203号室の怪

「何かいる」


 それがA氏の導き出した答えだった。


 裏野ハイツ203号室。

 転勤でここに引っ越してきて一週間。

 はじめはテーブルの上に置いてあったコップや空き缶が倒れていたりしていただけだった。


 仕事から帰って部屋を開けてみると、テーブルの片隅に寄せていたビールの空き缶が床に落ちている。

 近くで工事でもあったかな、と最初は別段気にもとめなかった。

 築30年というとだいぶ建てつけが悪くなっていてもおかしくはない。

 少しの振動で揺れることもあるだろう。

 都心にほど近いこの場所で家賃4.9万円という破格の安さにはそれなりの理由があるというものだ。


 A氏は倒れたコップや空き缶を片づけながらそんなことを思っていた。



 しかし、次の日。

 仕事から帰ってみると今度はコップや空き缶どころか、雑誌までもがテーブルから落ちていた。


 倒れやすい円柱形の空き缶とは違い、雑誌が落ちるなど普通はあり得ない。

 しかし、彼の目には床に落ちた雑誌が映り込んでいる。


「?」


 訝しく思いながらも、A氏は雑誌を拾った。

 もしかしたら、知らず知らずのうちにテーブルの端っこに置いていたのかもしれない。

 だとしたら、床に落ちているのもおかしくはない。


 A氏はテーブルの真ん中に雑誌を置くと、「ふむ」と無理やり自分を納得させた。



 だが、さらに次の日。

 今度はテーブルそのものがひっくり返っていた。


 上に乗っていた空き缶や雑誌は散乱し、コロコロと床に転がっている。


「………」


 さすがにA氏は目を見張った。

 これは振動でどうこうなるレベルではない。

 いったい、この部屋で何が起きているのか。


 A氏はテーブルを元に戻してギョッとした。

 テーブルの表面には赤い文字で「でていけ」と書きなぐられていたのである。


 ペンキなのかなんなのか。

 A氏は怖くなってタオルでその赤い文字をごしごしとこすって消した。



 さらに次の日。

 今度はテーブルがひっくり返っているだけでなく、テレビや家具類も倒れていた。

 幸いにもテレビは壊れてはいないようだったが、倒れたテレビを起こさせながらA氏は思った。



「何かいる」



 ここではじめて彼は事の異常さに気が付いたのである。


「なんなのだ、この部屋は」


 不気味に思いながらすぐに大家に電話をかける。

 しかし、留守なのか応答がなかった。

 物件を紹介した不動産屋にも電話をしてみる。しかし、時刻はすでに21時をまわっており、つながることはなかった。



 翌朝、A氏は仕事に行く前にホームビデオを設置した。


 何が起こっているのか、カメラにおさめるのだ。

 あわよくばこれを理由に別の物件を紹介してもらおうと思っていた。


 録画状態にして部屋を出る。


 立て続けに異様なことが起きている。今日も何か起こるはずである。しっかりとカメラにおさまっていることを期待した。



 昼休みに入ると、A氏はすぐさま不動産屋に電話をかけた。


「あの、先日裏野ハイツの203号室を借りたAですけど」

「これはこれはA様。いかがなさいましたか?」


 まるで電話がかかってくるのを予期していたかのような落ち着きぶりに、若干腹を立てる。

 この男、もしや何か知っているのではなかろうか。

 A氏はそう予測した。


「いえね、あの部屋、なんだかおかしいんですよ」

「おかしいとは?」

「仕事から帰ってくるとテーブルがひっくり返ってるんです」

「ほう、それはすごい」


 とぼけやがって、とA氏は思った。


「つきましては、別の部屋に変えさせていただきたいんですが」

「それは困りましたな。当方といたしましても、きちんと契約書にサインをいただいておりますから、いきなり部屋を変えろというのはちょっと……」

「それは優良物件だった場合の話ですよ。こんな不良物件を紹介するなんて、詐欺そのものじゃないですか」

「そうは言われましても……」

「警察に言いますよ」

「ですが、こちらもサインはいただいておりますし」


 取りつく島もない。

 A氏はあきらめて電話を切った。

 今はそうやって言葉を濁して逃げていればいい。

 今日は部屋で何が起きているのかきちんとビデオにおさめているのだ。

 そこに映し出された映像を見せれば、否が応でも別の部屋を紹介せざるを得ない。


 A氏は今か今かと終業時刻を待ちわびた。



 仕事が終わると、彼は急いで部屋に戻った。


 ガチャガチャとあえて大きな音を立てて鍵を開ける。

 バッとドアを開けて覗き込むと、案の定部屋の中はメチャメチャになっていた。


