のゼクーくんへ突進して、よろけた隙に素早く木製の杖を奪い取った。この出し抜けな行動がよほど意外だったのかゼクーくんは珍しくちょっぴり目を見開いた。


「……グレイエス。雑な、挨拶ですね? あなたはいつもそうだ。なにげないお粗末な別れ台詞のあとに平気で何年も何十年もひょいと音信不通になるのです。逃がしませんよ。杖は俺がお預かりいたしま――」


 勢いよくドアが蹴破られた。


 は?


 みんなして窓のほうに向いてたので慌てて振り返り、来訪者を視認した。


「――グレイエス・ゼクンはいるかァ!? 魔術師もだ!」


 なに……?


 痩身に戦闘服を着こんだ口髭の男がずかずかと大股で怒鳴りこんできた。ものすごくブチギレてる。後方には燃えるような赤毛の青年が見るからに不機嫌そうに控えてて、看護師さんが「勝手に入られては困ります!」あたふたと叫んでた。


 カオスだ。


 カオスが来訪してきた。


 医師さんが深い溜め息とともに頭を押え、戦闘職員さんは真っ青になって無理に上半身を起こす。ゼクーくんは我関せずといった感じで壁に背を預ける。


 僕はなによりもまず、立ちどまったまま入ってこようとしない赤毛の青年に興味を引かれた。魔力の気配をまったく感じなかったんだもん。どゆこと? 口髭男の部下かな。年齢は医師さんやゼクーくんと同じ二十代半ばだ。呪いとかはかかってない。あ。着崩したスーツから伸びる手が両方とも義手だった。その右側にやる気なさげに拳銃を握ってる。


 男は白髪交じりの頭を振り乱して病室の真ん中あたりできょろきょろし、医師さんをねっとりと睨み、戦闘職員さんを軽蔑の眼差しで見おろし、僕をねめつけてから部下に一喝した。


「身体障害者! なにをボサっと突っ立っているのだ!? さっさと入ってこい!」


 空気が凍りついた。


「ほかのSランクが出払っていて仕方なくお前を護衛にしたというのに、穀潰しめ。魔術師は実験ネズミの分際で手に負えん反抗をしておるし、グレイエス・ゼクンは機密漏洩を犯したキチガイだ――頭のおかしい反乱分子どもがなにをしでかすか分からん以上、無能な障害者といえども戦闘に備え最低限の役目を果たさんか!」


 歯に衣着せぬ痛烈な悪意のオンパレードだった。


 ぶっ飛んだ状況に僕は正直わくわくした。


 口髭男が血走った目で病室を見まわし、だけどゼクーくんの姿はスルーしてく。見えてない、のかな。まさか。堂々と僕のすぐ隣に立ってるよ?


「グレイエス・ゼクンは何処だッ⁉」


 僕は隣の人を見あげた。魔法かなにかで隠れてる様子はない。


「あのさ、なんか珍妙なのが呼んでるよ」


「不在だ」


「はい?」


「私は不在だ。あちらはブルーノ・S課長。ああ見えても仕事は優秀で、趣味はオペラ鑑賞だ。貴方にとって仲よくしておいて損は無い。私は得るものが無いので失礼したい。杖を返せ」


「お断りいたします」


 冷えきった声色で医師さんが口早に吐く。


「脳味噌の代わりに腐った卵が詰まったサボり魔さんのお可哀想な頭脳ではお分かりにならないことかもしれませんが、上司との人間関係も仕事のうちですよ。影が薄いからといってこの場からちゃっかりとんずらするこころづもりでしょう。杖はお返しいたしません」


「上司、か」


 無表情にゼクーくんは鼻を鳴らした。


「いいだろう――おい、オペラ小僧。久しいな」


 おおきくはなかったけど低くよくとおる声だった。課長が向き直り、怒りに燃える視線を突き刺してくる。うっわあ。


「課長になったと聞いた。検閲課はどうだ? 極度に引っ込み思案な若造だった新卒の頃からは考えられんが、まあ、順調に仕事をしているようで安心した。さて用件を聞こう」


「……グレイエス・ゼクン。お前に世話になったことは忘れんぞ。なにもかも。そして今日も勝手をしおって……」


「ねえ」


 つい口を挟んじゃってた。


 時間が止まったみたいな変な感覚がする。


 みんなが言葉を失ってる。


 居心地の悪い空気だ。


 どうでもいいよ。


「ねえ、課長。人間たちのあいだでは、生きてる他者をフルネームで呼ぶのはめちゃくちゃ失礼だし、安全面の観点から違法行為とされてるんだったよね。あってる? 僕、箱入り娘だから人間たちのことよく知らないんだ。だけどゼクーくんをそんなふうに呼ぶの、やめない?」


「……黙るのだ。魔術師には関係のないことじゃないかね。まずはグレイエス・ゼクンに話がある。用件はこれだ、聞きたまえ」


 つかつかと大股で歩いてきた課長は、拳銃をゼクーくんの額にぴったり押しあてて引き金を引いた。


 生あたたかい大量の血液が僕の半身を濡らした。

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