一匹の犬が、リビングの天井を見上げていた。


 微動だにせず、黙ったまま顔だけを向けている。

 飼い主の男は頭をなでながら尋ねた。


「どうしたんだい? そこに何かあるのかい?」


 しかし犬は主人の方を見ることもなく、ただひたすら天井を見つめている。

 男は少し怖くなった。


「おいおい、どうしたっていうんだ。ずっと天井を見つめて。何もないじゃないか」


 それでも、犬は微動だにしない。

 さすがに飼い主の男も気味悪がって、無理矢理犬の顔を自分に向けさせた。

 黒くて純朴な瞳が飼い主の顔を捉えると、犬はようやくいつものように伏せて寝始めた。


 その姿に安心した飼い主の男は、少し気になりながらもテレビをつけてソファーに寝っころがった。



 それからというもの、犬はなぜか毎日天井を見上げるようになった。

 飼い主の男も、それに合わせて天井を見つめる。

 しかし、そこには何もない。


 もしかしたら、得体の知れない何かが現れているのか。

 男はオカルトの類は一切信じていなかったが、飼い犬のその行動があまりにも不可解で、そのように思うようになっていった。



 その日も、犬は天井を見上げていた。

 またか、と思いながら飼い主の男も天井を見上げる。

 いつものように、何もない白い天井。


 しかし、その日はいつもと違っていた。


 天井を見上げる犬が、突然立ち上がって鋭い視線を向けている。

 正直、男はわからなくなっていた。

 これはもしかしたら、なにかの病気なのかもしれない。

 今度、動物病院に連れて行こう。獣医にもわからないかもしれないが、病気の初期症状だとしたら早めに治してもらった方がいい。



 天井を見上げる犬の様子は、日ごとにおかしくなっていた。

 くるくる、くるくるとその場を行ったり来たりしている。かと思えば、立ち止まってじっと見つめる。


 さすがにここまで来ると飼い主の男も不気味に思い、ついにはリビングから追い出してしまった。


 ペットゲージを廊下へと移動させ、その中に入れる。さすがにリビングの外に出してしまえば平気だろう。

 そう思ったのもつかの間、今度はその廊下の天井を見上げていた。


「いい加減にしないか! いったい何があるっていうんだ!」


 男の苛立ちに答えるかのように、犬は一声「わん」と吠えた。

 普段、吠えることのない飼い犬の声に男はビクッとふるえる。


 しかし、犬はその一声を発しただけで、あとはすぐに伏せて寝てしまった。

 男は訝しく思いながらも、その場をあとにした。



 その晩、男がテレビを見ながらソファーでうたたねをしていると、飼い犬がけたたましい鳴き声を上げて吠え出した。

 思わぬ声に、男は飛び起きる。

 飼い犬の尋常ならざる鳴き声は、男を不安にさせた。

 急いで廊下に出て、ペットゲージの中で吠えまくる犬に駆け付ける。


「静かにしないか! なんなんだ、いったい」


 男の姿を見た飼い犬は、すぐにピタリと吠えるのをやめた。

 ペロリ、と舌を出しながら視線を上に向ける。

 男もつられて視線を上に向けた。

 やはり、何もない天井があるだけである。


「いいか、これ以上吠えたらただじゃおかないぞ!」


 男にとって、眠りを妨げられるほど不快なことはない。

 飼い犬にぴしゃりと言い放つと、眠っていたリビングへと戻って行った。


「まったくあいつめ……、本当にどうかしてしまったようだ。明日、動物病院に連れて行こう」


 そうつぶやきながら、男がソファーに近づいた瞬間。

 すさまじい爆音とともに、天井を突き破ってバスケットボールほどの大きさの石がソファーを直撃した。


「うおぅっ!?」


 その衝撃で、男はひっくり返る。


「な……な……」


 その勢いはすさまじく、まさに天井がぽっかりと大きな口を開けていた。

 その真下にあったソファーは木っ端みじんに粉砕され、さらにその下には煙を上げた黒い塊が床を破壊して地面に埋まっていた。


「なんだ、これは……」


 男は腰を抜かしながら誰にともなく問いかける。

 白い煙を上げる大きめの石。

 それは隕石のかけらだった。

 巨大な隕石が地球のまわりを周回軌道しながら落下し、大気圏で燃え尽きなかった破片が男の家に落ちたのである。

 もちろん、男にはそれを知る由はない。


 ただひとつ、言えることは。


 飼い犬が吠えなければ、男の身体は粉砕されたソファーと同じ運命だったということだ。


「まさか……」


 男は廊下に戻って飼い犬を見つめた。

 飼い犬は男の無事な姿を見て安心したのか、うつ伏せになって寝始めた。


「まさかお前、今まで見張ってくれてたのか……? この石がオレの頭上に落ちない様に」


 飼い犬は答えなかった。

 ただ安らかに眠っているだけである。


「………」


 オカルトの類は一切信じない男だったが、飼い犬の不思議な力に思わず笑みが浮かんだ。


「こりゃ、たくさんご褒美をあげなきゃな」


 それ以降、犬が天井を見上げることはなくなった。



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うしろの正面だあれ?~ミステリー・ホラー短編集~ たこす @takechi516

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