1-02

       ◆


 静まり返った空間を着信音がけたたましく切り裂いたのはある日の夕方だった。僕は電話の取りかたを知識としては知ってたけどからだが動かなかった。電話は鳴り続けていったん切れ、再び鳴る。音に急かされておそるおそる握った白い受話器は、耳に冷たい感触を伝えた。


「……あ、えっと、その、お疲れ様です。秘匿部マーフィ・Eです」


「……」


 電話ってほんとうにここから声がでるんだ。


「あの、聞こえていますか……? あなたを迎えにいったマーフィです。えと、お久しぶりですね。体調はよくなりましたか……?」


 なんつーか。


 もっと自信持ってほしい感じにおどおどとした、相変わらずの声だった。


 拍子抜けしてしまう。何週間も放置した挙句にあまりにも普段どおりって口調だったんだもん。止まっていた時間が動きだす。彼女の背後からは遠い話し声や衣擦れや書類をめくる音や足音やそういうなんでもないにぎやかな雑音たちがほどよく聞こえてきて僕は冷たくてちっとも手になじまない受話器を握り締めて吸えるだけの息を肺に入れた。


 神様へ。聞こえてますか。


「やっ、……ほーっっっ! 戦、闘、職、員、さあああああん!」


「きゃあっ」


「お、げ、ん、き、で、す、かああああああああ!」


「ふふ。ロットー様、そのように叫ばれなくてもよく聞こえておりますよ」


 医師さんもいるんだ。嬉しかった。


「ロットー様、おからだの調子はいかがですか?」


「魔法をおおおお! 使え、なくてえええ! 不便だよーっっっ!」


「ええ、そうでしょうね。覚えていらっしゃらないでしょうが、椅子の〈拘束〉を外したときにあなたはご自身の膨大な魔力をほとんど初めて解放したわけですから、コントロールができずに暴走させてしまったのですよ。お連れするのに正直大変苦労いたしました」


「……ごめんね?」


「いえいえ。今ご滞在いただいている隔離室は空気を抜いてありまして、あ、空気というのは酸素ではなく魔法分子のことですが、隔離室のなかではどれほど魔力をお持ちでも魔法が使えないのです。ご不便をおかけしますが、魔力コントロールが不安定なロットー様を治療させていただくのに適した環境です。ご理解くださ――おっと」


 おいヤブ医者どけ! これが魔術師か? あれっ、意外と可愛い声じゃん。どれどれ? ほんとだー。などと初めて聞く声がいくつも混ざりこんできて僕は困惑した。声や物音がおおきくなって何人かが電話の近くに集まってきてるってことが分かった。


 ちゃんと、繋がるんだ。窓の無い部屋を見まわす。なあんだ。ちゃんと繋がってる。膝のちからが抜けた。魔術師ちゃん、聞こえる? テレビは見た? 好きな番組どれよ。おいオレにもしゃべらせろ! 僕は電話を聞きつつ木製のライティングビューローへ寄りかかった。


「――よいしょっと。皆様邪魔ですよ。邪魔なのは任務中のみにしてくださいね。能力の欠如による結果的な邪魔はまだ理解の余地がありますが、意図的に図体を邪魔な位置に置くのはいかがなものかとおもいますよ。さてロットー様」


「医師さんって友だち少なそうだね。僕が友だちになってあげよう」


「それはこころ強いですね? ふふ……」


 こわ。爆笑。


「ロットー様。魔力の暴走を懸念してのこととはいえ、隔離室に長期間閉じこめるかたちとなってしまい申し訳ございません。ご連絡が遅くなったこともお詫びいたします」


「友だちだから許しちゃう」


「ふふふ……」


 わー、こわーい。


「遅くなった理由ですが、別件で少々立てこんでおりまして、さきほどやっと帰ったばかりなのです。あなたを診られるのは俺だけですから、不在のあいだご連絡できずにおりました」


「おっけい。僕は待つのすっごく慣れてるから、いいよ! いいけど、今からなら此処を出ても構わないよね?」


 軽い調子で続ける。


「外を見たいなーって」


「……」


「見せてくれるって約束だった」


 とくんと心臓が鳴る。


 医師さん、どうして黙るの?


「……驚きました。外にご関心がおありなのですね。一度もドアに近づこうともなさらなかったとうかがっております。まあドアは鍵がかかっていますが、にしても開くかどうかを試しもしなかったので、てっきり興味をお持ちではないのだと」


 え?


「しかし、えーそうですね、このオフィスビルは今のところ建て替え工事の予定が無いものでして、あなたが隔離室から廊下へルンルンで踊りでた途端にうっかり此処を更地にしてしまうなどということがございますと、俺たちはどうにも困ってしまうのですよ。ちなみにあなたの以前の居住地は魔力暴走によってしっかりと更地になりました」


 あれ?


「まずは治療にご専念いただき、体力をつけ、魔力のコントロールを覚えていただく必要がございます。そうですね……では、診察にうかがってもよろしいでしょうか」


 あれれ、僕、えっと……。


「本日午後のご予定はいかがですか?」


「あの、医師さん……」


「はい?」


「僕、ドアから出るっていう発想が無かった」


 ライティングビューローに寄りかかったまま右手側を向くとしゃれた木目調のフラッシュドアが白い壁に堂々とはめこまれてるのが見えて、それは最初の日から其処にずっとなにくわぬ顔で在ったんだけど、あれれ、僕はドアから出るっていう発想をそもそも持ってなくて、知識としては知ってたのに、その、とんでもなく。


「ふふふ、ロットー様は意外と間抜けでいらっしゃいますね?」


「あはは、そうみたいだねぇ」


 ずいぶん間抜けなことだとおもった。


「ラクロワ先生、ひどいことを言わないでください! ……えっと、えと、ロットーさん。間抜けなんかじゃありません。これまでやったことのないいろいろな経験を、これからしていきましょうね」


 彼女に抱き締められたときのぬくもりをおもいだした。地下室はうだるような七月下旬で、窓も照明も無く、〈自殺用攻撃〉で青白く照らしだされて、それでも暗かった。僕は言葉につまった。今なにかを言ったら声が震えてしまいそうだった。


 繋がってる。


 その事実が胸にすとんっと落っこちてくる。


 黒い地下室から白い隔離室へきて世界は華やかに色づく。


 きっと外は鮮烈だろう。


「診察にうかがいますのでご都合のよい時間をお教えいただけますと幸いです」


「医師さん、僕は孤高な魔術師だからね。予定なんてものに縛られてないのさ。友だちである君に診察時間を決めさせてあげちゃう」


「それはそれは。なんのご予定も無いロットー様こそご友人が少ないようですから、俺が友人になって差しあげますよ」


「優しすぎて泣いちゃうー!」


「ふふふ」


「あはは」


「……二人とも仲よく嫌味言いあうのやめませんか……? ね、ラクロワ先生、今行きましょうよ。ロットーさんもどうですか?」


「いいよ?」


「よかった。ありがとうございます。わたしは早くあなたに会いたかったんです……」


 受話器を置いたあとしばらく涙がとまらなかった。これからなにが起こるかも知らずに僕は、自殺しないことを選んでよかった、だなんて馬鹿みたいに浮かれた思考で泣いていたのだ。


 ほどなく焦げ茶色のドアがノックされた。

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