遊ぼうよ

「遊ぼうよ」


 ふと子どもの声が聞こえて、オレは足を止めた。

 時刻は深夜0時。

 場所は家の近くの公園前。

 残業続きで疲れた身体を引きずりながら帰宅している時だった。


「……?」


 オレは立ち止まりながらぐるりと周囲を見渡した。

 しかし、辺りはひっそりとしていて誰もいない。

 薄暗い街頭だけがジジジ、と音を立てている。


 はて? と首をひねった。


 気のせいだろうか。

 確かに子どもの声が聞こえた気がしたのだが。


 訝しく思いながら再度足を踏み出す。

 もしかしたら幻聴だったのかもしれない。

 きっと度重なる残業の疲れで、ありもしない子どもの声を聞いてしまったのだろう。

 そう思っていると、再び子どもの声が聞こえてきた。


「ねえ、遊ぼうよ」


 今度は幻聴なんかではない、はっきりと聞こえた。

 少年の声だ。


「誰かいるのか?」


 薄暗い街灯の下、オレは立ち止まって声に出して尋ねてみた。

 しかし、返答はない。


「ひょっとしたら」とオレは思った。

「ひょっとしたら育児放棄かもしれない」と。


 世の中には子どもを外に出して放置する親もいるという。

 そんな子どもが、夜の公園で一人で遊んでいるのかもしれない。

 だとしたら保護しないと。



 オレはそんな変な正義感にかられ、公園へと足を踏み入れた。

 とたんにゾワゾワ、という嫌な感覚が背中を襲った。

 普段は気にもとめない近所の公園。

 だが、今夜は満月でどこか異様な雰囲気が漂っている。


「こっちだよ」


 声は無邪気にオレを呼んでいた。


「はやくはやく」とオレをはやし立てている。


 オレはそんな声に誘われるまま、奥へと向かっていった。


 決して広くはない公園、その中央、砂場の付近にポツンと一人の人影が立っていた。

 薄暗くて、足の部分しか見えない。


 大きさからしてやっぱり子どもだ。


 オレはその人影に向かって歩いていった。


「遊ぼうって、何をして遊ぶ気だ?」


 人影は何も言わず、踵(きびす)を返して遊具へと走って行った。


 軽やかな足取りは、足音さえ聞こえなかった。

 まるで宙を歩いているかのような、不思議な歩き方をしていた。


「おい、待て。お前、どこの子どもだ」


 オレは尋ねながら影を追いかける。


「こっちだよ」


 影はそんな問いには一切答えず、しきりにオレを呼んでいる。

 手招きしている影は遠いのに、声だけははっきりと聞こえた。


「オレは遊ばないぞ」


 そう注意しつつ、後を追う。

 しかし後を追いながらもオレはなにか妙な違和感を感じ始めていた。


 子どもとはいえ、こんな暗がりで遊んで楽しいのだろうか。

 大人を巻き込んで遊びたいものなのだろうか。


 オレは胸騒ぎを覚えて足を止めた。


「何してるの? はやくはやくぅ」


 影が呼んでいる。

 気がつけば、影はジャングルジムのてっぺんに立っていた。

 いつ登ったのだろうか。


「こっちこっち」


 影はしきりに手招きしていた。

 やはくこいと呼んでいる。

 しかしオレはそれ以上先に進めなくなった。


 なんだかわからないが、これ以上進むのはヤバい。

 本能的にそう感じ取っていたのだ。


 すると。


 突然、ジャングルジムの横にあったブランコがキイと揺れた。


「──ッ!?」


 風はない。

 誰も乗っていないはずなのに、木製の古びたブランコが音を立てて前後に揺れた。


「な、なんだ……?」


 確かめる勇気もなくブランコを眺めていると、うっすらとジャングルジムに立っていた影がいつの間にかオレの真ん前に立っていた。


「うわあっ!」


 思わず声を上げる。

 一体、いつジャングルジムを降りたんだ。


「ねえ、遊ぼうよ」


 影はしきりにそう言っている。

 相変わらず薄暗くて顔は見えない。 

 しかし、その身体から発せられる雰囲気からは明らかに生気が感じられなかった。


 まずい。

 よくわからないが、この公園はまずい。

 そして目の前の影。

 これはもっとまずい。


 オレは危険を感じて振り向くと一目散に駆け出していた。

