第三部

第一話

 雪が見てみたい、とユキシロが言い出した。

 ソルベルト連邦評議会、開拓委員会の傘下である第二開拓艦隊所属、仮装航空巡洋艦<サギリ>で運用される第二〇一飛行戦隊には三機の戦闘機、FS-11ゲンチョウが運用されている。地球化テラフォーミングの過程で意思を有するに至った惑星エウーリアスにおいて、星の意思を第六感で察知し、探索する意思探査マインドシーキング任務のために生み出されたルーフェをレーダー員とし、同艦隊所属の戦闘機パイロットとペアを組んで作戦に従事する特殊部隊だ。

 三機のゲンチョウはそれぞれ、三人のルーフェと同じパーソナルネームが与えられている。一番機から順に、ミズカゼ、アダナミ、そしてユキシロだ。

 三人は任務の性質と一隻の航宙艦の限られた居住スペースで生活している都合上、顔を合わせる機会は多い。だが三人一緒ということは稀有で、それは常に一機は意思探査任務のため艦を離れ、エウーリアスの空を飛んでいるためだ。

 飛行戦隊を統括する指揮官として、神室応助少佐が飛行スケジュールを管理している。昨今、<サギリ>を取り巻くエウーリアスの空は変化が著しく、彼の方針として状況分析のために時間を設けることとなった。訳も分からぬままに高価な機体とルーフェを危険に晒すわけにはいかないというのが神室少佐の説明だったが、話を聞いている誰もが、神室少佐でさえ次に何をすべきか、どこを、いつ、何機編成で飛ぶべきかを決めかねているのだと理解していた。

 実際問題、ゲンチョウに乗り組み空を飛ぶ六人からしても、今後どうすべきかを考える時間が必要だった。既に第二〇一飛行戦隊は教条的な軍組織としての硬直から抜け出し、各自がそれぞれの世界観と行動原理を以て意思探査任務に従事する柔軟性のある組織へと進化していた。神室少佐の飛行計画という、守るべき原則は存在しているものの、実際にエウーリアスの空に出て意思を探し追い求めるのはパイロットとルーフェだ。眼に見える敵を探すという単純な任務でない以上、複雑な状況に臨機応変に対応するためには、個々人が確固たる意識を持って操縦桿を握るしかない。

 要するに休暇と言いつつも実際には任務であったのだが、三人のパイロットが慎ましく考えに耽っているのに対して、三人のルーフェはまず息抜きを市に食堂を訪れたわけだった。

 偶然顔を合わせて何の気なしに世間話をしていた折のユキシロの発言に、アダナミがへぇ、と感心したように声を上げる。ミズカゼは並々とココアの注がれたマグカップを口元へ運びながら、思いつめたようなユキシロの面差しを横目で見ていた。

「それはまた、いったいどうして?」

 ユキシロは手にしているバニラアイスクリームからスプーンでひとすくいして口に入れた。機械というよりも雪女のような人間離れした精密な仕草で、だが赤い瞳と白い髪は物憂げだった。

「アダナミ。あなた、自分の名前の意味ってわかる?」

「海の、波の一種だったかしら。ミズカゼは?」

「わたしは、幸運を運ぶ風という意味。アダナミは風が吹いてないのに立つ波のこと」

 ちょうど手にしていた携帯端末の画面をタップし、お絵描きアプリを起動して指で文字を書く。雪代ゆきしろ徒波あだなみ瑞風みずかぜ

「風がないのに波が起きるなんて、不思議ね」アダナミは手にしたサイダーをストローで勢いよく吸い上げながらぼやく。「ミズカゼの名前の意味は素敵だわ、羨ましい」

「ありがとう。ちなみに、徒波というのは人間の心を表しているの。喜怒哀楽が巻き起こっては消えていく」

「納得。じゃあ、ユキシロは?」

「わたしは、雪解け水が勢いよく流れ出ること。水に関するということでは、アダナミと似てるわ」

「で、それがどうしたの。あなたのことだから、また何かユーエに吹き込まれたんでしょ?」

 ちょっとした怒りの感情が感じられ、ミズカゼは細い眉をしかめているユキシロの顔を見た。言い当てられたことよりも、ヴェラス・ユーエ少尉との仲を揶揄されたことが気に入らなかったようだ。

 最近は、ユキシロとユーエ、アダナミと甘木という二人組でいることが多い。食堂やトレーニングルームで見かけることが以前に増して増え、対称的にミズカゼは相棒であり直属の上官でもある要翠と過ごす時間が極端に減っていることを意識していた。

