第五話

 ブリーフィングルームに駆け込んできた一行を出迎えたのは、腕を組んで仁王立ちしている神室応助少佐だった。彼はいつになく鋭い眼で四人をひと睨みすると、部屋の窓から見える格納庫を指さす。とにかく乗れ、ということらしい。いつも何を考えているのかわからない上官がいつになく神経を尖らせているのを見て要翠は首を傾げるが、足を止めずにそのままロッカールームへ走り込む。

 三分と経たずに、四人は耐Gスーツを身に着けて駆け出て、そのまま愛機の元へ急いで階段を駆け下りた。アダナミが目の前で軽やかに最後の数段を飛び降りているのがやけに印象に残ったまま、既に電源類が接続され緊急発進スクランブル態勢を取っている<ミズカゼ>のラダーをまたぐ。

 頭からヘルメットをかぶりイヤホンジャックを差し込むと同時に通信回線が接続され、神室少佐の声がヘルメット内に響き渡った。

「状況を伝える。本艦の後方にて<ユキシロ>がメタファと交戦中、数は一、戦闘継続中。<ユキシロ>は既に被弾している、発艦後は速やかに援護に迎え」

「ユーエの奴、何をてこずってんだ」

 苛立ちというより困惑している様子の甘木少尉の声に、翠は眉を潜めた。まったく同感だ、<ユキシロ>の性能とヴェラス・ユーエの腕前ならば、単機のメタファを相手取れば簡単に片が付くはず。既に交戦開始エンゲイジから十分は経過しており、これほど長い時間を格闘戦に費やしているのは異常な状況だった。

 落ち着け、と翠は自分を叱咤する。これから<アダナミ>と向かえば、<ミズカゼ>を含めて三対一だ。とにかく一刻も早く救援に駆け付けなければならない。

 ほとんど同時に、翠とミズカゼは短縮された起動シークエンスを終えた。相互確認も程ほどに出撃準備完了のキューを押す。三十秒と経たずに<アダナミ>も準備を終えた。同時に神室少佐が直々に<アダナミ>か順に発艦位置に就けと命令が下り、整備員への敬礼も省略してキャノピーを閉じた。途端に<アダナミ>が固定されているランディングパッドが中央の誘導レールへ向けて滑り出し、そのすぐ後ろに<ミズカゼ>が続く。

 黄色い警告灯が点滅する格納庫内を滑り、第一隔壁を通過して第二隔壁の前で停止、それぞれが閉じ、開くのを待つ。第三隔壁に対しても同じことをしている間、無線を通じて神室少佐が状況を説明した。

 どうやら<ユキシロ>が装備している半思念誘導方式SATHの空対空誘導弾は全て無力化されているらしい。システムとして発射は可能だが、母機であるゲンチョウとのデータリンク部分に不具合があり、誘導能力を損なっているらしい。加えて敵機はこれまでのメタファとは比較にならない機動力を発揮しており、格闘戦ドッグファイトが長引いているとのことだった。

 やはり不可解な状況に、翠はヘルメットごと首を傾げた。ゲンチョウには固定武装として一・三メガワットの出力を持つレーザー砲が装備されている。原理的に弾速は光速であるため、推進軸を中心に一・五度の範囲に敵機を収めることができれば撃墜が可能な設計だ。一対一の格闘戦で回避するのに精いっぱいというのは想像し難い。

 だが事実だ。グローブの中の手が汗でじっとりと湿るのを自覚しながら、ランディングパッドの上に載せられた二機のゲンチョウが同時に停止するのを感じる。既に三つの耐爆隔壁は潜り抜けており、横から伸びてきたアームがランディングギアを掴んで機体を宙吊りにする。そのまま機首を下方へ向けた発艦姿勢になると同時に、ランディングパッドごと下面が左右に開いた。

 双発の大出力エンジンの左側からスタート。電力が血液のように機体を駆け巡り、右エンジンも同様に始動させる。高温の排気は大きくカーブした排気ダクト内を通り抜けて<サギリ>の外へと安全に排出される。全動翼を稼働させて目視で確認、よし。

「<ミズカゼ>、発艦用意よし」

「<アダナミ>、同じく」

「こちら<サギリ>、神室少佐だ。発艦を許可する。速やかに<ユキシロ>の援護に向かえ、以上だ」

了解コピー

 キャノピ上方のライトが赤色から黄色に変わる。そして三回、一秒毎の間隔で点滅した後、<ミズカゼ>を支えていたドッキングアームが開放、発艦。

 自由落下状態でエンジン出力を少しずつ上げながら機首を上へ向ける。ランディングギアを収納し、<サギリ>の進行方向へ向け水平飛行。すぐ後ろに<アダナミ>が後方左翼側について、左旋回。二機は息を合わせて加速し続け、音速の二倍近い速度で戦闘空域へ向かった。

