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       ◆


「答えるって言ったじゃん、もう! 次の質問だからねっ。ちゃんと答えてよ? ――恋人はいる!?」


 僕は渾身の変顔をした。


「……ぶっ、ふふ……ふ、答えないじゃんほら、ふはは……! その顔ズルいよ! おねえちゃんの変顔レベル高すぎ! ……あ。もしや、あそこのこわい人が恋人だ!?」


 違う種類の変顔に切り替えた。


 質問者は僕を見あげて腹をかかえて笑い転げてる。呼吸しなよ、少年。「あそこのこわい人」はいつもの無表情を少々伏せて離れたとこの壁に寄りかかりなにやら小難しそうな本をめくってる。


「ねえねえゼクーくん、突っ立ってないで椅子に座ったら? 余ってるよ椅子」


 無視された。


「ぶっ、おねえちゃんフラれてやんの! あははは」


 今時紙の本を持ってるだなんて珍しいな。よほどのアンティーク好きかお金持ちか。


「ゼクーくんはきちんと座っといたほうがいいと僕はおもうんだよなあ」


「ぶははははは」


 もういいや。


 はい閑話休題。


 ココアを飲み終わって即連れてこられた病室は、窓が無い息の詰まりそうな空間で、薄い桃色の壁に囲まれ、ベッドと布団と小ぶりのテーブルと椅子数脚以外にほとんど物が無くて、にしてはだだっ広い。機構のなかのどっかにあるらしいことだけは歩いてて分かったけど、でも階段をのぼったりおりたり右に行ったり左に曲がったりしてるうちにわけが分からなくなった。


 六歳だという少年は僕の隣の椅子で脚をばたばたさせて駄々をこねた。


「友だちに言うんだから、魔術師にほんとに会ったんだってばっちり分かるやつ教えてよ! おねえちゃんなんでも答えるって言ったじゃん!」


 そんなことおっしゃいましてもー。


「なら、あれは!? 好きな食べもの! それとっ、リザンテラヒーローズのなかで一番かっこいいのは!? ぼくはねえ、ぼくはダークブルーが好きだよ!」


 次なる変顔が日の目を見るときがきたようだな。


 ……しかたないでしょうが。アイスココアしか口にしたことないし、なんとかかんとかヒーロー知らないしさ。


 クラスメートたちへの自慢話を手みやげにするため、少年はクレヨンを握り締めて必死に僕の手の甲を睨みつける。術紋を模写していいよ、と顕現してやったのだ。紋章は人によって異なるからこそ証拠にはなる。なるけども複雑極まりなく六歳の子どもに描けるものじゃなかった。それっぽい模様をふといクレヨンでぐにぐに描き、少年は好きな昆虫と僕の体重を訊いてきた。


 やんのか? 変顔のレパートリーは誰にも負けないよ?


 病室の中央にはベッドが横たわり、ちいさな女の子が白すぎる顔で目を閉じてる。遺体なんですと言われても納得できるくらい生気がない。一週間ほど眠り続けてるそうだ。四歳。少年の妹だ。


 機構で幼い兄妹がなにをしてるのか、何故女の子の意識がないのか、機構は二人をどうするつもりなのか、魔法で勝手に調べてしまうことも脳裏によぎった。


 しかし。


 ――個人情報の検索行為は極めて重罪です。ご遠慮ください。


 ――外では、でしょ?


 ――二度目は無いものとお考えください。


 此処はもう地下室のなかじゃあなかった。


 うん。本人に訊こう。


「少年さあ妹ちゃんってどーして寝てんの?」


 氏名は不明なので僕はこの子たちを適当に呼んでる。ゼクーくんから紹介がなかったうえ、少年は妹のも自身のも愛称すら明かさなかった。名乗り一つで殺される危険もある魔法社会では、至極あたりまえの感覚で、氏か名の片方だけならまったく危険は無いはずなんだけど、それでも現代人たちは名前の扱いに慎重だ。六歳だろうがなんだろうがそこは変わらない。じつに正常だった。教育を正しく受けてまともに育ったって感じ。


 少年はクレヨンをいったん紙から離した。


「ん、妹? こいつジサツミスイしたんだよ。魔術師のおねえちゃんもぼくたちみたくうんちすんの? うんち何色?」


 満面の笑顔でまたクレヨンをぐにぐに走らせる少年のあどけない横顔を、僕は途方に暮れて眺める。


「……ねえゼクーくん」


「ぶっ。おねえちゃんまたフラれてる! あっはははは」


「ねえってばゼクーくん」


 顧問は僕をシカトして読書し続けてる。


 あーこの人自分がしたいときにしか意思疎通をしない系の人間だ。くそか。ちょっといい人なのかもしれないなとおもっちゃった三十分前の自分を殴りたい。


「ゼクーくん。ゼクーくん、ゼクーくーん、アホ馬鹿くそ無愛想上から目線のシカト野郎病的甘党ねえってばあー」


 ひたと見据えられた。


 うっわ。


「ごめんなさい調子に乗りました二度と言いません」


「……なにがだ?」


 聞いてねえのかよ。


 少年の爆笑をBGMに僕は改めてゼクン様におうかがいすることにした。


「いまだなんの説明も無いわけですが、僕はなにをしたらいいの? 妹ちゃんの治療ならもう終わってる。まあまあ上手な処置だねっていう感想。おしまい。……で?」


 少年は瞳を輝かせながら謎の自信で魔術師のうんちの色は蛍光緑だと力説し始めた。ソースどこだよ。うんちがひかってるせいでフラれたらしい。


 わりと異常だとおもった。


 まともに育った普通の子どもだと何気なくさっきまで感じてたのに、急に少年の笑顔は僕にとって一八〇度意味を引っくり返される。


 無邪気ではいられない場面で無邪気であることは異常以外のなにものでもないよね。そして、それは異常な環境での正常な反応の一つと言える……。


 ベッドで死んだように目をつむる妹ちゃんに関して、魔術師の出る幕は無かった。計算式にのっとって忠実にイメージどおりの事象を起こすのが魔法であって、たとえば治療に必要な時間を極端に短縮したり、感情を操ってかなしみを取り除いてあげたりはできないのだ。


 どうやら人は魔術師を神かなにかだとおもってる節がある。


「あのね。僕から加えてできることは無いよ。この子は数日できっと目を覚ます。待ってなよ」


「そうか」


「そうだよ。ゼクーくんは僕になにを求めてるの?」


「……強いて言えば」


「強いて言えば?」


 やっと意思疎通をしてくれる気になった青年が本を閉じて一呼吸置き、よどみなく言った。


「入院中の妹から片時も離れない健気な小学生に、玩具を与えたら多少は気分転換になるのではとおもってな。精神年齢が同程度ゆえ適任だろう。貴方が玩具としての責務をまっとうするようおおいに期待する」


「……」


「ぶはははフラれ女妖怪だー!」


 と、そのとき突然病室のドアが荒々しく開け放たれた。〈結界〉を張る暇もなく、立て続けに数発の銃声が耳をつんざいた。

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