第四部

第一話

 いつも通りの情報分析に頭を悩ませながら、第二開拓艦隊司令部からの新たな命令が届いたのは夜も深まった頃だ。

 自転する惑星ではない航宙艦である<サギリ>艦内において、昼夜とは便宜的な意味しか持たない。惑星エウーリアスの周囲を巡る周期はもちろん二十四時間ではないし、選択した軌道や加減速により常に変化し続けているため、マンタリア星系における天体物理学的法則に則って周期的な生活リズムを構築する基準とするには適さなかった。<サギリ>のみならず人類の運用する航宙船はほぼ全てが同じであり、そのため航宙船内部は地球標準時における二十四時間を基準としたシフト制が敷かれ、同船もこの例に漏れず古来から伝わる母なる惑星に合わせていた。

 勤務についてから二十時間は経過しようかというその時、<サギリ>艦長である那須大智大佐のコンソールが電子音を奏でて優先度の高いメッセージが受信されたことを告げる。第二〇一飛行戦隊を統括する神室応助少佐からの情報分析結果に目を通していた那須大佐は、少しだけ驚いた。自分なりに状況を把握しようと努めるのが彼が一日の最後に行う仕事となっていたが、どうやらこのまま退勤というわけにはいかないらしい。

 何事かと思うが腕時計を見れば得心する。時刻は〇一二〇時。マンタリア星系を定期的に訪れる輸送艦<シマヅ>がワープアウトしてきたのは昨日の一六〇〇時ごろ。跳躍点から惑星エウーリアスは九光時の距離を隔てている。到着と同時に送信された通信が<サギリ>にはいま届いたというわけだ。

 未だに光速で伝播する電磁波を利用した通信手段しか持たない人類はこのタイムラグを許容するしかない。わかっていれば身構えることもできるがやきもきする場面も多かった。もっとも、那須大佐は業務に没頭するあまり頭の隅から取りこぼしてしまっていたのだが。

 襲いかかる睡魔を払いのけながら端末のディスプレイへ平文に複合された命令書を開く。冒頭の無機質な管理番号などを読み飛ばして内容に目を通し始めた途端に、那須大佐は身を乗り出して食い入るようにその先を読み進めた。何度か先頭まで戻り読み直し、さらに途中途中に目を走らせて反芻すると、困り果てた表情である人物を呼び出す。

 きっかり二分後、いつも通りの様子で神室応助少佐が艦長室に入室し、敬礼。那須大佐は素早く答礼してから画面上で指をスワイプし、神室少佐の抱えているタブレット端末へ命令書の内容を送信して読むように促した。

 常に沈着冷静な神室少佐は、那須大佐のように何かしらの反応を示すこともなかった。無言のまますべてを読み終えた彼は顔を上げて那須大佐を見つめ返す。何の変化もないように見えるが、その瞳の奥に大きな失望と落胆が渦巻いているのを、もう何年もの付き合いになる那須大佐は見逃さなかった。

「正気ですか、司令部は」

 そして、ようやくそれだけを言ったのだった。

「それはわたしが聞きたいところだが、この意思探査マインドシーキング任務が開始されてそろそろ三年になる。現場で直接、この星と相対している我々にとっては大きな進展があったといえるだろう。だがお偉方にとっては時間の無駄でしかなかったらしい」

 命令の内容は、要約すれば惑星エウーリアスにおける惑星開拓事業の撤退だった。

 仮装航空巡洋艦<サギリ>は、喫緊ではないがいずれ実施される撤退作業を支援するために、マンタリア星系における第二開拓艦隊各艦、およびコロニーの撤収支援を行うべし、また、その計画について概案を作成せよ、という一文がそのすべてといっていい。

 第二開拓艦隊としては組織の存在理由としてエウーリアスを保持しておきたく、そう易々とこの案を肯定しはしないはずだが、ソルベルト連邦は原則的に民主政体であり、最高意思決定機関たる連邦評議会の決定に逆らうことはできない。艦隊司令部が連邦評議会に対する今後の利益説明、展望についてじゅうぶんな説明を行えず、投じた金と資材を回収できないのであればこれ以上の計画継続は不要という判断を押し返せなかったのだろう。那須大佐、ましてや神室少佐であっても、何も知らない後方の人間にエウーリアスへの理解を求めながら今後の展望を語るなど不可能だが、エウーリアスが敵性存在たるメタファで埋め尽くされたなどであればいざ知らず、このように人類内部での掣肘を受けることは想像の外にあった。あるいは虚構であれば押し通せたかもしれないが、今のこの結果がすべてなのだろう。

