1-03
◆
「その……此処で過ごしていてなにか足りないものとか困ったこととか、ないですか……?」
「えっ。……え⁉ ありがとう? それじゃあね、シャンプーの詰め替えもらってもいい? ポンプどうなってるのかなーって開けたらボトルを倒しちゃったんだ。ごめんね」
「シャンプーですね……シャン、プー……っと……ほかには?」
「あとはちょっとわがままなお願いなんだけど、支給の服をもう一着もらえると助かるなぁ。二着しかないと洗濯し忘れたり急に汚れたりしたとき予備の着替えがなくてさ。魔法が使えないってつくづく不便だよね」
「椅子にいたときはシャワーも洗濯も身のまわりのことはすべて魔法で行っていましたものね……服を……一、着……はい、ほかにありますか?」
「いいの? あとは訊きたいことがひとつ!」
「訊きたいこと、ですか……?」
「うん。あのね、戦闘職員さんはどうしてそんな包帯だらけなの?」
全身のあちこちに包帯を巻いて左腕は三角巾で吊ってメモ帳に「シャンプー×1、服×1」とボールペンで書くのも非常にやりにくそうにしてる彼女がきょとんと顔をあげた。茶色の前髪の奥で深い海みたいな青い瞳を困ったように揺らした。
白い壁に天井、白い電話機、白いシーツと布団、白い文字盤の掛け時計、白いエアコン、僕が着てる白いワンピース、見慣れてきた白ばかりの光景に来訪者二名はカラフルな非日常的要素を持ちこんで平然と其処に存在する。彼らにとっては気紛れに来たり来なかったり助けたり助けなかったりできるし僕はそれに翻弄されるのみであって、人間とは、他者の気分次第で簡単に死なされるのだとおもった。
「包帯、どうしてでしょうかねえ、ロットー様」
柔和な笑顔を浮かべて医師は長身をかがめつつ緑色の目を細めた。物腰はやわらかいのに不穏な言いかたで僕は嫌な感じがした。
――お連れするのに正直大変苦労いたしました。
他者へ危害が及ぶことを避けるために、来客の予定も無いあの広さの一人部屋で、わざわざ自分限定の記名方式をとった。
――椅子の〈拘束〉を外したときにあなたはご自身の膨大な魔力をほとんど初めて解放したわけですから、コントロールができずに暴走させてしまったのですよ。
陣を折りたたむ特殊な方法を何年もかけて編みだし、決行時に部屋の外を偶然通りかかるかもしれない誰かに万が一にも触れることがないよう、念には念を入れた。
――あなたの以前の居住地は魔力暴走によってしっかりと更地になりました。
僕は、もう、殺したくない。
――しかし、あなたがその気になりましたら、俺たちを瞬殺することなどたやすいでしょう。
「はいロットー様、診ている最中ですから、ベッドで死体のように横たわっていてくださいね。棺桶に片足突っこんでいたわりに死体のフリが下手ですねえ。おとなしくしてくださらないなら頭から爪先まで棺桶に押しこんで差しあげることになりますが?」
「……うん。おっけい」
「おっと。素直なあなたは不気味ですね。ご気分が悪いのですか?」
自分が。
「ちなみに俺は今気分が悪くなったところですよ。つい今しがた大変不気味な事象に遭遇いたしまして」
自分が、彼女をあんなふうにしたんだ――。
僕は天井を眺めながらじっとからだを動かさずに待つ。白い天井は、グラスに入れすぎた水が表面張力でぎりぎりのところを耐えるみたいに震えてる。こぼれ落ちる。音が遠のいていって、世界は輪郭を失う。滲む。とけあう。青白いひかりにぼんやりと照らしだされた地下室の暗闇を、おもいだす。
頭を優しく撫でる手がある。
「ロットーさん、泣かないで。わたしは大丈夫ですから。魔力のコントロールなんて練習すれば簡単です。一緒にやっていこう。ね?」
僕は頷いた。医師が僕の肩を軽く叩いた。
「よろしいですよ、起きあがってください。魔力の回復は順調です。この調子であれば一週間後くらいに練習を開始できるでしょう。よく休んでください」
僕は再度頷いた。医師が天然石でできたブレスレットを取りだして僕の腕につけた。
ブレスレットにはなにか魔法陣が細かく書きこまれてるのが見えた。装置、と呼ばれる魔動式機械だ。複雑な魔法陣を一から書いて詠唱するのは手間がかかるので、魔法陣をあらかじめ物に刻みつけておき、必要な場面で瞬時に魔力を流し使用する。大抵の装置は魔法陣が高度すぎるためと〈カバー〉で魔法陣を隠されてるために内容が読みづらい。なので医師が簡単に説明をしてくれた。
「魔力の調整をしやすくする補助装置です。治療に必要ですから処方いたします。あなたが地下室にいた頃からつけていらっしゃるピアスも装置ですね。厄介な、装置です。これは頃あいを見て外していきます」
「ピアス?」
「〈カバー〉で読みづらいですが、食事を不要にする生命維持装置です。飲み食いせずに今まで生きていらしたでしょう?」
医師が眼鏡をくいと持ちあげ、腕を組んだ。
「装置で簡易的に魔法を使うとはいっても、必要な魔力は本人がすべて負担いたしますので、一般人でしたらこのピアスを耳へつけた途端に大量の魔力が強制発動されいのちを落とすこととなります。本来は装置として機能するはずもないのです。そもそも、魔法で人命をどうにかできるわけがございません。計算上〈生命維持〉の魔法陣を作ることはできても、そのような魔法はもちろん現実的に破綻していますから、使った途端に魔力ぎれで亡くなってしまいます。しかしあなたは魔術師ですのでね。見事なものですよ」
つらつらと述べる。
「まあ、ピアスは明らかにからだには毒でしょう。医師としてこれを見過ごすわけにはまいりません。腹立たしい限りです。生命維持装置というより拷問器具といえましょう。今すぐぶち壊してやりたいですが、急に外すとピアスに今まで使っていた分の魔力がロットー様にのしかかり、ますます魔力のコントロールが……」
「……こうなるとラクロワ先生は長いんですよね……」
僕もそれ今ちょうどおもってた。長っ。て考えてた。おもわず吹きだした。戦闘職員も呆れたように微笑んで僕に肩をすくめてみせた。
くどくどと医師が長話をしているのを聞き流しつつ戦闘職員が僕の隣に座る。包帯が痛々しかった。彼女のあたたかさをおもった。ぬくもりを何度もくれたことを、おもいだした。ふわり抱き締められた。優しい、抱擁だ。彼女の左腕は三角巾のなかだけれど、右腕は僕をそうっと包みこむように背中にまわされた。
かすかに、背後で物音がした。
隔離室の空気が不自然に張りつめていた。
僕にだけは、気づかれないように、張りつめていた。
優しい抱擁。
――僕は戦闘職員を突き飛ばした。
彼女の右手には〈思考禁止〉と〈強制操縦〉をかけあわせた強力な装置が握られていた。
マーフィ・Eは不敵な笑みを浮かべる。
「……操られてくれる気はなさそうですね。ははっ。失敗しちゃいました」
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