 公園の入り口へと猛ダッシュしていた。


 その瞬間、何かに足を掴まれた。

 ぬるん、とした冷たい何かがオレの足首を掴んだ。

 全力で駆けていたオレは、そのはずみで勢いよく前のめりに倒れ込んだ。


「がっ!」


 呼吸が出来なくなるほどの衝撃がオレを襲う。

 痛い。

 全身の筋肉がバラバラになりそうになる。

 必死で立ち上がろうとすると、何かがオレの身体をおさえつけた。


「ぐう」


 誰かが乗っかっているわけではない。

 得体の知れない何かが、オレの身体を押さえつけているのである。

 あまりの強さに身動きがとれなかった。

 オレはなんとか逃れようと身体をゆする。

 しかし、その強烈な力はびくともしない。

 とても自然のものとは思えなかった。


 必死にもがいていると、知らないうちにあの影が目の前に立っていた。

 いや、正確にはあの影の足だけがオレの目に映っていた。

 うつぶせに倒れているオレは、恐ろしくて顔を上げられない。

 ガチガチと震えていると影は言った。


「ねえ、なんで逃げるの?」


 無邪気な子どもの声が逆に恐ろしい。

 あまりの怖さに意識が遠のきそうだった。


「遊んでくれないの?」

「あ……うう……」


 身体が震える。

 一言もしゃべることができない。


「僕は遊びたいのに」

「………」


 何も答えないでいると、ドサッと何かが落ちた。

 黒い塊だ。

 影の足元に、黒いボウリング玉ほどの大きさの物体が落ちた。


「……?」


 なんだ、と思ったオレの目の前で、その塊はコロンと転がった。


「ひあっ!!」


 それを見て、オレは思わず悲鳴を上げた。


 それは……子どもの頭部だった。


 血の気のない、真っ青な顔をした少年の頭部だった。

 口はだらんと開き、目は白目を向いている。

 明らかに生気のないその顔。


 その顔を見て、オレは「あ」と声を上げた。


 この少年は……見覚えがある。

 確か数か月前にニュースでやっていた。


 この公園に遊びに来ようとしていた矢先、通りかかった近くのビルの真下で事故にあった子だ。

 ちょうどガラスの張替えをしていた業者が手を滑らせて巨大なガラスを落っことしてしまい、真下にいた男の子の首が切断されてしまったという痛ましい事故……。


 その時に報道されていた少年と同じ顔をしている。


 これは、何かの間違いか?

 それとも……。


 固まって動けないでいると、その少年の目がクルンと動いた。


「───ッ!?」


 それは真っ黒い瞳だった。

 吸い込まれそうなほどの深い闇だった。


 少年はニタァと笑うと、オレに言った。



「ねえ、遊ぼうよ」



 その瞬間、オレの意識は遠のいていた。





 気が付くと、朝だった。

 オレは公園のベンチで寝ていた。


「夢……だったのか?」


 ズキズキと痛む頭を押さえつけながら身体を起こす。

 ひどい寝方をしていたらしい、首が痛い。


 時刻を確かめると、朝の7時。


 公園の横の通りでは通勤中のサラリーマンや通学中の学生たちが行き交っている。

 なにもない日常の風景だ。


「夢か」


 オレはホッとして、家に戻った。

 どうやら、残業のし過ぎだったようだ。

 自覚症状はないが、あまりに疲れすぎて公園のベンチで横になり、そのまま寝てしまったらしい。


 にしても、嫌な夢だった。


 オレはシャワーを浴び、軽く食事をとると、またいつものように会社に行った。


「おはようございます」


 営業部の扉を開けて中に入ると、すでに来ていた同僚が「おはよう」といつもの挨拶をかわしてくる。


 その屈託のない笑顔に癒されると、同僚はオレを見て言った。


「あれ? お前、誰だよその子」

「は?」

「会社に子どもなんて連れてくんじゃねえよ」

「子ども? 何言ってんだ?」

「背中に背負ってんじゃん」


 その言葉にオレは血の気が引いた。


 背負ってる?

 子どもを?


 呆然とたたずむオレの耳元で、あの子どもの声がささやいた。



「ねえ、遊ぼうよ」


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