願い

 ある晩のことだった。

 男が眠っていると、夢の中に一人の老人が姿をあらわした。


「誰ですか、あなたは」


 男は思わず問いかけた。

 白くて長い髭を蓄えた、穏やかな顔つきの老人。

 手には、大きな杖を持っている。


「ワシは、神様じゃ」

「神様?」


 男は笑った。

 あまりにも世間一般のイメージにぴったりすぎて、逆に怪しいくらいである。


「神様なら、何か証拠をお見せください」

「証拠、と言われてもの」

「神様でしたら、なんでもできるでしょう? たとえば、私を大金持ちにしてくれるとか」

「大金が欲しいというのであれば、お安いご用じゃ」


 思わぬ返答に、男は目を丸くする。

 冗談で言ったはずが、叶えてくれるというのだ。


「本当ですか? そんなこと、できるのですか?」

「もちろんじゃとも。ワシは神様じゃからな」


 言うなり、パチン、と指を鳴らす。

 次の瞬間、男は目を覚ました。

 気が付けば、ボロアパートの布団の上。

 神様と名乗った老人の影も形もない。


(ああ、やっぱり夢か。それにしても、妙にリアルな夢だったな)


 むくりと起き上がり顔を横に向けると、枕元には大量の札束が積まれていた。


「な……」


 男は絶句した。

 恐る恐る手を伸ばす。

 本物だった。

 本物の札束であった。

 いったい、どうやってこんな大金を用意できたのか。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 夢の中の老人は、紛れもない神様であることがこれで証明された。


「神様、ありがとうございます! ありがとうございます!」


 男は手をすり合わせて天井に向かって頭を下げた。



 その晩も、神様は夢の中にあらわれた。


「これでわかってくれたかの?」

「はい、あなたは本物の神様です。ところで、私めにどのようなご用件で?」

「いや、別に深い意味はない。天上界の抽選で年に一回、サプライズプレゼントを下界の人間たちに送っておるのじゃ。今回はたまたまおぬしが当たっただけで……」

「サプライズプレゼント?」

「早い話がどんな願いでもかなえてやる、というやつじゃ」


 男は狂喜した。

 なんて幸運が巡ってきたのだろう。

 40年生きてきた中で、今日がもっとも恵まれた日に違いない。


「あ、じゃあ今朝の大金はお返ししないと……」

「あれはおまけじゃ。くれてやる」


 なんて気前のいい神様なのか。

 男はほとほと感心した。


「さあ願いを言うがよい」


 言われて男は悩んだ。

 願いを言えと言われても、すぐには出てこない。

 そこで思いついた。


「もう少し、おまけをくださいませんか? それから考えます」

「おまけとな?」

「家と車をおまけとしてください。大きな屋敷とまでは言いませんし、高級車とも言いません。ごく普通の家、普通の乗用車でけっこうですから」

「ふむ、そのくらいであればおまけとしてプレゼントしてやれなくもない。よしいいじゃろう」


 男は内心ほくそ笑んだ。

 気前の良さはさすがに神様である。

 さらに畳み掛けて言ってみた。


「せっかくですので嫁さんももらいたいのですが。心ときめくような美女でなくてもいい。気立ての良い、優しい娘さんであれば。見ての通り独り身なもので」

「嫁も欲しいとな? なんとも強欲な男よの。まあ、よいじゃろう。それもおまけとしてプレゼントしてやろう」


 なんてことだ。

 男は舞い上がった。

 世の中、頑張らねば手に入らないようなものを、この一瞬で手に入れてしまった。

 これは目が覚めた時が楽しみだ。


「ただ、今すぐにというわけにはいかん。せめて数日、時間をくれんかの」

「それはもう。こちらはお願いする立場ですので」

「ではそれまでに本当の願いを考えておくのじゃぞ」


 そう言って、神様がパチン、と指を鳴らすと男は目を覚ました。

 目覚めた場所は、いつものボロアパートの一室だった。

 やはりすぐに、というわけにはいかないようだ。


 しかし、気がつけば手元には車の鍵が落ちていた。

 窓から外を眺めると、一台の車が停まっている。

 ためしに鍵についたボタンを押すと、ロックが解除された。

 どうやら、車のおまけに関してはすぐにかなえてくれたようだ。


 男は車に乗り込むと、悠々自適に運転を始めた。



 数日後、男は逮捕された。

 容疑は詐欺と窃盗。

 どういう手段で手に入れたのかわからなかったが、男のアパートからは銀行から盗まれた大量の現金が押収された。

 外に停めてあった車は盗難届けの番号と一致し、少し離れた家の名義はもとの持ち主から男の名前に変更されていたという。


「神様がくれたんだ、私じゃない!」


 牢の中で叫ぶ彼の言葉に耳を傾ける者は誰もいなかった。



 その晩、男の夢の中に神様があらわれてこう言った。


「最後のおまけじゃ。気立ての良い娘を連れてきたぞい。ひどく怯えておるが、安心せい。嫌がってはいたが無理やり婚姻届に判を押してやったわい。これですべてそろったの」


 なんていうことだ。

 男は頭を抱えた。

 自分はそういうことを望んでいたわけではない。


「さ、願いはなんじゃ?」


 神様の言葉に、男は言った。


「すべてを元通りにしてください」


 それが男の切なる願いであった。


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