困った男

 あるところに、売れない作家がいた。

 作品じたいは面白いのだが、どこか味気なく、読み終わるとすぐにでも忘れてしまう、そんな作家であった。

 彼は今、非常に困っていた。

 貯金が底を尽きかけている。

 はやく次の作品を書かなければじきに食べることもできなくなってしまうだろう。


「困った困った」

 歩きながら次のネタを考えていた。

 彼はネタを考える時はいつも散歩をする。

 それで何かをひらめくかといえばそうでもないが、考える時に散歩をするというのはなかば習慣のようなものになっていた。


 落ち葉の舞う並木道を歩いていると、前方から同じように

「困った困った」

と頭を抱える男が歩いてきた。


 中肉中背の茶色いコートを羽織った中年の男。

 少し白髪が目立つが、取り立てて目を引くような男ではない。

 中年の男は、頭を抱えながら「困った」を繰り返しながら作家のほうへと近づいてくる。


(きっと、仕事でトラブルでもあったのだろう)


 作家はそう思い、立ち止まると端によって男が通り過ぎるのを待った。

 中年の男は特に礼をするでもなく、彼の横をそのまま通過していった。


 通過しながらも、「困った」を連発している。

 作家は興味を覚えた。


 何をそんなに困っているのだろう。


 ふと、声をかけたくなった。

 自分だって困っているはずなのに、なぜかどうしても助けてあげたい気持ちになった。


「もし」


 作家は、通り過ぎていった中年の男に声をかけた。

 男は立ち止まると、ゆっくりと振り向いた。


「はい、なんでしょう」

「何か困っておいでのようですが、私でよければご相談に乗りましょうか?」


 その言葉に男は顔を輝かせた。


「む。それはありがたい。いや、しかし、見ず知らずの方にそのような……」

「ご相談に乗るだけです。できるかできないかは別として、話だけでもお聞きしますよ」

「それはそれは、ご親切に。しかし、あまり人には言いたくないのだ」

「言いたくない?」


 作家は眉を寄せた。

 言いたくないような困ったこと。

 もしかして、何かやましいことでも考えているのではなかろうか。


 作家は少し足を引いた。

 これはとんでもない男に声をかけてしまったかもしれない。


「言いたくなければお聞きしません。それでは」


 頭を下げて行こうとするのを、男は慌てて止めた。


「いやいやいや、待て、待ってくれ!」


 ガシッと腕をつかまれる。

 この時、作家の中に恐怖心が芽生えた。


「話だけならぜひ聞いてほしい」

「人には話したくないと、さっきおっしゃったではありませんか」

「話したくはない。話したくはないが、話せばきっと楽になる」


 作家は男の腕を振り払おうと抵抗してみたが、なかなかに力強く、いくら頑張っても振りほどけなかった。

 観念して作家は男に聞いた。


「わかりました、お聞きします。何をそんなに困っていたのですか?」

「実は……」


 