 行き場のない憤懣を耐えていると、神室少佐が小さなため息を共に口を開く。タブレットは脇に抱え、何も言わずに部屋の隅のコーヒーメーカーへ歩み寄った。いつもは了承を取るのだが、飲まなければやってられないらしい。この男にしては珍しくいらだっている。

「それで、どうなさいますか。下命された以上はノーリアクションとはいきますまい」

「君の意見を先に聞かせてくれないか」

「放棄といっても、エウーリアスをこのまま放置すればどうなるか想像もつきません。可能性だけを論じるならば、エウーリアスはその意思と影響力を宇宙空間にまで及ぼすこともあり得ます。メタファが戦闘機から航宙艦になり、もしかしたら超光速航法すら獲得するかもしれません」

「そして周辺星系へと拡大し我が国の脅威となる、と? 突拍子もない話だな」

「艦長、これは現実的な話ですよ。現にエウーリアスは、有機戦闘機メタファを独力で飛行させています。人類には未知の技術を使用したものを、何の資源もなしに、です。航宙艦も同じように生み出せないという保証がありますか? わたしとしては、次の瞬間にステルス性に優れた<サギリ>と同規模の艦艇が横に並んでいたって驚くには値しないと思います」

「だが、君はこれまでそうした脅威を積極的に報告してこなかったではないか。いや、責めているのではなく、事実としてそうしてこなかったという意味だが」

「エウーリアスの脅威ばかりを誇張すれば、艦隊司令部が軌道爆撃などという暴挙に出ると考えたからです。エウーリアスは危険ですが、共存の余地はじゅうぶんにあります。ほんの少しの可能性でも、この星を傷つける道に近付きたくはなかったのです。それに……」

 これまで幾度となく言葉を交わしてきたからだろうか、那須大佐には神室少佐がその後に続けたかった言葉を理解した。

 エウーリアスでは意思探査任務という形態をとってはいても、いま自分たちが行っているのは人類にとって初めての異種知性体とのファーストコンタクトだ。その結末を容易に相手の殲滅、虐殺という手段に訴えるのは断じて許されるべきではない。無用な血を流さず、相互理解という人類共通の価値観に沿う結果を目指さなければならない。道義的な意味でもそうだし、人類という種の清廉潔白さを欠片ほどでも信じるのであれば尚、そうしなければならない。さもなければ、我々は蛮族へと逆戻りするばかりか、自らに被せた汚名を濯ぐことはかなわないであろう。

 はっと息をのみ、那須大佐はこの状況の最も厄介な部分を理解した。<サギリ>の行動如何で、人類とエウーリアスというふたつの知性体、その間にかけられる橋の意味をすら左右してしまうのだ。

 その考えを見透かしたように、神室少佐は熱いコーヒーを一息に飲み干して居住まいを正した。

「幹部を集めましょう。我々だけで今後の方針を定めるのは危険です」

「そうしよう。すぐに招集をかけてくれ、少佐」

「了解です、艦長」





「馬鹿じゃねぇか? 拾ってきた猫じゃねぇんだぞ、はいそうですかって放り出せるかよ」

 甘木丈二少尉がいつもの飄々とした様子を捨てて、苛立ち――あるいは怒り――を隠そうともせずに言うと、隣に座るアダナミがしきりに頷いた。炎のように赤い髪が揺れる。

 ヴェラス・ユーエ少尉とユキシロのペアは静かに話を聞いているが、内心は甘木少尉と同じく憤っているのは気配でわかった。要翠少尉は微動だにせず次の神室少佐の言葉を待っているようであり、ミズカゼはどこか心配そうに傍らの機長を横目で見ている。他の幹部たちも同意見で、顔を見合わせたりして小声で甘木少尉と同じようなことをささやきあっていた。

