1-14

       ◆


 がらんとした一室だった。統一感のあるシックなソファーやローテーブル、観葉植物のテラコッタ鉢などが空間をゆったりと使って配置され、清潔的でいかにもといったような病棟の待合室だ。


 疲れきっていつのまにか眠ってた少年と眠りっぱなしの妹ちゃんをあの場に残し、三人でひとけのない廊下をくねくねと十分ほど歩き、戦闘職員さんが治療を受ける病棟に来てみたところ、受付で「意識が戻るまで面会謝絶とさせていただきます」とにべもなく断られ、「その指示を看護師や受付の皆様に出しているのは俺なんですがね……」「先生のお連れ様でも駄目なものは駄目です」「でしたら俺一人で先に様子を見てまいります」医師さんがそそくさとどっかに行ってしまい、ゼクーくんと二人きりで残された僕はといえば、ソファーに寝っ転がってぼーっとテレビを眺めてた。


 ――じつに一七四年ぶりとなる魔術師の出現に、世界中が混乱しております! 魔術師レベルの使い手が長年不在だったことで停滞していたさまざまな分野の研究が、これをきっかけにいっきに活気を取り戻すことが予想され――。


「君ってほんとは女の子だったりする?」


 退屈だったからゼクーくんで暇つぶしすることにした。


 入口近くの壁にもたれかかって静かに紙の本をめくってた彼が無感動に視線をあげた。


「長身だし声も低くて男性かなとはおもうけど、顔面が美人すぎて女の子かもって可能性をまだ捨ててない僕であった」


「……」


「『可能な限り質問に答えよう』by食堂にいたときのゼクーくん」


「……」


 わっは。


 この人、完全に表情筋が死滅してんだけど、そういう呪いでもかけられてるの?


「とりあえず座りなよ。椅子余ってるんだよなあ。頑固者やーい。もしかしてありとあらゆる椅子が親の仇だったりするわけ?」


「……」


 無言で視線を手元の本へ戻すゼクーくんに僕は懲りずに質問をしまくってやろうと決意した。だって退屈なんだもん。それに知りたいこともいっぱいあるし。


 地下室の〈拘束〉から解放されてみて分かったことがある。地下室は検閲官によって情報操作され、特に、魔術師へ見せたい項目は丁寧にパック詰めしてデパートに並べられたお惣菜みたいなものだったので、〈検索〉すればスムーズにいろいろ見られたけど、外には僕が知らないことが山のように在って、魔法で簡単に検索することなんてできないほど複雑に入り乱れ、そして、情報は高価だ。


 世界唯一の魔術師として恐れられる僕であっても、情報戦に負けたら殺される。大事な情報は本来〈検索〉して無料で出てくるものじゃなくて、隠されたり嘘で塗り固められたりしてて、だから買い取るか人脈を使って得るかするしかない。


 ゼクーくん。全力の魔術師が世界をつぶす気持ちで放った魔法を、薄氷でも割る感じで二度も粉々にし尽くしてくれた君について、僕は知りたい。人間は敵と敵予備軍のみだよね。ゼクーくんも例外じゃないのだ、でしょ?


「ねえねえ、今生きてる人間のなかでたった一人のSSランク資格戦闘職員なのって、ほんと?」


「……いや。免許を持っているだけの非戦闘職員だ」


「んっ? どゆこと?」


「個人的な興味関心の方向が教職や研究職などゆえ、戦闘職の仕事依頼については概ね断っている」


「ふーん。戦いたくないのは体調のせい? 初対面からずっとおもってたけど、四〇度近い高熱をだしてるよね。座りなよ」


「結構だ。今のところ必要性を感じない」


「風邪でもひいたの?」


「単なる体質だな。昔から魔力・魔法分子とは相性が悪い」


「左脚がよくないのはどうして?」


「若い頃の仕事中の怪我だ」


「どうやって僕の本気の魔法をあんなふうにぶっ壊したの?」


 ここで再びゼクーくんが本から顔をあげた。長い髪を無造作に掻きあげつつ、ふっと鼻で笑う。


「……体調が万全ではない一介の職員にああも容易に制圧されるとは、ふむ、今回の魔術師も存外たいしたことがないな」


「わっはっは。だいぶいい性格してるよねーえ、ゼクーくん?」


「お褒めに預かり光栄だ」


 テレビがほがらかな笑い声を複数人分響かせた。僕はソファーから起きあがると、待合室の入口近くまで大股で向かった。真正面に立って向きあう。ゼクーくんはほんのちょっとだけ訝しげに目を細めた。


