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       ◆


 開かれたドアで四角く切り取られて見える、四方八方かしましい談笑とカトラリーや食器のたてる音、ペンダントスピーカーから広がり落ちる古びたジャズ、天井に届く荘厳なステンドグラスの窓と色彩豊かな陽射しと、食べもののごちゃごちゃ混ざりあった匂いやら大小さまざまな魔力と人と人と人。きらきらとした四角。


 食堂は親しみのこもった乱雑な生活感と非日常的に整った透明感とが奇妙にとけあい、あたたかさに満ちて、そりゃあ初めの一歩はスキップで飛びこむに決まってた。


 途端に喧騒が水を打ったように静まり返ったけど。


「――」


 逃げ水かな。


 入口でぎょっとして立ちすくむ僕を置き去りに青年は歩調をゆるめることなく先へ行ってしまう。


「――……」


 見まわせば、人、人、人と目があう。そらされる。さざなみが立つみたいにあってはそらされる。目。目。目。一五〇〇席の食堂をおおいに混雑させる人数がいっせいに動きをとめ、つい今しがたおのおのおもいおもいのことをしてたのがまるっきり夢だったようにものすごい形相で僕を睨む。


 えー……。


 距離、を黙って眺めた。遠ざかってく青年に声をかけることはちょっぴりためらわれた。有無を言わさぬ口調の「ついてこい」をおもいだす。んなこと言ってもさあ。


 食堂は停止してる。異様な静けさのなかで古びたジャズだけがなにごともないふうに頭上から降りそそぐ。


 敵意。


 警戒。


 恐怖。


 嫌悪。


 畏怖。


 緊張。


 均衡。


 距離。


 殺意までの、距離。


 それでもなにかしら反応が返ってくるならそうじゃないよりはずっといい、ね。


 〈思考禁止〉と〈強制操縦〉をかけあわせた強力な装置をちょうだいして完全なる操り人形へ生まれ変わる予定だったはずの魔術師がある日突然自由の身で食堂へスキップしてきたら、たしかに、こうなるのかもね?


 ずいぶん先まで一人さっさと進んでた青年が不意に泰然と振り返った。


 沈黙が、息をのむ。おおきなひとかたまりの生きもののように食堂中が固唾をのんで青年に注視する。


 そういえばこの人もなかなかに目立つかっこうをしてるんだった。オッドベストのオーダースーツをかちっと着こんだ二十歳前後の青年。人を無条件に従わせる不思議な貫禄と背中まで流れる白髪が彼を老人のようにも見せる。左足を引きずり杖をついて歩くのに武力とかで制圧できそうな隙はぜんぜん無い。


 なによりあの気味の悪い美貌だ。色白の肌に長いまつ毛と伏し目がちの儚げな顔立ちが、前髪のあいだから覗いてる。繊細で冷ややかで暴力的に美しい。僕でさえそうおもうんだから、日常生活を正常に送りながら容姿やらなんやらにかかずらってる人たちにしたらとてつもない印象なんだろうし、その影響力を自覚してか知らないけど、青年は視線が自分に集まるのをあえて待ってる感じだった。


 十秒も要らなかった。とはいえこの空気のなかでは永遠に等しい時間だった。静まり返った食堂で青年は淡々と口を開いた。


「なにをしている、魔術師」


 魔術師がなにをしてようとこれっぽっちも興味が無さそうな調子で彼は気だるげに近くの壁へ寄りかかる。質問文のかたちをした命令文だ。ついてこい。僕は呆れた。決して青年の声はおおきくなかったがよく通るのでそのたった一言が食堂に堂々と響き渡りまくってた。うん。


 魔術師どころか食堂中の皆様がどうなろうと興味無さそうだね?


 人々がざわめきだす。やっぱり魔術師だ……えっ、魔術師なの!? でないと説明がつかないだろ? なんでこんなところに? どうなってる? ……食堂にのこのこ入ってくるなよ! 僕は大声で笑い始めた。ついてこいとか入ってくるなだとか爆笑するしかなかった。


 すごく睨んでくる大勢VS謎の検閲官一名。


 どっちがより自分にとって脅威でしょうか選手権大会が脳内で華々しく開催される運びとなった。後者の圧勝だった。わはは。僕は食堂中の視線を引き連れて二歩目と三歩目とその続きを悠々と突き進み、近づくにつれみんなが青ざめて武器や装置に手をかけていくのを尻目に、青年の目の前に立つ。


「……あのー、僕は人間初心者なので人間たちの空気を読む実務経験が無いんだけど、もしかすると僕を此処に招き入れるのなにかの間違いじゃないかな? ……じゃないですか?」


 返答は無い。


「えー……。出てったほうがよくない?」


「労力の無駄だ」


「はい……?」


「拒絶してくるものをわざわざ拒絶し返してやる必要は無い。おもねる必要もだ。出ていきたければ彼らがそうするといい。それに」


 青年はつまらなそうに鼻を鳴らした。


「これから面白くなるぞ」


 だったらもうちょっと面白そうな顔しなよ、と僕はごく普通の感想をいだいた。

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