 原因は間違いなく、<サギリ>艦内における意思探査任務だ。あの時、翠とミズカゼは生身で武装したまま艦内を探索していたが、エウーリアスの意思に操られた給仕用の電動カートと遭遇した。対象が警告を無視し攻撃の意思を見せたため翠が発砲、カートは破壊された。

 ミズカゼは無害な電動カートを破壊した翠の行動に深い憤りと失望を覚えていた。もちろん、翠のミズカゼを守るために発砲したという説明は妥当なものだし、理解できる。しかし事後の調査で、ミズカゼと翠の報告から回収された筐体には武装はもちろん人間に危害を加えるような機器類は見つかっていない。要するに、あの電動カートを操っていた意思に敵意が含まれていたことは間違いないが、どんな行動も人間には無害だったということだ。それはルーフェにとっても同じで、翠の言っていた危険など可能性に過ぎずどこにも存在しなかったということだ。

「ユーエは本が好きで、よく貸してくれるの。旧地球の東洋に位置していたとある島国の詩集が好きで、何回も読み返してる。その中にわたしの名前が出てきたものだから、彼に聞いたの」

「物静かで知的なところがあって素敵よね、ユーエ少尉。うちの機長は飲みかけのエール片手にソファで眠ってるようなだらしない男だから、羨ましいわ」

「まあ、甘木少尉のことはいいとして。雪代というからには雪が関わるのだけれど、わたしは生まれてからこれまで、山や空を見上げたことはないことに気付いた。もちろん雪はおろか、雨だって経験したことがない」

「だから見てみようってわけね。エウーリアスにも山河があるけど、あんなに近くにあるのに降り立ったらどうなるかわからない。だから取り寄せるしかないんじゃない?」

 戦闘機パイロットとして瞬間の状況判断能力に秀でる翠は、これを理解していたはずだ。発砲し破壊した翠の判断は、次善の策と呼ぶにはあまりにも暴力的だった。実際、神室少佐も翠の行動は少しばかり過剰な反応だと評していたし、甘木少尉などからはミズカゼと二人でカートを転倒させてしまえば無害化できたのではないか、とも言われた。

 それに対する翠の反論はこうだ。敵意を示した時点でなにがしかの加害方法を思考するのは知性として当然の論理であり、放置はできなかった。さらに言えば、今でこそ安全が確認できているが、あの筐体の内部に爆薬が詰め込まれている可能性もあったのだから、発砲し接近を阻止した自分の判断に誤りはない。神室少佐らは納得し、翠の行動は適切であったとみとめられた。

 人間の論理は恐ろしい、とミズカゼは恐怖を覚えた。要するに、人間でないのであれば、害を及ぼす可能性のある存在は排斥されるべきだと冷徹に暴力を容認する思考が人間の中には自然と存在していて、彼ら自身が認知しないままその行動に影響を与えているという事実だった。

 もちろん、今もこうして食堂に集っている乗組員が突然に暴力沙汰を引き起こすというような状態にはならないわけだが、必要とあれば如何なる手段も問わないというその姿勢を、ミズカゼは容認できなかった。ルーフェという存在は、暴力に頼らない相互理解の手段として創造された知性だ。暴力を認めることは存在理由を否定することに等しく、だからこそ彼女は反駁していた。

 ユキシロとアダナミも同意見だといったが、一方で、翠があなたを気遣う理由も理解できると口を揃えた。彼は通りすがりの一般人でもなんでもない、航宙艦に乗り組み生死をかけた飛行任務を遂行する軍人なのだから、解決手段が暴力的になるのもやむを得ないだろう、と。

「最近のあなたは随分とルーフェらしくなったわね、ミズカゼ」

 名を呼ばれて顔を上げると、ユキシロの視線とぶつかった。どうやら彼女に感情を読まれてしまったらしい。また始まったと言わんばかりに大仰に肩を竦めるアダナミはレモネードのおかわりをもらってくるといって席を立った。

「ルーフェらしいというのは」

「人間との違いを認識しているということ。気付いてる?」

「何を」

「本当に友達と呼べるのは、この三人だけなのよ。他は部外者でしかない。もちろん、だから敵という線引きをするのではなく、わたしたちはルーフェとして世界を見る必要がある」

「雪を見るのはルーフェにとって必要なことなのかしら」

「それはに必要なの。ルーフェに求められるのは、あなたのように人間の価値観から外れた知性を発揮すること。要少尉の行動は確かにわたしにも鼻につくけれど――」

「あなたが貶すほど、彼は落ちぶれてない」

 反射的に翠をかばうような言葉を吐いたミズカゼをしばらく見据えた後、ユキシロはぽつぽつと語り始めた。

「あなたたちは四カ月前に変わった。わたしも、先日の戦闘で生まれ変わったような……いえ、死んだような気分だった。何もかも変わりゆくけれど、変わらないことも変化のひとつなのよ」

