私と沈んで


 安藤瑠奈はこの世界から消えた。

 別に不思議でもなかった。

 いつか、死ぬ。

 そんな雰囲気が、彼女からはずっと流れていたから。

 だから、悲しくなかった。

 尊敬しているはずの小説家が死んだのに、悲しくなかった。

 私は彼女の書いた小説の中の子のように、狂わなかった。

 彼女のことを、友達と思っていなかったのかもしれない。

 それか、もう、私は私の世界を持ってるのかも。

 でも、何か嫌だった。

 彼女の世界で生きたかったから。

 だから多分、胸が引き締まるような気分なんだろう。


 4日も悩んで、彼女がよく小説を書くのに使っていた離れに侵入して、PCをとってきた。

 こんなことをしたことのなかった私には、尋常じゃない勇気がいった。

「あれ?ない」

 家に帰って、彼女のPCの小説フォルダを探しても、ないのだ。

 すると、

 "星井さんへ"

 と書かれたフォルダを見つけた。

 おそるおそる、開く。


「生前の約束通り、海へ捨ててください」


 それだけだった。

 それ以外に何も、どこを探しても、書かれていなかった。

 それに、小説も、なかった。

 気づくと私は、暗くなった部屋で寝転がって、ボーッと天井を眺めていた。

「何が楽しくて、生きてんだろ」

 そういえば、彼女がそんなことも言ってたっけ。

 あの頃は意味がわからなかったけど、今ならわかる。

 でも、昔の私に戻るだけな気がした。

 誰かの言うとおり生きてればいいや。

「それ、生きてて楽しい?」

 PCの方から、彼女の声が聞こえた気がした。

 同時に、彼女がまだ、生きてる気がした。

 そんなわけないのに。

 そして何を思ったか、PCを持って、私は家を出て海に向かった。


 海は広くて、大きい。

 私は広くて、小さい。

 くだらない正義を毎日執行して、私の常識、じゃなくて、人間の常識を押し付ける。

 それで喧嘩になって、ギャーギャー喚く。

 自分の正義でもない、誰かに押し売られたゴミみたいな正義。

 そんなことで、揉める。

 そんなことで、大切な人を失う。

 哀れな生き物。

 哀れな人間。

 全部、哀れってわかってて演じてるから、誰よりも醜いんだよ、私。


 人間は、私より、もっと前に産まれて生きていた人の経験から得たモノを糧に、生きている。

 これのせいで、私は今まで、17年間、たった数十年、私より生きた人達に命令されたとおりに、ロボットみたいに生きてきた。

 それはそれは楽で生きやすい世の中だった。

 周りはみんな私を褒める。

「お前はいいヤツだ」

「あなたは友達思いだね」

「協調性もあって、打ち解けやすい」

「会話も面白い」

 実際私は気持ちよくて、永遠にロボットでいいや、なんて思っていた。

 安藤瑠奈と出会ったあの日も、同じことを繰り返していた。

 新しいクラスメイトと、社交場のための様な笑顔を振りまいて、友達かどうかもわからない存在を作る。

 それを、彼女に見られていたらしい。

 そして、それの自覚が私にないことも、彼女は見抜いていた。


 夜中、真っ暗な海に着いて、ここまで鞄に入れて大切に持って来たPCを取り出す。

 そこで、再度開いて、そこにあったはずの小説のフォルダを自分で作った。

 最後に書いていたはずの小説の内容を、私だけは知っている。

 私なら、書ける。

 息を大きく吸って、真っ暗な海を見下ろす。

 そして、私は、深い深い闇に、飛び込んだ。


「私に、会いに来たんだね」

 彼女が、遠くで、立っているのが見えた。

「私、やっぱり、あの世界じゃ、生きていけない」

「星井さんだけの、自分だけの世界を、持てばいいよ」

 私を慰めるような、そんな優しい顔で、彼女が語りかけてくれる。

 生前では、見たことがなかった。

 常に何かに追われているような顔をしていたから。

「星井さんの世界、私に見せてほしい」

 真っ暗な、何もない世界の中、彼女が私に歩み寄ってくる。

「私の世界なんて、ないよ」

「でも、今、見せようとしてくれてる」

「そういえば、昔、そんなこと言ってたね」

「小説を通すと、お互いの世界が、見えるんだよ」

 彼女が、私に、よく言っていた。

 "小説は、人の世界を、現してくれる"