 <ユキシロ>が交戦している空域は、発艦地点から見てエウーリアスの東方向、<サギリ>の左舷後方に当たる。翠とミズカゼが艦内を探索している間、<ユキシロ>はずっと<サギリ>右舷側――ちょうど二人が向かったあたり――を監視する位置についていたが、突然メタファによる攻撃を受け、攻撃を受けた時点の空域に留まり続けている。<サギリ>を攻撃しない意図は読めない。

 加速を開始してから二分後、ミズカゼがレーダー員席から報告する。進路前方にて交戦する機影をみとむ。翠はレーダー画面で敵味方識別装置IFF信号を受信、片方が<ユキシロ>であることを確認した。

 そして異常に気付く。

「なんてこった。<ミズカゼ>、見えてるか」

「ああ。あれが新種のメタファか」

 ゲンチョウの機影を追いかけているのは、これまで三機が相手取ってきた鳥類の機影をした緑色の塗装が施された個体ではなく、空色のより猛禽類に近い形状をしたものだった。ミズカゼとアダナミは鋭敏な感覚で敵意の微妙な質の違いを感じ取り、翠と甘木はその鋭い視力によって敵がこれまで遭遇した如何なるものとも違う相手だと認識する。

「<ユキシロ>を救援する。<ミズカゼ>、続け」

「了解」

 <アダナミ>が加速、翠はスロットルレバーを押し込んで離されないように機体を追従させた。ゲンチョウの凄まじい出力を誇るSY-190RAエンジンが吠え、二つの機影がエウーリアスの空を貫き<ユキシロ>と敵機のペイパートレイルが漂う戦闘空域へと突入。

 メタファは未だ執拗に<ユキシロ>を追っている。ユーエは回避に専念しており、こちらの接近に気づいてはいるだろうが何も言うことは無かった。いずれにしろ救援に来た二機の目的は明白であるので、このまま敵を自機に釘付けにするべく奮闘しているようだった。その甲斐あって、<ユキシロ>の後方二百メートルほどの位置まで接近していた敵機の両翼付近を<アダナミ>、<ミズカゼ>が超音速で通過。衝撃波が敵機を揺さぶり、人類側の戦力が三倍に増えたことを伝える示威行為だ。これで撤退してくれるのであれば任務は完了だ。今回は敵の撃滅ではなく、<ユキシロ>の生存が主目的だからだ。

 敵機は衝撃波を感じる直前に状況の変化に気付いたのか、すぐに<ユキシロ>を追跡する軌道から外れ垂直上昇に移る。その隙に<ユキシロ>はパワーダイヴ、瞬く間に音速の二倍まで加速して離脱するコースに乗った。

「<ユキシロ>より各機、救援に感謝します。敵機は誘導弾を無力化する。レーザー砲による攻撃しか有効打にならないと思われます」

「オーケー、任せろ。いくぞ、<ミズカゼ>」

 <アダナミ>と<ミズカゼ>は甘木少尉のコールと共に左右上方へ分かれてシャンデル。そのまま上昇を続ける敵機を下方二方向から追い上げて追撃する戦術だ。機首にレーダーが装備されない代わりに、ミズカゼが後部座席で感じたメタファの存在から三次元位置情報を入力、ゲンチョウの中枢システムがこれを処理して翠のHMD《ヘッドマウントディスプレイ》に四角いターゲットコンテナを表示。敵機速度は時速千百キロ、高度一万八千、相対距離六万七千、尚も上昇中。

 接近しつつある中、ミズカゼが目標位置を捕捉しようと集中し始めたのが息遣いでわかった。敵機のほうが高高度に位置しているため、相対速度差で勝っている状態であっても降下によるエネルギー変換を考慮すれば、まだ<ユキシロ>を追撃できる位置だ。立て続けの戦闘機動で燃料残量が心許ない<ユキシロ>を守るためにも、敵機についての情報を得るためにも誘導弾による攻撃を行うべきだ。

 武装選択、AAM-2を四発。マスターアームをオン。同時にミズカゼが意思探知により的存在を捕捉ロックオン。コンテナカーソルが赤く染まり単調な電子音が耳を打つ。思考が介在する余地もなくサイドスティックのレリーズボタンを押し込む。

「FOX-2」

 第二〇一飛行戦隊において今回の艦内探索任務のため発艦していたのは<ユキシロ>のみだが、他二機についても神室少佐は燃料注入と弾薬装填を命じていた。そのため、現在<ミズカゼ>と<アダナミ>の四日には二十発、胴体下に十発、計三十発の空対空誘導弾がハードポイントに吊り下げられている完全武装状態だった。

 <ミズカゼ>から射出された二発の中距離空対空誘導弾AAM-2は固体ロケットブースターに点火、凄まじい加速で敵機めがけて驀進していく。数秒遅れて<アダナミ>も同様に誘導弾を放ち、二機はそのまま自分たちの攻撃が命中するかどうかを見守った。

