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「お忙しいところ恐縮ですが、じきに上司がまいりますので、ロットー様にはこのまま我々と何時間であろうとお待ちいただきます」
なんなりとお申しつけください、と言った舌の根も乾かぬうちに飄々と医師が言いのけるからその隣で戦闘職員はたちまち顔面蒼白になってしまった。
「あと九分三十秒は呼びたいだけ呼んでパーティーでも開いたらいいよ。それ以降は死刑ね」
「ご指定の時間までに上司が到着する可能性はきわめて低いものと存じます。あの人は脳の大半が腐った卵でできておりまして、予定どおりに行動したためしがないのです。申し訳ございませんが何時間であろうとご辛抱ください」
「一分経過、あと九分でーす」
真っ青で歯を食いしばってる戦闘職員のほうを見やった。七月下旬にトレンチコートを着てきておいてものすごい震えようだった。一応戦闘職員としての責務を果たすべく前に進みでて医師を背後に庇ってる。ははは。健気で可愛いことだね?
椅子に容赦なく拘束された僕のからだは視線と口くらいしか動かせるとこがない。それでも自分は検閲官たちに誠意をもって視線と言葉の両方を向ける。できることはするということ。君たちとは違う。叫びたくなる。
だから僕は戦闘職員に微笑みかけたのだ。
「ねーえ。マーフィ・Eさん。煙草吸いなよ」
「――――――え」
「構わないよ。また泣かれると困るもん。煙草でも吸って気持ちをしずめたほうがいいんじゃないかな。僕は分煙とか気にしないから〈壁〉や〈送風〉をかけなくて大丈夫だよ」
空気が凍りついてる。おかしくて僕はクスクスと笑みをこぼす。
「えっと、なん、で、わたし、の、」
「マーフィ・エ……あ、フルネーム呼びは違法だっけか。詠唱のなかに入れられたら記名式魔法になっちゃうかもしれないってことで禁じられてるんだよね? ふん。外のルールなんか僕には一生関係無いけど。よし」
愕然としてる二人につらつらと続けた。
「名字はマーフィ、ファーストネームがエマさん。魔法管理機構の事象調整部検閲課にいる二十九歳、暗殺班のメンバー。国際戦闘資格ランクはAからGまで七段階中のC。全体で考えたらまあまあ、戦闘職員としては最低ラインギリギリ。担当案件も軽めののみ。今どき珍しい喫煙者。銘柄はロング・ブルーウエイン・ミント・一ミリ。吸って落ち着くなら、吸いなよ」
「ど、うやっ、て……」
僕はせせら笑う。
「いくらでも調べようがあるよ? 魔法防諜課がなにやら小細工してるみたいだけど、ははっ、防諜できてなさすぎて失笑だね。なんなら他国でスパイやってる職員たちのことそれぞれの王宮に密告してみせようか」
「……個人情報の検索行為は極めて重罪です。ご遠慮ください」
「外では、でしょ? ラクロワ・N先生。名はノアト。開発部魔法医療課所属、事象調整部検閲課に常駐。二十四歳。機構で義務づけられてる国際戦闘資格は、才能無いにもほどがあるだろレベルにひどい成績で、Gすら取れず万年研修生、とはいえ医師として能力がずば抜けてるため事実上免除。魔法外科全般に明るく、魔法による病気や怪我を専門分野の垣根越えて――」
「ロットー様」
低い声だ。医師はそれきり口を閉ざし眼鏡の奥からものすごい目つきで睨んできた。
「わお。怒った?」
「……いいえ。あなたの生まれ育った環境等に関してご事情を配慮いたします。今後徐々に覚えていただければ結構ですが、二度目は無いものとお考えください」
〈冷房〉のよく効いた真夏の地下室できらきらと文字列が控えめに輝いてるのが視野の端に映る。
「二度目があったら、医師さん。君は僕になにをするの? ――なにが、できるのかな」