 A氏は内心ニヤリと笑った。


 これで不動産屋も文句は言えまい。


 ひっくり返ったテーブルを元に戻すと、今度は


「でていけ さもないと」


 と書かれていた。


 さもないと、なんだろう。


 少し寒気はしたものの、カメラにおさまっているであろう映像を見せれば言われなくとも出て行ける。

 A氏は期待しながらホームビデオの録画を切ると、再生ボタンを押した。

 すぐに、A氏の朝方の顔が映り込む。


 ひどく、やつれた顔をしていた。


 画面に映り込むA氏はカメラを部屋の隅にセットし終えると、そのまま部屋を出て行くところまできちんと撮れていた。


「よし」


 これから、何かが起きるわけだ。

 少しも見逃すまいと、画面に見入る。


 カメラの映像は、何の変哲もないA氏の部屋を映し続けていた。


 しかし、何分たっても変化はない。

 すぐに何か起きるだろうと身構えていた分、少し拍子抜けしてしまった。


 辛抱たまらず、2倍速にしてみる。


 しかし、映像はまるで静止画のように微動だにしなかった。


 さらには4倍速、8倍速と時間を速める。


 が、A氏の期待とは裏腹に画面に変化はいっこうにあらわれなかった。


「なんでだ。どうしたっていうんだ」


 気になり始めたころ、部屋の中はだんだんと薄暗くなっていった。

 気が付けば、画面上の時刻は夕刻に差し掛かっている。


 もしかしたら、このまま何もないのではないか。


 まわりの惨状を目の当たりにしながらも、そんな疑念を抱かずにはいられなかった。


 と。


 画面に変化が起きた。


 テーブルが、ピク、と動いた。

 すぐさま早送りを止め、通常再生へと戻す。


 テーブルは、斜めに少しずれていた。


 誰がやってわけでもない。自然と動いたのだ。

 A氏はその続きを固唾を飲んで見守った。

 しかし、動いたテーブルはそれっきり。またもや微動だにしない。


 あきらめて再度早送り再生をしようと思った矢先、テーブルが跳ねた。

 ものすごい勢いで真上に跳ねた。


「おおう」


 思わずA氏は声をあげる。

 まるで誰かがひっくり返したかのような勢いだった。


 その直後、まるで静まり返っていた部屋がいっせいに動き出した。


 食器棚や家具が揺れ動き、扉が開いたり閉まったりしている。

 テレビの電源が突然入って、チャンネルがものすごい勢いで変わりまくる。

 さらには置き時計の針がくるくると目まぐるしく回っている。


 典型的なポルターガイスト現象だった。


 テレビ番組では何度も見たことがあるが、実際に自分の部屋で起こっているのを見るのは初めてだ。

 A氏は怖くなり、停止ボタンを押そうとして、ハタと手を止める。


 画面の端。

 少しわかりづらいが、風呂場の扉が映っている。

 そこがわずかに開き、中には白い着物を着た老婆が映り込んでいた。


 その表情は、まるで烈火のごとく怒りに満ち溢れており、ホームビデオのレンズ越しにA氏を睨み付けている。

 A氏は身震いした。


(誰だ? 何者だ、このばあさん)


 そう思った次の瞬間、老婆はものすごい速さで画面に迫り、レンズを睨み付けながら何やらつぶやいた。


 あまりに唐突すぎて、思わずA氏は持っていたホームビデオを床に落とした。

 床に落ちたホームビデオの画面からは何かをつぶやく老婆の姿が映し出されている。


 なにを言っているのか。


 A氏は口の動きを追ってみた。

 三つの単語を繰り返しているようだ。


「でていけ……? さもないと……?」


 以前テーブルに書かれていた文字を思い出す。

 そうだ、最初の二言はその言葉だ。


 ならば、最後の言葉は……。


「こ ろ す」


 そう言っていた。


「でていけ さもないと ころす」


 画面に映し出される老婆は、繰り返しその言葉をつぶやいているのだった。


(気味が悪い)


 A氏はホームビデオの停止ボタンを押そうと手を伸ばして、戦慄した。


 突如として老婆がレンズから離れ、その直後に帰宅してきた自分の姿が映ったのである。

 疲れた顔をして部屋に入ってきた自身の背後には、怒りに満ち溢れた老婆がぴったりと寄り添っていた。


「………」


 A氏は青ざめる。

 それはホームビデオの録画を止めるその瞬間まで離れることはなかった。

 つまり、今、自分の背後には……。


 A氏は恐る恐る振り返った。


 そこには鬼のような形相をした──

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