1-06
一瞬のことだった。ベッドに座る戦闘職員のからだがふわり浮きあがった。
――隣のサイドテーブルになにげなく置いた折れてないほうの手を軸に、突然、彼女が全身をおおきくまわし鋭い跳び蹴りを放ったのだ。僕のすぐ後ろは壁だ。全体重を乗せて横一直線に薙ぎ払う攻撃は右にも左にもさけようがないわけで、ふむ、えいっとわずかに腰をかがめた。
容赦ない風圧が頭上をかすめる。こんなにあっけなく間合いを詰められたんじゃあ念のために数歩距離を取ってたのとかまるで無意味で僕は笑ってしまう。よけられるとは微塵も予想してなかったらしい彼女が瞠目した。
壁に軽く着地しなめらかに重心を移動させ、僕のほうに肘を叩きこんでくる。低い姿勢でかわしながら相手の右腕をつかみ、引き寄せた。途端に視界の端で刃がひらめくのをとらえる。というか――。
おいおい。
この人、三角巾を放りだした挙げ句に折れた左腕めちゃくちゃ酷使してるんだけど!? おそろしすぎるだろ……。即刻離れて床を転がり、次々と繰りだされる短剣の斬撃を紙一重でやりすごす。
いったんまた距離を取るのが安全だとはおもいながらも僕はあえて彼女の胸もとに飛びこんだ。ひるんだ彼女の左手をおもいっきり殴りつける。からんっ――剣がフローリングに落ちる音とともに腹へ強烈な一発をお見舞いしてやると、相手は派手に吹っ飛んだ。
平衡感覚がおそろしくいいようだ。彼女は少しからだをひねり床へ片足だけつけて、僕が間髪入れず二段蹴りしたのを素早く受け流した。
わ。
二段蹴りは勢いを殺すように真下へ払われ、支えのない僕のからだは空中でバランスを崩す。なにが起きたか認識するまもなかった。胸に衝撃を受ける。刹那、世界は暗転し、気がついたときにはフローリングに両手両足を固定され大の字に横たわってた。
うっわあ。Cランクってすごいやばくてすごいー!
肩でぜえぜえ呼吸をする僕の横に戦闘職員が息も乱さずしゃがみ、言った。
「……場数が違うんですよ」
「はあ……っ、はあ、だろう、ね……」
僕はにやりと口の端を吊りあげる。
「戦闘職員さんさぁ……言うまでもなくさ、ろくに、からだを動かしたことがない魔術師が……はあ、はっ……機構の、戦闘職員、に――素手でかなうはず、なくない?」
「は? ならどうして」
わっは、間抜けヅラだあ。
「しかも剣まで、はあ、使って……ずっるーい。弱い者いじめだよ? ……ぶっ、あはは、はははははっ!」
「……」
大笑いする僕を彼女が軽蔑とも憎しみともつかない冷えきった目で睥睨する。
なぁんだ。
そんな顔も、できるんだ?
地下室で泣きじゃくってたアイスグレーの神様。
――あのときみたいに今だってきちんと緊張しておくべきじゃない、かな。隔離室へガスか薬品でもまいて僕を眠らせちゃうとかさ。空気を(魔法分子ではなく酸素のほうを)少し抜いてみるとかさ。ね。油断、しすぎなんじゃない?
僕はかたく握りしめたこぶしのなかの感覚をぎゅっと確かめる。
殴りあって勝てるだなんてこっちだってちっともそんなんおもってないに決まってんじゃん。
この左手には暴れまくった隙に気づかれぬよう自分のからだから取り外したピアスとブレスレットが握られてる。〈カバー〉の魔法陣が張り巡らされた魔動式装置だ。これをこうして握りたいがために僕はひと暴れしたのだ。
ひかりが、はじける。
隔離室中に目もくらむほど大量の〈攻撃〉が、多種多様な範囲攻撃魔法が、全方向から、びっしりと壁や床や天井や家具の表面やなんなら、なにもない宙そのものにまでびっしりと、隙間なく植えこまれた数千数万のそれらが、ギラギラリ濃密な殺意を放出し、世界を染め替える、死をもたらす、白くて黒いひかりの暴力。
急速に膨れあがる魔力で彼女はいっきに酔いがまわったのか、両手を床へついて激しく嘔吐し始めた。
「――どうや、って……う、ぐ……ぅ!」
服従するのはまっぴらだ。
「戦闘職員さーん? さっさと僕をとめないと、立て替え工事の予定の無いオフィスビルがうっかり更地になっちゃうよ?」
道具にされて生き延びるなんてごめんだ。
「げほ――どうやって魔法を……」
だからさ。
「どうって見たまんまだよね。機構職員のくせにそんなことも分かんないの?」
二十三時八分の空よ。
さようならっ。
――僕は三万七千二十二個の〈攻撃〉のすべてに「ロットー・テナ」と記名した。
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