「ねえねえ、どーしてあの兄妹と僕を引き会わせたの?」


「……貴方はこれまでに会った十数名の魔術師のなかで魔力の所有量がいっとうおおきい。子どもたちになにかできることがあればとおもった」


「それは、妹ちゃんが受けてる〈呪い〉のことを言ってる?」


「そうだな」


 彼は紙の本にブックマーカーを挟んでぱたんとページを閉じる。それから滔々と話し始めた。


「……『墓無はかなし』という言葉がある。殺人を一度でも犯したことのある人間は、死したあと遺体が霧散するため、墓は作られないことから、こう呼ばれる。魔法の副作用として約七百年前の第一次魔法期以降に見られるようになった現象だが、いまだ仕組みは解明されていない。さて」


 いったん言葉を区切り、悠然と腕を組んだ。


「百年ほど前に、魔法を生まれながらに持たない子どもが生まれた。リアナ・カナンというその少女は、まるで魔法など存在しない古い時代から独り時空を移動してきたかのように、からだには魔法のための構造がまったく無かった。呪文を唱えても魔法が使えないという意味で、墓無しをもじって『音無し』と新聞や国営チャンネルで騒がれた」


 リアナなんとかさんをフルネームで呼んだので、故人なんだなと僕はピンときた。フルネームを呼ぶのは、生者を記名式魔法でどうにかするときと、故人を「忘れない」という気持ちをこめて懐かしく言うときの、二つだ。


「……その時代はちょうど権力があからさまに魔法管理機構に集中していた。検閲や特殊行政などが横行し、たびたび報じられては、人々から非難を浴びた。そうしておおきく勢力を伸ばした『反魔法主義団体』が、機構によって作られていくディストピアを危惧し、音無しを神としてまつりあげた。彼女自身は勤勉で誠実な人物だったが、魔法を使えない現代唯一の人間、神が与えたもっとも自然で崇高な人体、神の顕現として、最後亡くなるまで反魔法主義団体に追いまわされた」


 退屈してたから別にいいけど、話の行き先が見えない。


 かちっ、かちっ……僕たち以外に誰もいない待合室に、無機質な時計の音がかすかに鳴っていた。


「問題は、彼女が亡くなったあとだ。崇高な偶像を失った反魔法主義団体は、次なる神を求めた。音無しと個人的に親しかった当時本国の女王、ミレイニア陛下を『神の代理者』とする声がふくれあがった。崇拝の対象である本人たちの意向など歯牙にもかけない連中だからな。陛下もさんざん苦労して逃げまわっていたようだ。しかし陛下は現在一〇五歳であり、すでに譲位してずいぶん経つばかりか、このところ体調が優れないと聞く。おそらく、次の神を探さねばならないと彼らは焦りだしたのだろう」


「……ゼクーくん、なんか学校の先生みたいだね? これって歴史の授業?」


「退屈だからな」


 退屈だもんねー。


「純粋に魔法構造を持たない音無しは、この時代には決して生まれることが無い。リアナ・カナンその人がどのように生を受けたかは謎に包まれたまま、二人目は現れていない。また、現代人を音無しに改造することも不可能だ。魔力を吸い取って利き腕をつぶし、魔法を扱えなくしたとして、魔力を受けいれる身体的構造自体が消滅するわけではない」


 気づけば僕はゼクーくんの話に集中していた。


「世界各地に無数の拠点を持つ反魔法主義団体は、おのれの所属する拠点を神の出身地にすべく、いかに音無しに似た人体を創造できるかについて、それも、できるだけ若い女性であることを条件に、互いに手段を問わない血に濡れた競争を繰り広げるようになった。貴方が会ったあの兄妹、いや――」


 なんだか、部屋が寒い気がした。


「――妹のほうは、神にされる寸前だったところを、検閲課が先日保護した。そこでだ、魔術師。これは検閲官としての初任務となる。貴方にはあの四歳の子どもを救う手立ては有るか?」