「人間とルーフェ、どっちのことを言っているの?」

「両方。だから、悩んでもどうしようもないことはあるし、受け入れるか反発するかもあなた個人の問題でしかない。鬱屈した感情を吐き出したいのなら、わたしかアダナミに吐き出しなさい」

 そこで初めて、ミズカゼは自分がどんな感情を周囲に振りまいていたのかに気が付いた。ユキシロもアダナミも決して快くはなかっただろう。むしろ、他人に感情移入してしまうアダナミなどには悪影響にしかならない。

「ありがとう、ユキシロ」

 素直に感謝を述べると、彼女は澄ました顔で相槌を打つ。

「当然よ。友達だもの」





 所在なく<サギリ>艦内を歩き回った挙句、困り果てて展望室へとやってきた。ハッチを開いて中を覗くと、パイロット以外は忙しなく働いているシフトのためか人影は見当たらない。安心して壁一面に映る星空とエウーリアスの空、そして大地が入り混じる壮大な景色を眺める。

 昨今、ミズカゼというパートナーを理解することでこの惑星の複雑性を紐解く糸口としようと奮闘していた自分の判断は間違っていたのだろうかと、翠は自問する。

 少なくとも、ミズカゼとの関係が惑星エウーリアスにおける意思探査任務に臨む上で非常に合理的、かつ効果的であったことは確かだ。ルーフェという人間と同じ姿をした別種の知性を理解すれば、異質な知性であるエウーリアスを理解する助けとなる。そのままエウーリアスの意思を突き止める物差しとはならないだろうが、相手を理解するという行為については実践あるのみで、事実、ミズカゼと接することでエウーリアスの意思、その有り様へとほんの数歩であったとしても近づくことができた。

 ところが先日の一件で、ミズカゼはずっと遠くへいってしまった。正直なところ、生物学的な意味合いを抜きにすれば自分こそがミズカゼをいちばんよく理解しているという自負が翠にはあったし、事実そうであるのだが、だからこそミズカゼの思考を逆算して人間との決定的な違いを意識せざるを得ない。

 翠は軍人であるから、任務遂行のために何を犠牲にして目的を達成するかという合理的な思考を持っている。要するにプロフェッショナルらしい論理的思考を持っているのだが、ミズカゼは冷徹といえる翠の気質を垣間見て、恐れを抱いた。彼女自身が理解しているかは定かではないが、つまりこういうことだ。ルーフェは人間の被造物であり、もし似たような選択を迫られれば、翠が躊躇なくミズカゼを破壊するのではないか。彼女はそう考え、これまで築いてきた信頼関係が裏切られたと失望した。

 当然ではないか、と翠は思う。ミズカゼはルーフェとして優れているだけでなく、今や数少ない意思探査の専門家だ。翠もそこに名を連ねるだろうが、経験を積んだルーフェほど貴重な存在はいない。そして特殊性を鑑みれば、ルーフェが生きていくにはエウーリアスが必要だ。だからこそ、翠はあの電動カートが危険かどうかに関わらず、攻撃の意思を見せた時点で発報し、破壊措置を講じた。それが最も合理的で、かつ、逡巡することもないほど明白な必要性を持っていたからだ。

 結局、おれとミズカゼ、人間とルーフェは違うのだ、と翠は結論付けた。彼女たちは外の世界を知らない。人間社会を知らない。おそらくそこに属しているという意識もないまま、このエウーリアスでどう生きていくかを考え、軍人としての思考を持たないでいる。それは意思探査任務に従事する上で重要な要素のひとつなのは間違いないが、相互理解の先にあるものが調和ではなく隔絶だとするなら、なんと虚しいことに自分は命を懸けているのだろうかと嘆かずにはいられない。

 翠は大きな積乱雲がエウーリアスの大陸を覆い尽くすのを遠くに眺める。巨大な雲はソルベルト連邦の他の地球型惑星よりも壮大で、なまめかしく感じられた。もくもくと成長している積乱雲は軌道上から見れば恒星の光を反射して輝き、さながら綿飴のようだが、地上から見れば逆に恒星の光を遮る影となって、さぞ恐ろしく見えるに違いない。