 種々様々な反応に神室少佐と那須大佐は黙ったまま立っていて、何かを確かめるように眺めている。

 仮装航空巡洋艦<サギリ>は巨艦といえど高度な自動化により少人数での運用が可能となっている特殊艦艇だ。幹部招集といっても艦長、第二○一飛行戦隊長、各パイロットとルーフェ、そして機関部など各部署の長を含めても二十名に満たない。しかし惑星エウーリアスにおける意思探査任務においては人類最精鋭、唯一といっていい専門家プロフェッショナル集団だ。その彼らをして憤慨させているのだから、第二開拓艦隊司令部から届けられたくだんの命令と判断がいかに荒唐無稽なものであるのかは論じるまでもない。あるいは艦隊司令部の無知蒙昧さが露呈したとも取れるが、実際にはソルベルト連邦評議会の財政判断に端を発するものだ。

 吸い込んだ息を乱暴に吐き出して、アダナミは右手で赤髪を掻き上げた。

「珍しく、わたしも機長と同意見です。といっても皆そうでしょうけど」ちらりと周囲に並ぶ人影を一瞥し、「<サギリ>単艦でいえばこの星の軌道上を離脱すればいいでしょうけど、問題はさほど簡単とはいえません。そもそもエウーリアスがどんなリアクションを取るのかも想像がつきませんし、仮に放棄するとしても具体的に何をすればいいんでしょうか」

 アダナミの言葉は正鵠を射ているのだが、それは並みいる面々を悩ませている問題をさらに明確化したものに過ぎない。明確な回答など出ないまま、問いだけが宙吊りになって部屋のあちこちを往復する。

 結局のところ、彼らは軍人であって司令部の命令には従う義務がある。不平不満を言っても、拒否することはできない。命令を無視したいのは山々だが、そうすれば航宙軍の介入に口実を与えるであろうし、もっと大きな問題を呼び込む愚行に過ぎない。

 しばらくの沈黙の後で、ミズカゼが厳かに手を挙げた。神室少佐は顎をしゃくって発言を促す。

「たとえば、どのような形であれ第二開拓艦隊のマンタリア星系における活動が終息したとします。その時、ルーフェはどうなるのですか」

「正直に言えば、不明だ。そのまま廃棄ということは無いと思うが」

 あまりにも冷酷ともいえる神室少佐の言葉に、居並ぶ幹部たちはざわめいた。だが三人のパイロットと同じ数のルーフェは、さもありなんと頷いているが、ヴェラス・ユーエ少尉だけはやるせない声をあげた。

「最悪の場合は殺すっていうんですか、ルーフェを?」

「ルーフェは人工知性体だ、ユーエ。ソルベルト連邦において人権を持つかどうかは議論の余地があるし、法的には第二開拓艦隊の意思探査任務に向け調達された装備品に過ぎない」

 翠が窘めるように指摘する。珍しく怒りをあらわにしたユーエ少尉が身を乗り出して彼を睨むが、翠はその視線を受け止め冷淡に見つめ返すだけだ。甘木少尉が間に入って手を振る。

「翠、あんまり挑発的なことを言うなよ。そもそもルーフェをどうにかすると決まったって、この場の誰が認めるっていうんだ?」

「お前こそ甘ったれたことを言うな、甘木。だが、まあ、そうだな。ともかくルーフェに対しては同意見だし、そのためにも現状をなんとかしなけりゃならんだろう。少佐、おれの意見を述べても?」

「もちろんだ、要少尉。言ってみろ」

「司令部にはこう返せばいい。『エウーリアス地表にソルベルト連邦の機密が散在しており、これの回収は困難を極める。現下の状況を鑑みての命令実行と判断せざるや否や?』、と」

 居並ぶ幹部たちは翠の言わんとするところを即座に理解した。

 二年前に地表へと降りた開拓団の第一弾が残した機材などが散乱しているはずと考えたのである。惑星エウーリアスは意思を持っている、という前提に即して考えればその情報は回収しなければ、後日どのような影響が出るものかわからない。巨大なソルベルト連邦といえど宇宙海賊をはじめとする多くの犯罪組織と悪戦苦闘する毎日である。これを放置してマンタリア星系を放棄すれば、犯罪組織がマンタリア星系を根城とした場合に膨大な量の機密情報が流出する恐れもあった。

 もちろん、<サギリ>の乗組員であるからにはそんなものは方便に過ぎないことは百も承知である。エウーリアス地表においていかなる人類文明の痕跡も発見されていないし、三七〇名余の開拓第一段が着陸と同時に消え失せてからというもの、そこは人類の世界ではない。エウーリアスなのである。

 翠の返答内容は皮肉に満ちていた。この程度の状況もわからぬから支離滅裂な命令を寄越すのだ、という意味にとれなくもない。これを理解するだけの聡明さが第二開拓艦隊司令部にあればまだ救われるというものだが。

