夢の薬

『この薬は、どんな願い事もかなえられる夢の薬です』


 その謳い文句に、初老の男性の心は躍った。

 目の前には、訪問販売に訪れたセールスマンが立っている。


「この薬を飲めば、どんな願い事もかなえられるのか?」


 男性の質問に、セールスマンは答える。


「もちろんです」

「例えば、若返りたいとか、病気を治したいとか、そういった願いもかなえられるのか?」

「程度はありますが、強く望めばそれも可能です」

「お金持ちになりたいとか、若くてきれいな妻を娶りたいという願望もかなえられるのか?」

「それも可能です。強く望めばですが」


 ふうむ、と男性は腕を組む。

 生涯、独身で通していたこの初老の男も、最近になって死ぬのが怖くなっていた。

 できれば、もっともっと長生きをして、人生を謳歌したい。

 そのためには、充実した人生をもう一度やり直したい。そう思っていた矢先の出来事だった。


 セールスマンは続ける。


「ただし、薬の効果は永久的ではありません。持続時間は数時間、もって半日といったところでしょう」

「数時間? それでは金持ちになりたいという願いは……」

「一時的なものとなります」

「それでは意味がないではないか」

「だからこそ、いいのです。願い事がずっと叶い続けていたら、人は堕落してしまいますから。日々の生活の中でちょっとストレスを発散させたい時。これはそういう時のための薬なのです」

「なるほどな」


 男性は腑に落ちないながらも納得した。

 確かに永久的に効果のある夢の薬ならば、こうして売りに来ず自分たちで使っているだろう。


「実はこの商品、リピーターが続出しているのです。この薬をありったけくれという顧客もおります。しかし当方といたしましては、多くのお客様にこの夢の薬を提供したいという考えですので、限定数のみの販売とさせていただいております」

「つまり、売ってくれるのはこの50粒入りの瓶ひとつだけ、ということか」

「さようでございます」


 それならば、と男性は試してみたい衝動にかられた。

 限定販売であれば、湯水のごとく金を搾り取られる心配はない。欲しくとも、売ってはくれないのだから。怖いのは、薬が常用化してしまい知らず知らずのうちに多額の請求書が届くことである。

 しかし、それはないという。


「よし、買おう」


 男性は決して安くはないその薬を買った。


 その晩、男性はさっそく薬を飲んだ。若返りたい。20代の健康的な身体に戻りたい。

 効果はすぐに発揮された。

 男性の身体から皺が取り除かれ、真っ直ぐに伸びなかった背筋がのび、膝の痛みも消えた。


「これはすごい!」


 洗面所に向かうと、鏡に映った自分の顔に驚愕する。

 そこには、40年前の自分の顔があった。

 凛々しくも意志の強そうな顔立ち。白髪だった髪の毛も、黒髪に戻っている。


「こりゃ、本当に夢の薬だ」


 有頂天になった男性は、寝る間も惜しんで夜の街へと消えて行った。



「どうです? 夢の薬だったでしょう?」


 翌朝、もとの姿に戻った男性の元に、昨日のセールスマンがやってきた。


「ああ、確かに。これは紛れもなく夢の薬だ」

「ありがとうございます」

「しかし、そうなるとやはり50粒だけでは足りん。できればもっと売って欲しいくらいだ」

「申し訳ありませんが、お一人様ひと瓶とさせていただいております。例外はございません。仮に大金を積まれても販売はいたしません」


 そう言われてしまっては、男性にはそれ以上なにも言えなかった。

 手元に残った49粒、それを大事に使うしかない。

 そこで、男性は思っていた疑問を口にした。


「ところで、この薬はどうやって作ったのだ? これだけの薬、ちょっとやそっとでは作れまい」


 男性の問いかけに、セールスマンは答える。


「それは企業秘密です」

「そんなこと言わずに、ちょっとだけ教えてくれ。もしかして、幻覚作用を引き起こす葉っぱとか入っていたりするのか?」

「企業秘密です」


 セールスマンは頑なに教えようとはしなかった。

 なんともうさんくさい出所の薬だが、男性はよしとした。現に昨晩は望みが叶えられたのだ。本物であることは間違いない。


「多少気になるがまあいい。残りの49粒、大切に使うよ」

「ぜひ、そうしてください」


 セールスマンはそう言って帰って行った。


 男性はその日から、1日1粒を目安に夢の薬を使った。

 ある時は見目麗しい美丈夫に。

 ある時は空を飛びまわる鳥に。

 またある時は幸せな家庭生活を築く一人のサラリーマンとして。


 今まで自分が経験したことのない夢を次々と叶えていった。


 そして、夢の薬があと1粒となったとき。

 男性は最後の望みをどうしようかと考えた。


 多くの女性からチヤホヤされるのも、大空を飛んで絶景を眺めるのも、つつましい小さな幸せを感じるのも、すべて経験してしまった。


 あとの望みは……。

 男性は考えながら、ひとつの結論にいたった。


「これしかない」


 つぶやくなり、最後の一粒を飲みこんだ。 


「う……」


 男性は少しうめき声を上げながら倒れ込む。

 そして苦しむことなく、彼はすうっと息を引き取った。


 すべての望みが叶えられた男性が最後に望んだ願い、それは自身の“安らかな死”だった。

 死んでしまえば、夢から覚めることもない。

 男性は、最後の最後で永久に続く夢の世界を手に入れたのである。



「おやおや、やはり死んでしまいましたか」


 その時、床に倒れ伏した男性の元にセールスマンが姿を現した。

 その顔は、不気味な笑みを浮かべている。


「まったく、人間と言う生き物はよくわかりませんね。死を意識した人間ほど、夢の薬を与えると最後の願いは必ず安らかな死を選択するのだから。まあ、我々死神にとっては手を汚さずに済むからいいんですけどね」

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