 神になり損ねた、女の子。


 ――妹? こいつジサツミスイしたんだよ。


 陶器みたいな女の子の。


 頬の、白い冷たさ。


「……反魔法主義団体は、妹ちゃんに〈呪い〉をかけた」


「そのとおりだ。腐っても魔術師だな。精密すぎる〈呪い〉の陣になんの説明も無しに気づくことは難しいはずだが」


 記名式最終代償優先魔法、通称〈呪い〉。反対魔法は存在せず、術者のいのちと引き換えに発動するもので、術者の死後も効果が持続するたった一つの魔法だ。


 呪いは数えきれないくらい種類がある。うーん、なんと言ったらいいのかな。〈呪い〉の魔法陣は一種類なんだけど、呪いの効果が人によってぜんぜん違うのだ。


 呪われる人間がこころの底から渇望するものを、望んでいるあいだだけ絶対に叶わなくする。それが呪い。


「あの妹は、魔法を使ったことが一度も無いのだそうだ。生まれたときに余命宣告を受けて入院しており、寿命をさらに縮めることにならぬよう魔法の使用は徹底して禁じられた。そういう子どもを、反魔法主義団体は慎重に選びだす。……魔動式機械があふれ返る現代において、魔法を使えなければ非常に不自由な生活を余儀なくされる。たとえば自動販売機で飲みものを一本買うことすらも自力ではできない。周囲の家族や学友などが常日頃からいちいち魔法を使って面倒をみてやらねばならなくなるため、虐待やいじめの被害者になりやすい。『魔法さえ使えれば人権を得られるのに』という願望を強くいだくことになる」


 ――こいつジサツミスイしたんだよ。


「反魔法主義団体は、病気や深刻な機能不全家族などから子どもたちを救うていで誘拐してきて、呪う。あの子どもは、宗教に心酔した実母によって呪われた。代償として目の前で母親が死亡し、呪いの効果として魔法を使用できないからだになった。音無しほど完全ではないが、一応は神のできあがりだ」


 ――こいつジサツミスイしたんだよ。


 ゼクーくんはまっすぐに僕を見据え、平板な声で問う。


「魔術師。あの子どもの〈呪い〉は解除可能か?」


「う、ううん……僕が死ぬ気で魔法をかけても、無理。妹ちゃんの〈呪い〉は一般人が一人で発動したちっぽけな魔力だけど、代償を払い終えた記名式優先魔法だから、どんなに魔術師が魔力を尽くしたとしても破壊はできないよ」


「……そうか。ならば」


「一個だけある」


 僕は泣きそうになった。それは少年と妹ちゃんの幼い二人が背負う過酷なかなしみのこともそうだし、向かいあう美しい青年をおもってでもあった。


「あるよ。本人が『魔法を使えるようになりたい』と願うのをやめること。誰でも知ってる方法。そうしたら〈呪い〉は解けるよ」


 地下室で拘束されながらたくさんの願望を捨てきれずにいた。


 足掻いた。


 叫び続けた。


 疲れ果て、死ぬことにした。


 ――ははっ。『減るものは無い』? 君は恥ずかしげもなく無知な発言ができる側の大人なんだね。幸運でよかったね。……教えてあげる。あのね、希望とはエネルギーを喰らうブラックホールだよ。減るの。際限なくだよ。静止した絶望のほうが楽だ。あはは、この世すごーい! 僕は夢なんかもう見ない。期限切れ。もうなにも期待しない。自分だけを信じる。この手でつかむ。此処で自殺をして今度こそ自力で幸せになってやる――。


 呪いを受けた人は、九九・九九パーセントがその呪いを解くことができずに一生を終える。半分以上の人が、一年以内に自らいのちを絶つ。


 希望とは、致死性の病だ。


「ゼクーくんが僕に妹ちゃんを救ってほしいのは、顔に似あわず子ども好きだから?」


 床を見つめて、歯を食いしばる。


「それとも、あの子の〈呪い〉を僕がどうにかできたら、ゼクーくんが抱える〈呪い〉も、糸口が見つかるかもしれないから?」


 むせ返るほどの記名式魔法陣で埋め尽くされる、彼の半径数メートル。


 言われなきゃ見逃しそうになるくらい精密な陣の絨毯。


 尋常じゃない魔力密度。


 どんな体質の人間でも毎秒こんなのに囲まれ続けたら熱もだすよ。


 この人を呪うために何万人が死んだのだろう。


 いったいどれだけ恨まれたらこんな呪われかたをするんだろう。


 それで得た効果とはどんなものなのか。


 願望。


「もとよりさほど期待はしていない」


 抑揚の乏しい口調で淡々と締めくくり、またなにごともなかったみたいに紙の本を開くゼクーくんに、僕は投げやりに言った。


「君のやつがどんな効果の〈呪い〉なのかあててみるね。――表情筋が死滅する呪い! これめっちゃ自信あり!」


 希望が人を苦しめて殺すから、絶望して死ぬほうが幸せなんだろうか。


■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□


 いつもありがとうございます。今年もお世話になりました。よいお年をお迎えくださいね。ではまた来年会いましょう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る