1-15
◆
魔法は痛みを伴う。
「いああ……」
「マーフィさん、大丈夫ですからね、大丈夫です」
おおきく胴が跳ねる。
「っう、あ」
ベッドに横たわり、ベルトで固定された四肢を限界まで振りまわし、涙を浮かべる。
「いたい――いたいいたいいたいいあああああ……――――!」
金切り声が部屋を蹂躙する。僕たちはただ見てる。彼女の顔に苦悶の表情が貼りつき、脂汗を流し、やめてくれと叫ぶ言葉すらもどんどん原型が失われてく様相を、うねる苦痛を、中肉中背のあまり特徴のない全身が、服の上からでも分かるくらい痛みにこわばってるのを、ただ見てる。
彼女の涙が枕にこぼれる。
薄桃色の病室にはこのベッドだけがぽつんと置かれてる。ほかの魔法は残らず排除され、医師さんの〈治癒〉のみが幾重にも広がる。
「マーフィさん、続けますよ。分かっていらっしゃるでしょう。あなたが希望なさったことです」
医師さんは言い切って点描画のような魔法の展開を再開した。
一つ一つの文字はでたらめで、散らばった点々の落書きにしか見えないのに、医師さんがひとたび詠唱をすると陣は旋律にあわせて急速に躍動しひとまとまりの白いひかりを放ち始める。おもわず舌を巻く。真っ白な、誰にも踏まれてない静謐な雪景色みたいだと僕はおもう。
照明をつけずとも目がくらむ光度だから、壁が陣のひかりにとけて視界から消え、地平線の彼方まで雪にうずもれてしまう。
僕たちだけがぽつんと置いていかれた、広大な排除の星の中央――。
なんてブレのない魔法だろう。今にも壊れそうな危うさを内包して、でも芯の強さがすさまじい。正確に精緻に意図的にこの現象を作りだすことができる医師さんの技術には驚きとかなんかいろいろの感情を通り越して呆れる。若いのに天才か。ちょっと悔しい。
息をのんで見守る先で、ふっと戦闘職員さんのからだからちからが抜けた。医師さんが白衣で額の汗をぬぐう。僕たちに振り返る。頷いた。合図だ。僕はガラス張りの壁にはめこまれたドアを開け放ち、隣の病室に飛びこんだ。
「死にかけ生き返らせ儀式えぐーぅ! 医師さんなかなかに天才だねっ、若者の本気ってやつ!?」
医師さんのツーブロックを見あげると溜め息交じりにめちゃくちゃ脱力してた。
「……マーフィさんの利き手の魔法構造をここまで壊したのはあなたなのですよ……」
「てへっ」
正当防衛じゃーん。
おだやかに眠ってる彼女を眺める。
隔離室で、やばい装置を僕の首にはめようとして、殴りあって、素人相手に武器まで持ちだして、この人だってさ、僕を殺る気満々だった。ちゃんと正当防衛だよ。
医療魔法には痛みが伴う。〈治癒〉を多用できないのはここに理由がある。薬物療法や手術などのアナログのほうがからだに負担をかけないのだ。けどそれでは何ヶ月もかかってしまう。今回は戦闘職員さんが早く仕事に戻ることを優先して〈治癒〉の選択となったそうだ。
「言ってやるな、ヤブ医者。戦闘において魔術師は攻撃系魔法をいっさい使用していない。なんなら〈自殺〉に交ぜて暗殺担当に〈保護〉と〈治癒〉を発動しているくらいだ。例の隔離室を今頃シュプール師が調査しているはずだが、正式な報告書があがったら目をとおしてみるといい」
医師さんがアホヅラで凝視してきたのでファンサービスに特大ピースとウインクをしてあげた。
「マーフィさんはロットー様の魔力をただ浴びただけでここまでダメージを負ったということですか」
「得意げにしている場合ではないぞ、魔術師。魔力はそのように垂れ流すものではない」
「禍々しい魔力を放出しながら食堂に現れ、大変な騒ぎになったそうですね。食堂のお姉様がたが大層ご立腹だったとうかがいました」
「あそこは戦闘行為全般禁止だからな」
「ええ、お姉様がたを怒らせると食堂の味に影響がでるので今後はロットー様にも気をつけていただきたいものです」
いや、だってあれは強引にゼクーくんに連れてかれて……ってか僕ってそんなにおかしいの?
「今までに私は歴代の魔術師十数名と直接会っているが、これほどに魔力のコントロールが不得手な者は初めてだ。絶望的なあまり、慰めかたがさっぱりおもいつかん。いっそ誇れ。おい魔術師。先ほどの得意げな態度を許可する」
さらっと言うゼクーくんに医師さんが大仰に首を振った。縦に。
わはは、腹立つなあ?
「コントロールができないうちは外での任務に同行させませんからね」
「散歩もだ。一歩機構から出るたびにテレビ中継されてはかなわん」
「はっはっは、任務ってなに? ちゃっかり僕が検閲官になること前提に話進めないでくれるかなあ」
不意にベッドの戦闘職員さんがうっすらと瞼を開けた。僕はベッドへ乗りだして顔を覗きこむ。朦朧と視点の定まらない様子でこっちを見つめ返し、戦闘職員さんは呟いた。
「だ、れ……?」
面食らった。
「あの……ラクロワせんせい……このこはだれですか……?」
わざわざ言い直してくれた。
まじですか。
この人が僕を忘れるなんてことあり得る?
