死にたい男

 男は死にたがっていた。

 なぜ死にたがっているのか。

 それは男にもよくわからない。

 ただ、無性に死にたかった。


「私は、病気なのでしょうか」


 男はカウンセリングの医師に相談した。


「病気かどうかはわかりません。ただ、人間は誰しも一度は死にたいと思ったりするものです」


 医師の言葉に男は首をふる。


「いえ、私の場合は一度だけではないのです。常にそう思っているのです。昨日も、川に身投げをしようとしたところ、通行人に助けられました」

「知っています。だから今ここでこうして私のカウンセリングを受けているわけですから」


 男は再度たずねた。


「私は、病気なのでしょうか」

「いえ、検査の結果、異状は見当たりませんね……」

「私は自分が恐ろしい。なぜ、こんなにも死にたがるのか」

「何か思い当たる節はありませんか?」


 医師の言葉に、男は首をかしげた。


「特にありません。仕事の上でも問題ないですし、生活についても上手くやっています」

「と、すると他の要因が考えられますが」

「いえ、特に事故を起こしたとか、金銭トラブルに巻き込まれたとか、そういうことは起きてません。死にたいと思う要素は何一つないのです」

「ふうむ、ならばもっと別の何か、ということですかな」


 腕を組んで考える医師。


「ちなみに、ご家族はおられるのですか?」

「ええ。妻が」

「奥さんはあなたの原因不明な自殺衝動を知っているのですか?」

「いえ、知りません。というよりも私が隠している、といったほうが正しいかな」

「家族間のストレス。それが原因かもしれませんよ。ぜひ一度、話してみては」

「先生がそうおっしゃるのでしたら」



 しかし、次の日も男は死にかけた。

 ふらりと車道に飛び出したところ、通行人に助けられたのである。

 再度、医者のところに運ばれた男は昨晩のことを伝えた。


「先生のおっしゃる通り家内に症状を打ち明けたのですが、なんというか、彼女、すごく怒りまして……。結局、何も変わりませんでした」

「そのようですね。とりあえず、一命をとりとめてホッとしております。まったくの見当違いでした、申し訳ありません」

「いえ、先生は私のためを想ってのことですから。気にしておりません」

「それで、奥様はなんと?」

「家内は私の事が大好きなようで……。私が死にたくなる原因が自分にあるのであれば、死んで詫びるとまで言っていました。まあ、その気持ちもわからなくはないです。私たちは両親の反対を押し切って駆け落ちまでした仲ですから」

「それはそれは……。知らぬこととは言え、とんだ無礼を申し上げてしまいました。重ねてお詫び申し上げます」

「いえいえ」

「ですが、これで本当にわからなくなってしまいました。いったい、死にたくなる原因はなんなのか」

「私にも不可解でしょうがありません。これでは明日にでも自殺してしまいそうで、私も怖いです……」

「病室に空きベッドがあります。しばらくそこで入院してみますか?」

「ぜひ」


 それからしばらく、男は入院した。

 男はまったくの無趣味で、毎日特にすることもなく日がな一日ボーっとしていた。

 まるで、抜け殻のような毎日。

 周囲の患者も、気味悪がって誰も声をかけようとはしなかった。


 不思議なことに、男が入院中に妻が面会に来ることはなかった。

 きっと、夫の入院代を稼ぐために身を粉にして働いているのだろう。医師はそう思った。


 入院期間中、男が自殺を図るようなことはなかった。

 今までの自殺衝動が嘘のようにピタリと症状が止まっていたのである。


「ふうむ、これはますますもって家庭環境が原因のようだ。だが、その元凶がはっきりしない以上、他人の家庭生活に干渉するわけにもいかんし……」


 医師は腑に落ちないながらも、男を退院させざるを得なかった。

 病気であればこのまま入院させ続けることも可能だが、病気かどうかもわからない男をこのまま置いておくわけにもいかない。


 仕方なく、医師は男に告げた。


「あなたがこのまま入院していても、自殺衝動の原因がわからない以上、置いておくわけにはまいりません。残念ですが、退院してください」


 男は不満な表情一つ見せることなく、うなずいた。


「しょうがないですね。身体自体は健康な人間ですから。これ以上ここにいても他の患者さんの迷惑になるだけだ。ご指示に従います」


 こうして、男は高い入院費を自分で払い、退院した。



 退院した男が向かった先は、一軒のボロアパートだった。

 自分の名前が貼られたドアを開けて中に入る。

 玄関先では、物言わぬマネキン人形が置かれていた。黒髪のウィッグをかぶり、エプロンを身につけている。


「ただいま、今帰ったよ」


 マネキンは何も言わず、男を見つめている。

 そんなマネキンに男は申し訳なさそうに言った。


「なんだい、怒るなよ。しばらく入院していたんだ。愛するお前を忘れるわけないじゃないか」


 そう言いながらそっとマネキンを胸に抱き寄せる。


「でも不思議だなあ。お前と離れると死にたいと思えなくなるなんて。やっぱり自殺衝動の原因はお前なのかもな。ははは、怒るなよ、冗談だって。え? 今度はビルの屋上から鳥のように飛んでる姿が見たい? ううむ、できるかなぁ。今まで、お前の望みどおりにいった試しがないからなぁ。でも、お前が望むならやってみるよ」



 数日後、男の姿はアパートから消えた。



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