 <ミズカゼ>の機上から見た新しいメタファを思い出す。あの敵は間違いなく、激しい敵意を抱いていた、きっと翠に対して。

 それみたことかとミズカゼは言うだろうか。言わないだろう。彼女はただ無言で訴えるだけだ。それは正しい行いなのですか、と。

 おれたちの間には壁があることが理解できた。

 航宙服のポケットに両手を突っ込んで呆けたように惑星を眺めていると、唐突に背後から声をかけられた。

「お前が目に見えて落ち込んでいるのは珍しいな」

 振り返り、挙手敬礼。展望室にやってきた一人の男、神室応助少佐は律儀に答礼する。

 さっさとどっかにいってくれ、という気持ちを込めてあえて丁寧に敬礼してみせたのだが、神室少佐は知ってか知らずかお構いなしに翠の隣までやってきて、腕を組んだ仁王立ちの姿勢でエウーリアスの空に渦巻いている積乱雲を見た。

「落ち込んでなどいません。自分は軍人ですから」

「矛盾した回答だ。軍人であろうとなかろうと、お前は要翠だ。少尉という肩書きを得る前、そしてそれが無くなった時に残るものだ」

「この星で、人間など塵芥に過ぎませんルーフェであれば互角に渡り合うことも可能でしょうが」

「それが貴官の本心であれば肯定しよう」

 沈黙。

「あれほどの規模の積乱雲であれば、わたしの故郷などひとたまりもない」しばらく無言で眺めた後で神室少佐はおもむろに話題を変える。「わたしはソルベルト連邦の田舎惑星の出身でな、発電所は一般的な核融合炉でも開拓期から使用されている骨董品を、騙し騙し運用しているような星だった。人口も増えず、農業生産で住民は食い繋いでいた。あんあ嵐が街を襲えば、半分の住宅が損壊し、インフラも壊滅的な被害を受けるだろう」

 珍しい神室少佐の自分語りに驚きながら、翠はこの場を立ち去ろうとしていた足を止めて話に聞き入っていたが、すぐに神室少佐は話を戻した。

「エウーリアスは、驚異的な惑星だ。お前の言うとおり、たとえばゲンチョウに我々二人で乗り組んだとしても、瞬く間にメタファに撃墜されて終わりだろう。あるいは、機体ごと鹵獲され死ぬより酷い目に遭うかもしれん。もしかしたらあの積乱雲に突っ込んで墜落するかもしれない」

「何を仰りたいんです?」

「我々がこうして意思探査任務を実行しエウーリアスと相対するのは、嵐を克服し、土地を開墾して生活圏を広げようとした太古の地球人類と、なんら変わらない所業だということだ。手にしていた原始的な鋤や鍬が、ルーフェやゲンチョウに変わったに過ぎない」

「お言葉ですが、ルーフェは農具とは違って知性がありますよ」

「それは重要ではない。知性の有無が我々の、何がしかの存在に対する接し方の指標とはなるが、決定的なものにはなりえない」

 正直に言えば、翠は驚愕していた。ルーフェやゲンチョウを装備のひとつとしてみなし、扱ってきたであろう他でもない神室少佐が、観念論的な論調を繰り出すのは意外だったのだ。

 ルーフェという存在は道具に過ぎないが、道具だからといって蔑ろにされてはいない、と彼は言っているのだが、それはつまり軍組織の中の一部、与えられた役割を果たす存在として同等のものなのだという職業意識から比較しているに過ぎないのではないか。翠はそう考え、神室少佐は翠の驚きに明らかに気付いていたが、嘲るでもなくさもありなんと頷くでもなく、教え諭すようにただ話を続ける。

「わたしもお前も、名前からして旧地球は東洋の島国に住んでいた人々を先祖としているのだろう。彼らは付喪神という概念を持っていた。簡単に言えば、長く使った食器や衣類が精霊の類となるという伝承だ。付喪神は人間をたぶらかすことが多いが、中には人間のために幸運を運んだりするものもいる」

「ルーフェも、付喪神だと?」

「ルーフェも、ゲンチョウも、お前の破壊した電動カートも、このエウーリアスでさえ、付喪神だ。本質的に、お前が電動カートを破壊した行為は何を対象としたとしても不思議ではないのだ」

「でも、自分は――」

「仲間を傷つけたりはしない、と言いたいのだろう? 正にその認識こそがお前の甘さだと言わざるを得ない。言っておくが、本当にわたしや甘木、ユーエを害すると確信して話しているのではない。その可能性も否定できない状況で、お前自身が自分の行動原理を理解しきれていないことが問題なのだ」

 何も言い返せず、翠は言葉を探してエウーリアスの大気上層部あたりに目を凝らした。低高度を高速で移動し、遠心力でエウーリアスの重力と釣り合わせて高度を保っている<サギリ>の速度では眼下に見えるものが惑星ではないと錯覚するほど、速い。