「わたしも同意見だ。というより、そうやって返信しようとしていたが」

 口をへの字に曲げながら、翠はミズカゼと顔を見合わせた。結局は神室少佐の思考をなぞっただけに過ぎなかったらしい。

「要少尉の提案で対応を実施しようとは思うが、ひとつ付け加えるならば貴官の言葉は、貴官自身が考えているよりも真実を多分に含んでいる。我々は重要な情報をこの星に残したままだ。それは実在し、あまつさえまだ相手の手中にある」

「ヒタキか」

 ルーフェでなくとも、翠の声に忸怩たる思いが滲んでいるのは明らかだった。隣に座る甘木が手を伸ばして、顔も見ないまま翠の肩に手を置く。四人目のルーフェを、着任時の訓練からエウーリアスのラシルフ大陸上空でのベイルアウトまで見届けたのは、他でもない要翠その人なのだ。そしてその時、レーダー員であるミズカゼですら同じ光景を共有することはできなかった。

 ミズカゼは甘木とは反対側、翠の左側の席に慎ましく座りながら彼の心を覗き込んだ。

 最近になって、ミズカゼは自身の感情感知能力が高まっていることを自覚していた。それは分解能が上がった、範囲が広がったというわけではない。彼女自身、十年にも満たない生涯の中で多くの人間と関係を持ち、要翠という個人と相対することで感情の機微を、頭ではなく心で理解し始めたからだ。情報を詳細に分析することと、その本質を理解することの間には埋めようのない隔たりがある。

 ルーフェといえど、人間の感情を全て読むことができない。いや、理解しきれないといったほうが正しい。怒っている、喜んでいる、悲しんでいる、呆れている……それらを感知できても、なぜそう思うのかを推測する本当の共感能力という点において乏しい。それこそがルーフェの弱点であり、彼女たちを設計した科学者たちが意図的に持たせた欠落だった。周囲から感ぜられる数多の喜怒哀楽に振り回されていてはよろしくない。レーダーは受信する電磁波の意味まで考える機能は求められていないのだ。

 だが翠の感情は、ミズカゼの理解の範疇を超えていた。深い沈痛とも、熱い憤激ともつかぬ複雑な感情の波に押しつぶされそうだった。他でもない、翠自身が、である。この頃、この上司であり戦友であり親友である男の感情について及びもつかないことが増えていた。最早この男を真に理解することはできないのではないかと思えるほどに。

 そこで思わぬ人物が口をはさんだ。艦長である那須大佐である。彼は最高指揮権を持ちながらも特殊性を極める意思探査任務については傍観者、調停者となることが多かった。積極的な口論参加はほとんど初めてといっていい。

「殊更にルーフェ各個人に優劣、ましてやその生命に軽重をつける意図は毛頭ないが、ヒタキは生産されて間もない。ソルベルト連邦……というよりは我が艦になるだろうが、機密という機密にも触れる余裕もないまま行方不明となった。いささか論拠としては弱いものではないか」

「艦長、全宇宙に共通の情報とは何かと考えますか?」

 突拍子もない質問で返された那須は、持ち前の人柄の良さで素直に答えてしまう。

「数字、ではないかな。星がひとつ、ふたつという概念は宇宙共通だろう。実際の文字が異なっていても、概念は共通化されるはずだ」

「中らずと雖も遠からず。情報とは粒子配列を差します。あらゆる物質を構成する素粒子がいつ、どのように宇宙空間の特定座標上に浮かんでいるか、それが情報です。この場合、人間が知覚し取り扱う情報とは本質的な意味において異なります。人間は電磁波の波形にも意味を与えますが、それは宇宙の共通言語ではない」

「話が見えないな。我々が情報として扱うものが、電磁波通信の波形や電圧の高低であるというなら、なおさらエウーリアス地表には機密と呼べるものなど存在しないじゃないか」

「それが存在するんです、人類とエウーリアス双方にとって共通言語とも呼ぶべき、膨大な量の情報が」

 幹部たちは腕を組んだり頭を掻いたりしながら思索に耽ったが、やはりすぐに神室少佐の思考に追いついて声を発したのは翠だった。

「ヒタキの遺伝子情報か。ルーフェは人間と完全に同じ塩基配列ではないが、人間のものを基礎としている。遺伝学の分野を究極的に突き詰めれば、彼女の遺伝子は情報の宝庫だ」

