人間的
人間的とはなんだろう。
男は仕事帰りにそんなことを思っていた。
「お前は欠陥品だ」
今日、彼は上司からそう言われたのだ。
「笑いもせず、怒りもせず、無表情に淡々と仕事をこなす。仕事の面では優秀かもしれないが、人間的な感情が欠落している」
もちろん男は反論した。
「言っている意味が分かりません。仕事上での問題点ならご指摘いただければ納得できますが、人間的な部分を否定されてもどうすることもできません」
「お前の言いたいことはわかる。しかし、部下の育成は上司の務め。仕事上優秀なお前に教えてやれることは、あとは人間的な部分だけなのだ」
ははあ、と男は悟った。
要するに上司は仕事のできる自分が気に食わないのだ。
なんとか欠点を指摘して自分の方が優れていると思わせたいのだ。
しかし残念ながら男は上司を尊敬もしていないし、優れているとも思っていない。
立場上、言う事だけは聞いているがそれは仕事に関してだけであった。
性格についてはさらさらなおす気はないし、そもそもそれを言われる筋合いもない。
「申し訳ありませんが、私の人間的な部分につきましては放っておいてはいただけないでしょうか」
「それはできん。部下の育成は上司の務めなのだから」
「それができないというのであれば、私はパワハラを受けているとして上層部に訴えることになりますが」
「訴えたければ訴えるがいい。しかし、私は言い続けるぞ。お前はもっと人間的になるべきだ」
話にならないと思った男は、そのまま外回りに出て直帰することにした。
これ以上の不毛な言い争いは時間の無駄だったからである。
しかし、いざ外回りに出たものの、男には特にすることもなかった。プラプラと公園をさまよい歩き、結局何もせずに帰宅した。
人間的とはなんだろう。
その疑問を抱いていたのはそんな時である。
人間的、それが仕事にどう影響するのかわからない。
確かに人として魅力的であれば生きていく上で有利であろう。
しかし、だからといってそれが仕事に直結するかどうかは別問題だ。
むしろ、その人間的な部分がマイナス効果を生むこともあるかもしれない。つまりは、損をする。
やはり、人間性は不要だ。
それが男の出した結論であった。
翌日、彼はさっそく上層部にパワハラの件を訴えた。
不思議なことに、上層部はそのことをすでに知っており、上司は即日解雇されていた。
(なんだ、私が訴えるまでもなかったな)
男はそう思い、仕事に取り掛かった。
しかし、解雇された上司の言葉が頭からこびりついて離れない。
「お前はもっと人間的になるべきだ」
その言葉が、どうしても忘れられなかった。
後任の上司はすぐにやってきた。
今までの上司と違い、やけに冷たそうな目をしている。
いや、実際冷たかった。
「いいか。お前は私の言う事だけを聞いていればいい。余計なことは一切考えるな」
冷たい口調でそう言い放つと、膨大な仕事量を男に振ってきた。
並みの人間なら悲鳴を上げそうな量ではあったが、男は「上司の命令なのだから」と不満のひとつも漏らすことなく淡々とそれをこなした。
しかし、男が優秀すぎたのが災いした。次々と仕事をこなす彼に対して、上司は日増しに作業量を増やしていった。
「それが終わったら次はこれだ。いいか、余計なことは一切考えるなよ」
男は上司の命令に背くことなく、言われるがままの毎日を送って行った。
それが数ヶ月も続くと、男はふと思うようになった。
(これは、自分のやるべき仕事なのだろうか。上司に言われるがままの毎日で。これで仕事をしたと本当に言えるのだろうか)
大量に積み重なった書類の山に囲まれながら、男の中に疑問が生じた。
(来る日も来る日も、同じことの繰り返し。これではまるで感情のないロボットではないか)
頭の中に、前任の上司の言葉が浮かぶ。
「お前はもっと人間的になるべきだ」
なぜか、その言葉が胸に突き刺さる。
もしかしたらあれは、本気で部下を育成しようとした彼の本心だったのではないだろうか。
男の価値をもっと伸ばそうと思った本当の言葉だったのではないだろうか。
(人間的……)
このとき初めて、男はかつての上司の思いがわかった気がした。
「おい、聞いてるのか。次はこれだ。時間内に終わらせろ」
「………」
上司の声に、男は我に返った。
目の前には、椅子にふんぞり返って命令をくだすガマガエルのような顔をした上司がいる。
横柄な態度が鼻に突くその上司の命令に、男は初めて無反応を示した。
「おい、返事はどうした!」
「………」
「聞こえないのか、返事はどうしたと聞いている!」
「………」
「おい! おい!!」
上司の怒鳴り声に、男はやっと口を開いた。
「私は“おい”という名前ではありません。きちんとした名前を持っています。部下を名前で呼べないようなあなたは上司の器ではありません。そうやって偉そうに命令する前に、ご自身の人間性を見つめ直してはいかがでしょうか」
「な……」
男はそう言うなり、ポカンと椅子に座る上司に頭を下げて颯爽と部屋をあとにした。
その場の誰もが、予想だにしていなかった言葉だった。
内心、冷徹な上司を快く思っていなかった社員たちが、「よく言ってくれた」と言わんばかりの表情を浮かべている。
男は、そんな社員たちの気持ちに応えるかのように意気揚々と会社をあとにした。
外は、まだ明るかった。
太陽が傾きかけてはいるが、まだまだ長い影法師を作るには早い時間帯だ。
男は顔を上げてこれからどうしようかと考えた。
あそこまで啖呵を切って職場を後にしたのだ。もはやクビは免れないだろう。
今からでも戻って謝れば多少のお咎めで済むかもしれない。
しかし、男は戻る気はなかった。
あんな上司に頭を下げるなど、まっぴらごめんだった。
それよりも。
これはいい機会だと思った。
新たな仕事に転職するチャンス。
もっと自分の能力を活かせる仕事に就こうと思った。
男は優秀であるがゆえに、職に困ることはないとふんでいた。
事実、男はどこの誰よりも優秀であった。
きっと、どの企業も自分を欲しがるだろう。
働き場所などいくらでも選べる。
それに、今は前任の上司から指摘された“人間的”な部分も芽生えつつある。
雇われるのではなく、雇う側に立ってみるのもアリかもしれない。
選択肢が無限に広がる。
まさに今、男にとって明るい未来が待ち構えていた。
・
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「やはり、欠陥品になってしまったな」
輝かしい笑顔を作りながら、地面に倒れ伏す男。
その脇に会社の役員たちが立ち並び、彼を見下ろしている。
男はまばたき一つせず、微動だにしていない。そう、呼吸さえも。
「せっかく賃金のかからないアンドロイドを雇ったというのに、バカなもと上司のおかげで人間性が芽生えてしまった。もとに戻すにはどうすればよいのやら」
「一度、工場に送りましょう。そこでバラしてまた一から作り直してもらうしかないですね」
「そうか。ならば、仕事以外のデータはすべて削除してもらわんとな」
「そうだな。残念だがそうするしかあるまい」
彼らはうなずくと、業者を呼びよせて男を工場へと運ばせた。
次に戻ってくるときは、ここ数か月の記録はすべて消されているだろう。
そう、人間的な部分をかけらも持たない、もとの優秀なアンドロイドへと生まれ変わって──。
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