 私は、彼女の最後の小説の内容を知っていた。

 だから、私なら、続きを書ける。

 私なら、彼女の世界を終わらせられる。

「安藤さんの世界に、私の世界を加える」

「私もずっと、星井さんといたいな」

 まるで、対話してるみたいだった。

 お互いの世界が干渉し合って、私達の意識が混在していく。

 気持ちよかった。

 深く深く、沈んでいく。

 だんだん意識も遠のくような、一体化するような、抱きしめられているような…

 ずっと、話していたい。

 それでも、小説を全く書いてこなかった私には、そんな長い対話をすることは、叶わなかった。

「もうすぐ、終わるね」

 彼女が悟ったように、言ってくる。

 悲しいような、嬉しいような、そんな顔が、はっきり見える。

「何にでも終わりは来るって、安藤さんも言ってたね」

「この小説も、もう、終わる。星井さんと話せるのも、残り短くなっちゃったね」

 そういうと、今までの私と彼女の思い出が、走馬灯のように流れ出した。

 初めて彼女と話したシーン。

「私、初対面の人に酷いこと言ってるね」

「今更気にしてないし、安藤さんが私にああやって言ってくれたおかげで、私は私になれたんだよ」

 そっか。と照れたように下を向いている。

 この子、ずっと思ってたけど、可愛いんだよね。

 私達はゆっくり、暗闇を歩いて行く。

「仲のいい男の子がいたこと、星井さんに黙ってたね」

 何かを思い出したように、彼女が言った。

 そんな人がいたことを、私は、PCをとってきてから知った。

「まさか、後を追うなんてね」

 私が言うと、

「私は彼の世界も、見たかったな」

 と、心残りなように、寂しそうに、言った。

「それでも、星井さんの世界を見れて、私は満足」

「満足させられるような小説家じゃないよ。だいたい、小説家かも怪しいし」

「小説を書いたら、誰でも小説家だよ」

 アイスを奪われたシーンで、

「星井さんって、私の友達、で、いいのかな?」

 と、彼女が言った。

 なんだか私は嬉しかった。

 もう、ファンじゃなくて、友達なんだ。

「私は、安藤さんの、友達だよ」

「私の初めての友達かも」

 こんな私にも、友達いたんだな。と、彼女がボソッと付け加えた。

 すると、なんだか一気に悲しくなった。

 私は友達を失ったんだ。

 友達が死んだ悲しみが、今になって襲ってくる。

 そして、公園で二人で話してるシーンなんかを見て、二人で笑いあった。

「これからも、小説、書いてくれる?」

 一通り私達の記憶を見終わったところで、遠くを見つめて、彼女が言った。

「わからない。そんなこと、わからない」

 未来は未知数で、不確定だから。

 私はこの小説が終わったあと、どうするんだろう。

 このまま、溶け込むのかもしれない。

「私とは、この小説でしか会えないけど、私はずっと、星井さんの小説、読んでいたい」

「安藤さんと会えないなら、あんな世界、生きてる価値ないよ」

「それでも、私じゃ見えない世界が、星井さんになら見えるから」

 そう言うと、彼女は私の背を、押した。


 この小説が終わる。

 私はゆっくり、歩き始めた。

 後ろを振り返ると、彼女はうっすらと笑って、その場で立っていた。

「私も、安藤さんといちゃ、だめ?」

 そう言うと、手をメガホンみたいにして、彼女が叫んだ。

「星井さんなら、書けるよ!生きられるよ!私の経験出来なかったたくさんの事を、見て、聞いて、体験して!星井さんだけの、綺麗な世界を、私は小説から、見てるから!」

 もう、これで、彼女とは会えない。

 不思議と涙は出なかった。

 悲しくはあった。

 私は、前を向いて歩いた。

 堂々と、ゆっくり。

 そして、最後に振り返って、何か彼女に、一言言いたかった。

「安藤さん!私は!安藤さんのこと!」

 私は彼女を尊敬していたのか。

 私は彼女を慕っていたのか。

 私は彼女を小説として見ていなかったのか。

 私は彼女を、好きだったのか。

「私も小説を、愛してる」

 そう言うと、彼女は笑った。

「小説、楽しみにしてるから!」

 そう言って、彼女もどこかへ、歩き始めた。

 きっとどこかに、またどこかに、小説を書きに行ったのだろう。

 小説を書き続けてたら、いつか、また彼女に会える。

 私は、そう信じて、深い深い闇の中を、泳ぐようにして、進む。

 また、同じ世界で、出会える。

 私達は小説を、愛しているから。

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海と沈んで 真白 まみず @mamizu_i

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