「そういうことだ。ヒタキにはルーフェだけでなく人間の遺伝子情報も含まれている、というのがミソだな。エウーリアスは現時点でその双方について理解を深めているだろう。メタファの例にあるように、この惑星においては何かを創造するにあたり生産工場など必要ない。文字通り無から生まれるように見えるし、高度なステルス性によりルーフェでなければ探知できない。例えば人間と区別のつかない人型メタファを実戦に投入することも考えられる」

「だが、エウーリアスはそうしていない。この局面で新たに検討すべき事項が増えたわけだな、少佐」

「とはいえ、我々がいま槍玉にあげているのはエウーリアスではなく、対人類戦略とも呼ぶべきものです。要少尉の言う通りエウーリアスが人類の情報を得たことでどういったアクションを取るかは意思探査任務の範疇で考えるべきでしょう。詰まる所わたしが申し上げたいのは、先ほどの内容で第二開拓艦隊司令部へ返信したところで問題はないということです」

「うむ。では、返信文はわたしのほうで作成し送信しよう。神室少佐、今の議論でもいくつかの成果が得られたことと思うが、それを基に意思探査任務を継続してくれ。今後の方針に変化があればすぐに連絡するように。逆に、艦隊司令部からの命令で何かあればわたしから諸君に伝達する。質問は?」

 それ以上は特に意見もなく、会議は解散された。

 十八分後、那須大佐の手により返信文が作成、送信された。輸送艦<シマヅ>は既にマンタリア星系外縁部より最寄りの開拓基地へと向かっており、最終的にエウーリアスへ到達し補給作業を行う予定だったので、入れ替わりに星系を去っていく輸送艦<モウリ>が通信内容を携えて跳躍していった。

 仮装航空巡洋艦<サギリ>では既に幹部による会議が終わり、神室少佐が意思探索任務に基づいた飛行計画の立案を行なっていた。幹部会から丸一日が経過しており、明敏な頭脳にほんの少しの鈍りを覚えながらコンソールを打鍵している神室少佐へ向けた通信文が届いたのは、<モウリ>の跳躍と同時刻だった。





「ヒタキは生きているのでしょうか」

 自らの乗機である<ミズカゼ>の機首から左側面に伸びているラダーに手をかけたまま、ミズカゼは後頭部でまとめた砂色の金髪が揺れるのも構わずに勢いよく振り返った。後ろに立ちながらしきりに耐Gスーツの太腿のあたりを気にしている要翠少尉は、頷きながら足に巻きついたホースを叩く。

「おれはそう信じている」

 翠はそれだけ言い、これ見よがしに抱えているヘルメットを揺すった。余計なことを言わずにさっさと乗れと催促されているのはわかったが、あえて気付かない振りをして次の言葉を待つ。

 およそ二時間前に神室少佐のコンソールへ送信されてきたメッセージは、第二開拓艦隊で使用されている暗号回線プロトコルに完全に則ったものであったが、送信元だけは架空のアドレスが使用されていた。先方は自身をラシルフと名乗り、これは先だってヒタキがベイルアウトしたラシルフ大陸を指すと思われた。宛先は第二〇一飛行戦隊としており、その指揮官である神室少佐が宛先として設定された経緯だろう。

 これは重要なことだと神室少佐は言っていた。エウーリアスは史上初めて、自ら名乗ったのだ。知性の証明であるのと同時に、ラシルフが人語や組織といったものに対して予想以上に理解を深めていると推察できた。

 そしてラシルフという名前から、<サギリ>幹部では急速にある仮説が信憑性を帯び始めている。即ち、地表に繁茂したテラフォーミングのための人工植物の森が遺伝子変異を起こして地下でネットワークを形成し、それが神経網となって知性を持つようになったという説である。この場合、エウーリアスには複数の知性が存在し、それらは海を隔てた大陸単位で存在すると仮定できたが、裏付けとなる証拠が意思探査任務で得られなかったのだ。そしてこの通信文は、求めていたその証拠となる、なりうると考えられたのである。

 文面は違和感のない文章で構成されており、端的に言えばラシルフ大陸上空へ戦隊機を全て発進させろというものだった。神室少佐はこの要請に応じる意思を示し、那須大佐の承認と幹部も全員が賛成したため実行に移された。