 男の話を聞き、作家は大慌てで家へと戻った。


 なんということだ。

 なんという話を聞いてしまったのだ。


 彼は机の前に座ると、急いで筆を執った。

 そして、流れるように一気にひとつの短編を書き上げた。


 これは、本当に自分が書いたものなのか。

 そう思える出来栄えだった。



 その作品は発表後、多大な反響を呼んだ。

 それは誰もが思いもしなかった展開で、多くの読者が惹きつけられた。 

 テレビにも雑誌にも取り上げられ、ドラマ化や映画化にもなった。

 彼は一躍時の人となった。

 書店では彼の作品が並べられ、ネット上もおおいに盛り上がった。


 しかし、その栄光も長くは続かなかった。

 もともとは売れない作家の書いた売れない本。

 書店に並べられたからといってファンが増えるわけでもなく、彼の書いた作品はすぐに飽きられ、すぐに捨てられた。

 売れない作家は、またもとの食うに困る生活へと逆戻りする羽目となってしまった。



 短編で得た収入も底を尽きかけ、作家は再び散歩をはじめた。


「困った困った」

 歩きながら次のネタを考える。

 あれ以上のネタはなかなか思いつかない。

 すると、また向こうから例の男が姿を現した。


 自分と同じように

「困った困った」

 と頭を抱えている。


「もし」


 作家は思わず声をかけた。


「ああ、これはこれは。ご無沙汰しておりますな」

「こちらこそ。あれから何度かここを歩いていたのですが、ようやくお目にかかれました」

「その節は、自分の話を聞いてくれて、本当にありがとう」

「いえいえ、とんでもございません。ところで、また何かお困りなのですか?」

「また、聞いてくれるのか?」

「もちろんですとも」

「ありがたい。実は誰かに聞いてほしかったところだったのだ」



 作家は男の話を聞くと、大急ぎで家に戻り、筆を執った。


 すごい。

 すごいぞ、あの男は。


 作家は興奮していた。

 彼の悩みなら、いくらでも聞いてやろう。

 それで彼が救われるのであれば、よいことではないか。


 作家の書いた短編は、瞬く間に大反響を起こした。


 テレビや雑誌、ラジオでも取り上げられ、彼は再び返り咲いた。

 書店に並ぶ本は、前回の轍を踏むことなく、その作品だけが並べられた。


 だが、それでいいと作家は思った。



 次の日も、また次の日も、作家は散歩を続けた。

 同じ場所を何度も何度も歩き回る。

 そうすると、たまに例の「困った男」に出くわす。

 毎回毎回、「困った」ばかりを言っている。

 作家はその度に話を聞いてあげた。


 話を聞き終えると急いで家に戻り、次の作品を執筆する。

 そんな生活を送り続けた。



 ある日、作家は雑誌記者と対談した。


「あなたの作品は、いつも斬新で驚かされますね」

「恐れ入ります」

「誰も思いもしなかった展開ばかり。よく思いつきますね」

「自分でも驚いています」

「これだけ無尽蔵に面白い作品を書かれてますが、そのネタはどうやって生まれているのですか?」

「そうですね。散歩中です」

「散歩中ですか?」

「散歩をするとね。ネタが舞い込んでくるんですよ」

「はあ。散歩は脳をリフレッシュさせるといいますものね」

「いえ、文字通りです。ネタが舞い込んでくるんです」



 その日も、作家は同じ道を歩いていた。

 すると、目の前から男が「困った困った」と言いながら歩いてくる。


「おや、今日も困っておいでですか?」

「ああ、これはこれは。うむ、今日も困っているのだ」

「よろしければ、お伺いしましょう」

「いやいや、本当に君には助かっているよ。なにしろ、面白いネタを思い付いたはいいが、学のない自分にはそれを文章にして表すことができんからね。自分の思いついたネタを聞いてくれる人がいるだけで、本当に嬉しいよ」

「いえ、こちらこそあなたのお話はいつも面白く拝聴しております。斬新で誰も思いつきもしなかった展開ばかりで。今日も何か思いつかれたのですか?」

「うむ、聞いてくれるかね。他に話す相手もおらんし」

「もちろん、お聞きしますよ」


 作家は快くうなずいた。

 よし、これでまた一つの傑作が自分のものに。

 笑みを浮かべながら、作家は男の話に耳を傾けた。


     ※


 それから月日が経ち、もう何十回と出会った「困った男」が急に告白した。


「いつも話を聞いてくれてありがとう。本当に感謝する」

「いえ、とんでもない。ところで、どうしたのですか? いつになく神妙な顔で」

「実は、君に隠しておいたことがあるのだ」

「隠しておいたこと?」

「今まで散々話したネタ、それは私が思いついたものではない。別の人間の受け売りなのだ」

「はあ、そうだったんですか」


 意外だった。

 あれはこの男が考えたものではなかったのか。

 しかし同時になぜそれを今ここで言うのか不思議だった。


「ついでに言うと、私はこの時代の人間ではない。未来人だ」

「未来人?」

「この先、どんなネタが世間を騒がせるか、それを実際に体験してきた人間だ」


 普段は笑い飛ばすような内容だが、作家は笑えなかった。

 現に、男のネタによって彼は売れっ子作家となっている。


「そして、ここがもっとも重要なのだが、今まで私が話したネタを、今度は君が過去にいって別の人間に話してもらいたい」

「な……」


 作家は絶句した。

 この男は何を言っているのか。


「別に話さなくともよい。が、話さなければ未来永劫、君は過去の時代へと取り残されることとなる」

「話せば?」

「話せばもちろん、もとの時代へと帰ることができる。ただ、自分が今まで書いた作品は別の人間のものとなっているがな」

「それはつまり……」

「自分の作品を捨てて未来へ帰るか、自分の作品を残して自分が消えるか。そのどちらかだ」


 作家の頭は混乱した。

 何を言っているのだ、この男は。

 もともと頭がよさそうには見えなかったが、どうやら相当イカれているらしい。


「この告白をもって、私は未来へと帰ることができる。君はどんな選択をするか、自分で決めてくれ」


 言うなり、男は姿を消した。


「ち、ちょっと」


 作家は声をかけた。

 しかし、男の痕跡は跡形もなく消えていた。


 刹那、作家の身体に異変が起きた。


 手を見ると、うっすらと透明になっている。

 手だけではない、身体全体が透明になっている。


「ひっ」


 小さく悲鳴をあげた瞬間、彼は見たこともない場所にいた。

 田んぼに囲まれた小さな田舎道。

 

 その先に「困った困った」と頭をかかえる一人の青年がいた。

 見た瞬間なぜかわかった。

 あの男は売れない作家だ。

 昔の自分と同じ、売れない作家だ。

 どうやら、男の話は本当らしい。


 男は言っていた。

 ネタを話せばもとの時代へと帰ることができる。

 しかし、そのネタは彼のものとなる。


 過去に飛ばされた自分がとるべき道はふたつ。


 何も語らず作品を残すか、ネタを提供してもとの時代へと帰るか。

 どうするべきか。



「ううむ、困った困った」



 作家はつぶやきながら青年に近づいていった。


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