唐突だった。
床中を覆う〈攻撃〉が危うい感じにうごめいた。無理矢理の一時停止に耐えかね消えてしまいそうになり僕はわりと必死に陣の維持につとめる。暴発しそうだった。いいかげんにしてよ。止めておくの結構疲れるんだってば。ああ。殺意をこころの奥深くにねじ伏せる。
戦闘職員は〈攻撃〉の派手な動きを警戒したらしい。半泣きで医師をもっとさがらせて魔力増強の装置へ右手をかけた。
賢明な判断だ。僕ならこの宙に浮きっぱなしの〈自殺用攻撃〉をどうとでも書き換えて彼らを瞬殺できるからだ。愚かな判断でもある。君ごときがこの僕と戦えるつもりなのかな。
「ところであと五分だね。言うまでもなくCランクのマーフィ・Eさんには荷が重い任務だよ。はなから分かってたでしょ? 実力に見あわない仕事を女の子一人に押しつけるなんて、なかなかブラックな職場だよね。パワハラがこわいから検閲官のお仕事は断るよ」
「でもっ、あの……」
「なんでAランクを五十人以上連れてこなかったの?」
もうこの人たちに優しく接する意思がなくなっていた。心配したり、迷惑をかけないようにしたり、攻撃を控えたり、そういう自分との決めごと、たましいと結んだ誓いのことをもう守れないと感じ始めていた。
こわい。
「なんで検閲官が今さら話しかけてくるの?」
「だ、だって、急におかしな魔法をかけようとしていて、放っておいたらすぐにでも死んでしま――」
「なんで今日までは一言も返事をくれなかったの?」
こわい、なぁ。
全世界が溶けだして輪郭を失う。ぼたたっ、ぱた、とっくに涸れたはずの涙があとからあとからあふれて黒い七月を滲ませていく。感情に呼応し、文字列の青が揺らめいた。碧空を映した海面が波にこまかく砕けるみたい。
「なんでアイスグレーのトレンチコートを着た人たちが毎月一人ずつこの地下室に来たの?」
「え、と、あなたの体調が心配で様子を――」
「なんで『助けて』って泣き叫んでも無視したの?」
「えっと――」
「なんで毎月、毎月毎月全員が無言で見てるだけだったの?」
「それは――」
「なんでもいいから返事をしてよって、頼んだのに、何十回も、あんなにお願いしたのに、一度来た人は二度と来ないけどみんな揃ってアイスグレーのトレンチコートを着てたからちゃんと判った、いつか地獄から解放してくれる神様たちなんだって子どものとき信じてたよ、ねえ、なんで無視したの?」
要人の死を阻止し未来史に介入する仕事。
魔術師は「要人」だ。検閲官になりませんかと勧誘する以前に、この二人にとって僕は保護対象だ。
魔法管理機構へ魔術師を引きこめるかどうかは歴史におおきく影響するんだろう、だから待ってた、機構の上層部は機が熟すのを待ってたんだ、拷問を受けて、異常な速度でどんどん膨大な魔力が育って、歴代の魔術師を軽く凌駕し、十五歳の少女が、類を見ない戦力へとなるまで待てるだけ待って、今やっと僕のことを獲得しにきたんだ。
あはは、この世すごーい。
「救いとは当然、期限が在るものだよね。なんであのとき返事をしてくれなかったの? なんで今さら話しかけてくるの?」
嗚咽でまともに声がだせてないかもしれない。全身を無数の拘束で固定された僕は自分の涙をぬぐうことすら許可されてなくて、動かせないからだとかいのちとかを放棄したままただただ雫を落とす。部屋が暗くてよかったとおもった。ああ。夏なんて大嫌いだな。
「なんで僕が検閲官になってそのトレンチコートを着るだろうって君たちはおもえたの? そんなに魔術師が欲しいんならなんでAランクを五十人以上連れてこなかったの? ちからづくで屈服させる以外に方法なくない? なんでお前ら二人なんだよ――!」
生まれて初めて返事をしてくれた。