 <サギリ>格納庫は発進準備を行う整備員で溢れかえっており、活気付いていた。

 翠がヒタキを捜索するといってミズカゼを後席に乗せず出撃しようとした時を思い出す。今回は共に任務に臨むのだが、心の持ち方が以前とは大きく変わっている。翠を理解していたつもりだが、いまやこの男はミズカゼにとって最も頼りになる相棒であり、得体の知れない何者かである。そして電動カートを破壊した一件で芽生えた不信感も今は和らぎ、この男の何かを信じたいとさえ願っていた。

 翠はラダーに足をかけたまま動かないミズカゼを見かねて、ため息をつきながら歩み寄った。彼女の抱えるヘルメットに、自分のものを軽くぶつける。

「ミズカゼ、いったい何を気にしているんだ。状況が複雑なのは認めるが、つまりはいつもの意思探査マインドシーキング任務じゃないか」

「わたしが気にしているのは、あなたです、機長。これが罠でないと確信を持てますか? いつものように自信満々なのは結構なことですが、根拠のない楽観は禁物です」

「おれがエウーリアスから着陸しろという要請を拒否したのに、今は唯々諾々とラシルフ大陸へ飛ぼうとしているからか?」

 こくりと頷くミズカゼを凝視しながら整理した言葉を彼は吐き出した。

「ラシルフとやらがおれたちを罠にはめることは無いと思う。はっきり言って、おれたちを葬りたければいつでもできるんだ、エウーリアスは。メタファの大群を<サギリ>へ体当たりさせればいいんだから」

「では、こういう解釈はどうです。<サギリ>ではなく第二〇一飛行戦隊と対話をしたがっているように見えるのは、人間とルーフェの違いを理解したからであり、我々と<サギリ>を切り離したがっているからではないか」

「一理ある。だがおれは違う解釈をしているよ」

「どのような?」

「ルーフェの能力を最大限に活かせるのは、ゲンチョウの機上だということだ。それに、<サギリ>でも成層圏より下の高度まで下がれるだろうが、それでは大陸へ着陸できない。先方がおれたちを呼ぶのはただ、それが最適だからという話だ」

「危険はない、ということですか……」

「もちろん、確約はできんがな。ミズカゼ、はっきり言えよ。いちばん不安なのはお前自身だろう。おれはお前を安心させるに足る情報は持っていない。それはラシルフとやらが持っている。だから飛ぶしかないんだ。逆説的だが、それがいちばん確実な方法だよ」

 気付けば心を読まれていたのは自分のほうらしい。ミズカゼはルーフェとしてまだまだ未熟な自身を少し恥じながら、この男はなぜそこまでわたしを理解できるのだろうとふと思った。

「……そうですね。申し訳ありません、機長」

「さあ、それなら準備を早くしろよ。少佐にどやされるぞ。飯も抜きになるかもしれん。ルーフェも人間も、腹が減るんだからさ」

 ラダーを登り切った二人は機長席とレーダー員席にそれぞれ腰を落ち着け、規定に則ったシステムメンテナンスを行ったうえで発進準備完了の通信を送った。整備員らが把握している情報と合わせて<ミズカゼ>の飛行に何の問題もないことが確認されると、<アダナミ>、そして<ユキシロ>が相次いで準備完了を報告した。戦隊機の全てが発進準備を終えたため、艦橋で状況把握に努めている神室少佐は那須大佐と短いアイコンタクトを交わすと順次発進を命じる。

 一番機<ミズカゼ>がランディングパッドごと動き始める。傍らに続くのは<アダナミ>だ。閉じていくキャノピから手を振る整備員たちへ簡易的な敬礼を送った。

 対爆隔壁を抜け、艦底部のハッチが開かれる。目前に見えるのはラシルフ大陸で、濃淡の激しい緑色が一面を覆っていた。機首を下方へ向ける形で吊り下げられたゲンチョウのエンジンが咆哮をあげ、アームからリリースされるとエウーリアスの地表へ向けて一直線に進み始め、一定の距離を置いたところで揃って機首を水平に持ち上げる。そのまま<サギリ>周辺下方の空域を大きく時計回りに旋回する軌道に乗り、やや時間を空けて<ユキシロ>が続く。合流した三機は<ミズカゼ>、<アダナミ>、<ユキシロ>の順で梯形の隊形を取ると<サギリ>を離れた。

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