後ろから肩を軽く叩かれた。医師さんが僕をちょっと押しのけてベッドに向きあった。
「マーフィさん、ご気分はいかがですか? 最悪ですと俺は嬉しいです」
医師として最悪の切りだしだった。
「〈治癒〉は賛成しかねますと再三申しましたよね。ざまあ――とにかく、魔術師ですよ彼女は。マーフィさんが隔離室の戦闘や今回の治癒など、多すぎる魔力を浴びましたので、人物に関して記憶が抜け落ちたのでしょう。魔力は関係性を奪う、魔法大原則の一つです。よいしょっと……見たところすべて正常ですね。不本意ながら、明日には仕事に復帰できますと言わざるを得ません」
ざまあって言ったの聞こえてたからね。
にしても、魔力が関係性を奪うってどういうことなのか疑問だった。地下室での〈検索〉には出てこなかった情報だ。訊いてみると医師さんがちょっと思案した。
「なるほど……ロットー様には伏せられていましたか。魔力は強すぎるとさまざまな繋がりを希薄にします。だからこそ人は魔力を外に垂れ流さないようコントロールする必要があるのですよ。でないと他人から忘れられてしまいます」
「なにそれどうゆう原理?」
「そうですね……原理は不明ですが、たとえば、魔法で調理された食べものは味や香りが少々薄くなります」
「ほへえ」
「便利な装置を大量に使用するとその用法を本人が覚えきれなくなって結局まともに扱えませんし、魔法の使いすぎで肌や髪の色が薄くなったり」
「へえええ」
と、あっちの壁に寄りかかってたゼクーくんが本を閉じ、杖をついて進みでた。白髪の青年の歩調にあわせて、無機質な明るさをまとった薄桃色の病室に、アイスグレーのロングコートがふわっとひるがえる。
戦闘職員さんが身構えた。
「あ……あの、どちらさまですか……?」
「お初にお目にかかる。私はグレイエス・ゼクンという。貴方がマーフィ・Eだな。先日のメールを覚えているか。返信の入力が面倒だったので口頭で返事をしにきた」
はっとした。無駄な雑談ばかりしてて頭からすっぽ抜けてた。そうだ。ゼクーくんからメールのことを聞いて僕たちはみんなでぞろぞろと病室に押しかけたんだった。
――魔術師を救ってくれと訴えるメールが届いた。二日前だ。マーフィ・Eに会わせていただきたい。
戦闘職員さんのからだがぎゅっとこわばったのが分かった。それでなくても不健康そうな顔色がみるみる蒼白になる。慌てて起きあがろうとするのをゼクーくんが押しとどめた。
「あ、あ、わたしあの、とんでもないご無礼を――!」
「? 礼に欠けるとは感じなかったが」
「あれを読んだうえで顧問が此処にいらっしゃるということは、機密漏洩の――わたしは今から処刑になるんですね――」
「課内の業務連絡に過ぎない」
「業務れんら――あっ?」
「検閲課暗殺担当から同課顧問として業務連絡を受け、久々に機構に戻った。ついでに例の相談事についても解決しておいた。近頃暇を持て余していたのでな、都合がいい。しばらく検閲課で世話になる」
医師さんが隣でぼそっと「音信不通になって仕事をサボり続けながら暇を持て余すとは、器用な男ですね……」にこやかに囁いた。
ウケる。
「で、も……解決って、あの、わたしは墓無しで、本来は問答無用で処刑される身で、命令に背けなくて、だからロットーさんを装置に……決定事項だと、ブルーノ課長が……装置制御システムの――」
「ブルーノ? どのブルーノだ?」
「えっと、ブルーノ・S課長です……四十六歳男性で、いつも事務室にオペラを流していて、少しだけ怒りっぽい性格の……」
「あの若造か。『少しだけ怒りっぽい』? ふん。問題無い。命令は必ず取り消しになる。魔術師はシステムに組みこむことなく当面は検閲官として機構に迎え入れることとなる。――メールへの返答は以上だ」
淡々と結んでゼクーくんは近くの壁にもたれた。紙の本を開こうとするから僕が横からかっさらってやろうとし、ひょいとよけられる。がばっ、ひょい、がばっ、ひょい、がばっ――痛たたた!
「……この鬱陶しいちんちくりんに総裁からそのうち辞令があるだろう。にしても今の課長はオペラ小僧か……面倒だな。私は極力事務室には近づかないことにする。貴方がたが新人をパワハラから守ってやれ」
僕の「検閲官になるだなんて言ってないよね!?」と医師さんの「仕事をする気はございますか⁉」と戦闘職員さんの「処刑をちらつかせてくるパワハラに勝てません守れませんううううう」が同時だった。なにこれ。いろいろありすぎてわけ分かんないんだけど。
え、つーか、検閲官ってパワハラあるんじゃん。ほうらね。いっちばん最初に求人広告の朗読会を開催してたとき戦闘職員さんが震えあがりながら「とても優しい先輩たちばかりです、生きていたらいいことがあるとおもいます」って言ってたのあれなんだったの?
すがすがしい求人詐欺だな。
現実ってこわーい!
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