一緒にどうでもいいことで笑ったりした。
優しく肩を揉んでくれたし、僕のために部屋を涼しくしてくれた。
此処から出してくれるって言う。
外はどんなとこなんだろう、なぁ……。
「僕は魔法管理機構を許さない」
〈冷房〉を見てわくわくした。外にはこんな魔法の使いかたが在るんだって衝撃。地下室に閉じこもって検索するだけじゃ限界がある。言語とか、マナーとか、ジョークとか、芸術、政治、アニメ、雑貨、宗教、食べもの、スポーツ、ひたすらに、知りたいものは片っ端から検索し尽くしてもう検索項目も浮かばなくなり、でもいつか此処を出られたときに人間たちの会話へちゃんと混ぜてもらえるようにって、おもったから、勉強ばっかりし続けて、僕は確信するしかなくなっていった、生きてても進展は無いんだなと、確信してもなお調べた、もう検索項目なんか無い、無いんだよ、けれど。
外には独りじゃ考えもつかなかったようなものがたくさん在って実際に手に取って肌で触れたらきっとそれは想像も絶するほどにどうしようもなく、美しい。
「あの……椅子の〈拘束〉をわたしが解きます。一度だけ空を見てみませんか? 死ぬのは明日にしてもいいんです。減るものは無いですから、だから……」
「ははっ。『減るものは無い』? 君は恥ずかしげもなく無知な発言ができる側の大人なんだね。幸運でよかったね。……教えてあげる。あのね、希望とはエネルギーを喰らうブラックホールだよ。減るの。際限なくだよ。静止した絶望のほうが楽だ。あはは、この世すごーい! 僕は夢なんかもう見ない。期限切れ。もうなにも期待しない。自分だけを信じる。この手でつかむ。此処で自殺をして今度こそ自力で幸せになってやる――」
きつく、抱き締められて、いた。
声が。
出ない。
――いざというときに魔術師と戦うために魔力増強の装置を握っていたはずの右手と、咄嗟にホルスターの拳銃へ伸ばせるようにしておかないといけない左手を、無防備に僕の背へまわして。貪るように強く彼女は僕を掻き抱いていた。
震えがとまってる。
鼓動が伝わってくるような感じがする。
互いの呼吸が聞こえる距離。
彼女の髪がさらり僕の頬を撫でる。
体温を、移しあう。
初めて経験するぬくもりだった。
こういう感覚なんだな。
人。
あたたかい、なぁ……。
「今、今ね、時刻は二十三時八分です。今夜は晴れているので月と星がよく見えるとおもうんです」
〈タイマー〉が十分経過を知らせて視界の端でぴかぴか点滅し始めた。
「空を。あなたへ手渡します」
――牢獄の床を埋め尽くす〈自殺用攻撃〉が音も無く霧散した。とうとう無茶な一時停止に耐えられなくなったんだと僕は内心で言い訳した。寒気がひどく、頭も痛い。思考がうまく働かない。視界がぐにゃぐにゃと曲がりくねってどれが正しいのか間違ってるのか判らなくなる。魔法を使いすぎた。検閲官たちを惨殺したりとかできる体調じゃないかもしれない。と、おもいたかった。
抵抗できない状況で拉致されるならやむを得ないよね。
いつのまにか目の前に歩いてきてた医師が僕の額に無造作に手のひらを置いた。
「およそ三十九度といったところですかね。魔法乱用によるものです。しばらくおおきな魔力の使用は禁止いたします。ロットー様、俺に治療をさせていただけますか」
僕は朦朧としながら頷いた。どうにでもなれと投げやりにそうしたのに、頬をぬぐってくれる手が優しくて次々涙がこぼれた。
意識が遠のいてく。
月と星々は透明な空気を幾重にも重ねて黒くなった夜空のなかにぽっかり浮かんで孤独な人を導いてくれるっていろんな小説に書いてあった。
君、それってほんとう?
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