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 白衣とは言っても白じゃなくアイスグレーだった。何色でも白衣か。言葉って面白いね。


「ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。この場は戦闘職員に任せるのが最適と判断してのことです。俺は単なる医師にすぎませんのでお近くにはうかがえませんが、ご容赦ください」


 だいたい十メートルかな、ずいぶん遠くからおだやかな口調で述べて医師は微笑んだ。好青年だった。床に広がる魔法陣以外には明かりの無い暗い部屋で、顔をあげた彼を見て僕はびっくりした。


 まだ二十代半ばだ。へー。医師にしては若いね。確か、通常では資格を正式に取れるまで少なくてもあと五年は必要なはずだった。僕は軽率にこの人物に興味を持った。


「うっわ。戦闘職員じゃないから泣いてても知りません? 分業体制の典型的な闇じゃん。『とても優しい先輩たちばかりです』って今さっき言ってなかった? 優しい先輩から十光年くらいかけ離れてて笑う。求人詐欺」


「恐れ入りますが訂正させていただきます。十光年ではなく十メートルです」


「お近づきになろうよ。ね? 難しいことはしなくていいんだよ。戦闘職員さんにティッシュかタオルを渡してあげるだけでいいとおもうの。医師さんでもきっとできる。うん。僕応援しちゃう」


「心苦しい限りですが」


 医師は丁重に頭をさげる。


「まだ俺は死ぬわけにはまいりませんので、ご要望には添えかねます」


「……死なないよ? ぜんぜんだよ? なんで女の子にティッシュ渡すだけでそうなるわけ?」


 物腰はやわらかいけど頭はかたそうだった。発言の冷たさに反してあたたかい微笑みの医師を僕はにこにこと眺める。


 唯一の光源、部屋中の床に張り巡らされた〈自殺用攻撃〉魔法が、人間を即座に殺害できるだけの熱量を内包し、寒色系のひかりとなって、彼の笑顔の裏のその猜疑心をぎら、ぎらっ……照らしだしてる。


「OK。では医師さん、こうしよう? ――足元をご覧ください。かけっぱなしになってるこれは殺人系ではあるけど、記名式です。名前、っていうか、フルネームを書き入れる範囲限定のやつ。ターゲット以外にはなんの害もないタイプです」


 説明してあげた。床に折り重なって薄く発光する文字列のなかから分かりやすいよう僕のフルネーム部分を斜体の太字にしてもみた。


「というかだよ、大前提としてさ、君、名乗ってないじゃん。名前なんていくらでも調べようがあるけど、問題は、相手の口から一度でも直接フルネームを言ってもらったことがないと、記名式の魔法はかけられないってこと。魔法の絶対ルールの一個。もちろん、記名なしのほうじゃ普通は人を瞬殺できないしね。だから君はいきなり死んだりしないよ。近づいても危なくないから、そんなとこに突っ立ってないでこっちで彼女をなんとかしてあげてよ」


 まあ、こんな基本中の基本を魔法管理機構のエリートに説明するまでもないとはおもいつつ。


「さようでございますか」


 部屋がぼやけた。目の焦点があわないのだ。不快な脂汗が頬をつたってぽたぽた床に落ちてく。僕もティッシュほしくなってきたかも。正直しゃべるのもやっとって感じだし手が震え始めてた。こっそり深呼吸をする。


 発動しちゃったあとの魔法をとどめおくのは馬鹿みたいにしんどいんだよね。


 医師は一歩も動かず、柔和な笑顔も崩さずに眼鏡をくいと押しあげ、射抜くような視線で言いきった。


「しかし、あなたがその気になりましたら、俺たちを瞬殺することなどたやすいでしょう」


 どこからどう見ても礼儀正しく微笑んでる医師の、眼鏡の奥は、笑ってない。


「そうではございませんか? ロットー様。――氏はロットー、名をテナ。世界唯一の魔術師。誰しもが魔法を使うこの社会で、数十年から数百年に一人しか生まれない、たぐいまれな魔力を持つ奇跡の子。あなたならば、記名せずとも適当な陣で俺たちを粉塵のごとくしてしまわれるでしょう。じつに」


 彼は鋭く部屋を見まわした。


「じつに素晴らしい魔法です」


 客人へすすめる椅子も無い殺風景で狭い部屋の床を、ちっぽけな魔法陣が覆い尽くしていて、正確には、部屋が狭いためにちっぽけな魔法陣すらもはみだすので、此処におさまりきるよう折りたたみさらにちっぽけにした複数枚の文字列で、その狭すぎる部屋、つまり、平均的な校庭ほどの広さ、一室というには広大な、空間を、埋め尽くしてもあり余る〈自殺用攻撃〉を、彼は見やった。


「発動中の魔法を一時停止させる技術はいまだかつて耳にしたことがございません。これほどのおおきさになるひと続きの陣も前例はほとんどないものと存じます。あなたはいっけんなんの変哲もない十五歳の少女です。しかし、一言『あと何秒か』と語気を荒げてみせただけで、国際機関の戦闘職員をあっさりとパニックに陥らせる危険人物です」


「そだね」


 突っ立って尋常じゃない泣きかたをしてる若い女性を僕は一瞥した。罪悪感がぶわーっとなった。


「だからこそ、同業者の君が支えてあげてよ」


 彼女が部屋に足を踏み入れた時点からひどく緊張してるのは分かってた。そりゃあそうだ。椅子でもあればよかったんだけど。


 そもそも、他者へ危害が及ぶことを避けるために、来客の予定も無いこの広さの一人部屋で、わざわざ自分限定の記名方式をとったのだけど。


 陣を折りたたむ特殊な方法を何年もかけて編みだし、決行時に部屋の外を偶然通りかかるかもしれない誰かに万が一にも魔法が触れることのないよう、念には念を入れたのだけど。


 慎重に。


 やったのだけど。


「言いかたを変えようか、医師さん」


 僕は、もう、殺したくない。


「――そばに来て彼女をなんとかしろ。命令だよ。世界唯一の魔術師が、たかが十メートルのせいで相手を殺し損ねるかどうか、身をもって試してみる?」

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