1-07

 魔法がこの星で初めて観測されてだいぶ経つけどじつのところいまだに分かってないことは多い。つまり分かってることも多少はあるって意味で、その分かってるほうの項目の一個に、魔法は「魔力」と「魔法分子」の反応によって発動する、ってのがある。


 人間が放出する魔力と、空気中にただよう魔法分子。


 どちらか一方では成立しえないという絶対法則だ。


 ってことはだよ。「隔離室」という特殊な空間において、装置を問題なく作動させるためには、周辺の空気から魔法分子を調達できなくてもいいように、装置本体に魔法分子を内蔵させる必要があるよね。


 僕は立ちあがった。息切れはおさまってる。自分が作りあげた〈攻撃〉の数々を見おろした。手のなかで、ピアスとブレスレットの冷たさを確認する。なにかの石と金属でできたシンプルなアクセサリーは人体の温度を吸って徐々にぬるくなってく。


 装置を覆うシフォン生地のような〈カバー〉をほどけば、造作もなくその内部へアクセスできて、あとは自分の魔力を流しこむだけだ。魔力と魔法分子の両方が揃うんだもん。誰でも考えつくことなのに機構の職員は油断のしすぎて脳味噌が凍りついてるっぽい。


 ね。


 歴史が左右されるレベルの魔力を持って生まれた「奇跡の子」、この僕、唯一の魔術師に、ほんの数秒でも魔法を自由に使わせるだなんて君たちはずいぶん面白いことをするね?


 握りしめた左手のなかでピアスが熱を帯びる。痛いほど、熱い。離すものか。揺るがさない。からだじゅうを魔力が駆け巡る。五感が研ぎ澄まされ、荒れ狂う負の感情にのまれてく。間違ってたんだよ。


 まぶしくて目を開けてるのがつらかった。


 〈攻撃〉を三万七千二十二個広げてからひとつ残らず自分のフルネームを入れ発動するまでがだいたい五秒間かそこらだったとおもう。完遂、を最優先にしたくて時間をかけた。医師は僕たちが戦い始めたあたりで飛びだしていったきりだ。ドアの外で武装した数十人が隔離室を取り囲もうとする気配がある。目の前の戦闘職員は床に転がって死にかけ状態で痙攣してる。僕は彼女に〈保護〉と〈治癒〉を書く。


 ――まぶしくてつらいから、目なんか開けないままでよかった。なのに自分は悪魔にそそのかされた。今夜は晴れているので月と星がよく見えるとおもうんです。僕は間違って、美しいものを見てみようとちらっとおもった。ああ。最初からすべてごめんなさい。


「息を」


 低い。


「吸え」


 命令だった。


 ――――――鼓膜がぶち破られ腕が脚が首が五臓六腑引きちぎれて爆ぜあとかたもない肉体は火傷と凍傷を繰り返し地面へ真上に降下してくあああ、あ、あ、あ悲鳴をあげてるのに息を吐きだせないすさまじい重力は無音でひずみ暗闇が煌々と突き刺さるからまぶしさのあまり空気に溺れる。


「もう一度だ」


 低い声が抑揚なく命じた。


「息を吸え。ゆっくりとだ」


 わけが分からなくてすがるように酸素を貪ろうとするけどこの水のなかでどうやって呼吸をしろというの? パニックになってとにかく手足をおもいっきりばたつかせながら水面に顔をだそうとした。


「それでいい。もう一度。吸え。吐け。焦るな。深呼吸だ。いいな? 続けろ」


 喘ぎつつ無我夢中で振りまわす手足を相手は容易にさばいていき、膨大な魔力が制御不能になって暴走してるのも、あっというまに抑えこむ。なんだこれ。ちょっとずつ状況が見えてきた。僕は冷静沈着な指示に従ってとにかく深呼吸をする。


 えっと。


 引き続き自分は隔離室にいた。見慣れた天井を見あげてた。なにがあったか。全力でかけた三万七千二十二個の記名式〈攻撃〉を、魔法はいっさい使わず物理的に叩き壊された。ぜんぶ。は?


 あの数の陣を急激に破棄させられてさすがの魔術師もとんでもない混乱に陥り大ダメージを受けたのだけど、相手の誘導が気持ち悪いくらい的確だったためものの数分で呼吸が整い、全身の痛みが消え、精神的にも落ち着きを取り戻した。しかもさっき苦痛やばすぎて暴れまくってたとき怪我とかしないようにってうまく受けとめ、抱きあげて運び、ベッドへ寝かせてくれたみたい。


 は?


 魔術師の本気の魔力暴走をまともに浴びて廃墟へと生まれ変わった隔離室で、静かに僕たちは向かいあう。


 伏し目で無表情にこちらを見おろす青年は、時折長身をかがめて顔をのぞきこんできて、僕が元気になるのをたっぷりと待ったのち、ひどくどうでもよさそうに言った。


「私の名はグレイエス・ゼクンという。検閲課に所属している。貴方に用がある。立てるか」


 は……?


「立てるか」


 いや、えっと。


「ついてこい」


 さっと身をひるがえし、ドアを出ていってしまったので僕は慌てて駆けだした。走れる、くらいにもうあっさりと元気いっぱいだった。


 隔離室の外にはいかつい武器と防護服に身を包んだ数十人の突入部隊がひしめいてて、しかし青年は構わず闊歩し、人垣はそうするのがさもあたりまえって様子でなんだかうやうやしく割れてくから、僕は小走りに追いかけていった。なにこれ。なんなの?


「……あのー、何処に行くんですか……?」


 返事は期待せず一応訊いてみた。


「食堂だ」


 淡々と返ってくる。謎は深まるばかりだ。しかたがなく至極当然の質問を追加投入した。


「えっと……食堂でなにをするんですか?」


「食事をしろ」


 はあ……?

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