拾った大金
男は途方に暮れていた。
道端に落ちていたバッグ。
中を開けてみると、大量の札束が入っていたのだ。
パッと見ただけでも、かるく数千万円はあるだろう。
辺りは人気のない裏通り。
とんでもないものを拾ってしまった。
男は頭を抱えた。
これは警察に届けるべきか。
善良な市民であれば、拾った大金は警察に届けるのが当たり前であり義務であろう。
そして男は善良な市民だった。
すぐに警察に届けようと思ってハタと足を止める。
もしも持ち主が現れたとしたら、このお金はどうなるのだろう。
一部は自分の手元に残るだろうが、大部分は落とし主のふところに戻ることとなる。
これほどの大金だ。
みすみす手放すのは惜しい。
(しばらく様子をみるか)
男はそのバッグを家に持ち帰ると金庫の中にしまった。
ネコババをしたわけではない。
少し預かるだけだ。
大金を落としたと世間が騒ぎ始めたら、自分が拾い主だと名乗り出ればいい。
善良でない市民が拾ったらそれこそ湯水のごとく使われるのは目に見えている。
かえって自分に拾われてよかったではないか。
男は自分にそう言い聞かせた。
それから数日たっても、世間は騒がなかった。
あれほどの大金だ。
落とし主としては是が非でも見つけてほしいに決まっている。
しかし、世の中は何もなかったかのように静かなものだった。
もしかして、ヤバい金だったのでは。
男は怖くなった。
確かにあり得る。
今の世の中、これほどの大金を現金で持ち歩くような者はいない。
すぐに警察に届けよう。
しかし、そこで男は考えを改めた。
警察に届けたとして、どう説明するか。
数日前に拾った大金。
なぜすぐに届けなかったのかと聞かれるかもしれない。
落とし主がいればいくら落としたか証言もしてくれようが、落とし主がいないのであればいくらか使ってしまったのではないかと疑われるかもしれない。
自分は善良な市民なのだ。
そんな疑惑を抱かれたくはない。
「ううむ、困った……」
男は思案の末、すべてを使い切ることにした。
これほどの大金を金庫の中にしまっておきたくはなかった。
しかし、今度はこの大金をどうやって使い切ろうか、それに悩んだ。
私利私欲のために使うのは善良なる市民の行動ではない。
ならば、慈善事業につぎ込んだほうがマシではないか。
男はそう思った。
さっそく彼はいろんな施設をまわった。
孤児院や養護施設、寺院や教会、様々な施設に足を運ぶ。
そこで彼は怪しまれない程度にいくらかのお金を渡し、そこで使ってもらうよう頼み込んだ。
善良な市民でなければ疑われたであろう。
しかし男は善良な市民だ。
にこやかにほほ笑むその笑顔が、施設の職員たちを安心させた。
中にはホームレスの人たちが寝泊まりする河川敷まで赴き、彼らに金をばらまいた。
何か裏があるのでは。
最初はホームレスの人たちも怪しんだが、男の笑顔がその疑惑を払拭させた。
男の噂はたちまち全国にとどろいた。
“現代の足長おじさん”。
そう呼ばれ、その素性は明らかにならないまでも、彼の行為は善良なる市民の鏡だと褒め称えられた。
男は非常に満足していた。
しかし、その後、とんでもない事実が発覚した。
男がばらまいた大金。
それは撮影用の小道具で、非常によくできたニセ札だったのだ。
小道具係がうっかり道端に落としてしまったと告白したことでそれが明るみになった。
そうとは知らず、大量のニセ札は様々な場所ですでに使われてしまっていた。
そしてそれは全国に流通し多くの店がそれにより大量の損失を被った。
警察はニセ札の回収に追われ、銀行は人々が持ち寄る金が本物かどうか見定める手間が増えることとなった。
さらには全国ニュースでもそれは取り上げられ、人々は恐慌をきたした。
自分の金はニセ札か。
お釣りでもらったお金は本物か。
男が拾った大金は数千万円相当だったが、事実は捻じ曲げられ、五千円札や千円札、小銭に至るすべてのものにニセものが混じっていると報道された。
それは合計して数億円相当にものぼるとされ、ますます混乱は拡大していった。
その諸悪の根源、大金を拾った男は後日逮捕された。
「ネコババせずに、すぐに警察に届けるべきでしたね」
連行されながらも男は記者に質問に答える。
「まさしくその通りですね。大金を拾ったらネコババなんてしないほうがいい。私のようになってしまうから」
この自身の過ちを、テレビの前に座る多くの人々に教訓にしてほしいと願う男。
ちょっと魔がさしただけで、彼は根っからの善良な市民なのだ。
しかし、人々はテレビに映るその男の顔を見てこう思った。
「なんて悪そうな顔つきなのかしら」と。
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