 おれは、素早く変化する世界の何を見落としてきて、いま何が見えていないのだろう、と翠は考え始めた。神室少佐はその様子を見て満足したのか、翠が気付いて振り返った時には姿形も見えなかった。今まで幽霊と話していたのかと思えるほどに、神室少佐の気配はきれいさっぱりと消えている。

 考えをまとめるためには展望室に残るよりも、自室の寝台の上に戻るべきだと考えて踵を返す。

 ふと、ハッチの近くで振り返ると、エウーリアスの青い空がひときわ強く輝いているようで、翠は自分の灰色の航宙服が空色に染まっているのに気が付いた。





 那須大地大佐からの招集命令を受け取った神室応助少佐は、すぐに執務室を出て艦長室へ向かった。

 <サギリ>艦内は、恒星間航行能力を持つ航宙艦の中でも珍しく艦内容積にかなりの余裕がある。ガス惑星でのヘリウム採掘を想定した設計を基にしているためであるが、これが艦内の風土に大きな影響を与えていた。

 通常の航宙艦であれば、艦長クラスにならなければ個室など与えられない。生活空間も重なる部分が多くなり、将兵にとっては上官と接する時間が長くなる。つまりそれだけ指揮系統と規律に制限される時間が増えるということであり、自然に階級の高低や役職での序列が固定化される傾向がある。ちょっとした会議であっても同様で、一方で内部空間に余裕を持っている<サギリ>では上から下への圧力を感じることが比較的少ない。もちろん、開拓艦隊所属とはいえ軍組織を踏襲しているため規律は存在するのだが、一般的な航宙軍の硬直したともいえる体制とは大きく異なる、独特な文化を形成していた。

 だから、今回のように那須大佐が神室少佐を艦長室に呼びつけて何かを話すという場合であっても、あまり気負うことはなかった。神室少佐の意見を必要とする場合、那須大佐は実際に顔を見ての議論を好む人柄だからだ。そのほうが人間を相手にする感じがするし、ただ言葉をぶつけ合う以上の情報量を持つ、と那須大佐は信じており、神室少佐も同意見だったから、特に不満はない。文句を特に言っているのは機関部で、彼らは艦内でも区画を別にして職務を遂行しており、艦長室まで上がってくるのにいちばん遠くから足を運ばなければならなかった。

 しかし最近はやけに多いな、と神室少佐は考え、さもありなんと得心する。

 先日の<サギリ>艦内における意思探査任務は、とてつもない衝撃をもたらした。特に耐電子防護などほとんど考慮されていない給仕用の電動カートとはいえ、エウーリアスの意思により機械類がハッキングを受けるという事例は大きな危険をはらんでいた。現代の人類組織は、こうした高度な機械類によるマシンパワーを活用してこそ成立し得るものであるからだ。極端に言えば、ゲンチョウであっても敵からの電子妨害を防ぐことができる確証はない。今後の意思探査任務はより危険で、慎重なものにならざるを得ないのだが、そうなると入手できる情報量にも限界が出てきてしまう。任務の性質上、牛歩の歩みで低リスクの探査を行ったとしても、試行回数が多ければ事故に見舞われる可能性は高くなる。それが、最近の神室少佐にとって大きな悩みの種だった。

 作業用のタブレット端末を小脇に抱え、エレベーターに乗ったところで複数の乗組員と顔を合わせた。敬礼と答礼だけで言葉を交わさずに乗り込み、彼らは途中で降りていき、神室少佐は一人で箱の中に残される。

 いつも通りエレベーターを降り、短い通路を歩いて艦長室の前に立った。さすがにいきなり入室するような無礼は働けないので、パネルに触れてブザーを鳴らす。入れ、とこれまたいつも通りの那須大佐の声がして、失礼しますと言ってからハッチを開く。

「早いな、少佐」

「ちょうど小休憩をしておりましたので」

 言いつつ、神室少佐はタブレットを抱えながら那須大佐の前まで歩き、敬礼する。艦長はラフに答礼し、そうして初めて隣に立つ新顔に向き直った。

「わたしが呼ばれた理由は、彼でしょうか」

「そういうことだが、彼ではなく、彼女、だ。君、自己紹介を頼む」

 いつになく投げやりな語調の那須大佐に違和感を覚えるも、隣に立つ人物の自己紹介で疑問が氷解する。

「始めまして。わたしの名前はヒタキ。ルーフェ、ヒタキです」

 右手を差し出す中性的な面立ちの人型を見つめ、なるほど、と神室少佐は頷く。

 新たな問題発生というわけだ。

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