 二発の誘導弾は母機、アダナミとミズカゼによる誘導に従って順調に目標に進んでいったが、敵機との相対距離が二千メートルを切った時点で突然、軌道をあらぬ方向へ向けて散らばり、自爆した。

 不可思議だが、<ユキシロ>の報告にあった誘導弾の無力化能力は真実であったようだ。

 となるとどうすべきか。上昇を続けながら翠は考えを巡らせるが、思考がどうしても現状への対応ではなく原因の分析に向かってしまう。

 誘導弾の挙動からして、敵機の位置を見失ったような動きではなかった、つまり誘導弾の本体に何らかの異常があったと考えられる。だが異なる機体から発射された四発の誘導弾全てが不良を起こしていたとは考え難い。となれば、敵機が何らかの手段により誘導弾の半思念誘導を妨害したとみるほうが自然だろう。あの給仕用の電動カートをハッキングして遠隔操作していたことから、誘導弾の誘導システムに干渉することも問題なく行えるはずだ。

「ミズカゼ、さっきの誘導弾がおかしくなったタイミングの電波状況を確認できるか?」

「実行します」

 二つ返事でミズカゼが答え、すぐに結果を出したらしい。驚いたような声がする。

「本気に電子捜索レーダーは装備されていないため、通信機器の受信記録から確認しましたが、微弱な電磁波が確認されています」

「となると、エウーリアスによる干渉というよりは、あのメタファが電子戦能力を獲得したとみるべきか。もしかしたら、<サギリ>艦内の現象もあの機体が引き起こしていた可能性もある」

「宇宙線に対する電子防護が万全な航宙艦の内部に対して、電磁波干渉を行ったというのですか?」

 明らかに否定的な語調に対し、翠は鼻を鳴らした。

「あくまで可能性だ。いずれにしろ、誘導弾による攻撃はもう無理だ」

「では、レーザー砲ですね」

「そういうことだ」

 示し合わせたように敵機が反転し、加速しながら向かってくる。ヘッドオンは望むところだとレーザー砲の照準を合わせようと進路を固定しかけたが、直感としか言いようのない何かが頭の中で弾けて左にロール、ピッチ。左方向へ回避した後もメタファは直進を続け、一瞬の間に通り過ぎていく。

 キャノピに手をついて身体を捩り後方を確認したミズカゼが報告する。

「排煙が発光しているのを確認。レーザー砲のようです――右旋回!」

 反対側に機体を捻り右旋回。急激な機動に意識が遠のくが、ぼやける視界の中でレーダー画面の敵アイコンが信じられないほど急激な旋回を行い、<ミズカゼ>の背後に食らいつこうとしていた。

 ミズカゼの指示は的確で、斜め上方へ向けて飛行している<ミズカゼ>を追う敵機がエウーリアスの重力と急旋回の加速度に藻掻いているのを確認し、さらなる旋回戦に持ち込もうと右方向への回避を指示した。敵機のレーザー砲が<ミズカゼ>の過去位置に投射され、すぐに敵機の左側から<アダナミ>が援護に駆け付け、レーザー砲を発砲。敵機は急激な方向転換を繰り返し、ほとんど直線的な機動で攻撃を躱す。

 これはユーエも手こずるはずだ、と翠は舌を巻いた。むしろ、あんな敵を相手によく十分以上の格闘戦を生き延びたものだと感心するが、今はそんな化け物を自分が相手取っているのだと注意を戦闘に引き戻す。

 一秒にも満たない逡巡の隙を突くようにメタファは再度、急旋回して<ミズカゼ>を射程に捉えようとする。旋回戦では一瞬の交錯を狙って撃墜されかねないと判断、エンジン出力を上げながら直線的な機動を繰り返す。加速度の大きい機動を繰り返すことでメタファの鳥類を思わせるシルエット、その嘴の部分にあたるレーザー砲は幾度か発砲するも狙いが外れた。薄く広がる雲の所々が目映い光を放ち煌めく。ヘルメットの中は激しい呼吸の音と、鼓膜の裏で太鼓を叩くような脈動が世界を支配する。ゲンチョウの持つ巨大なパワーを体で感じながら、限界から一歩、いや半歩手前の所で踏みとどまりながら反撃の機会を待つ。

 相変わらず呼吸すら難しく視界もぼやける極限状況では、ミズカゼの掠れた声だけが頼りだった。新型のメタファを相手にしても、彼女は気後れせず正確に意思を感じ取り、生き残るための最適な回避方法を支持し続けた。翠はただそれを実行しながらも、時折、ミズカゼが思い出したようにシステムを通じて入力してくる位置座標へ向け空対空誘導弾を放つ。全て無力化されたが、敵機は対処のために少なからずのリソースを費やしているようで、一瞬、動きが鈍る。その隙に<ミズカゼ>は態勢を立て直し、また攻撃が始まる――その繰り返しだ。

 無限に思える激しい格闘戦は時間にして二分に満たなかったが、唐突に転換点を迎える。挟撃するためやや離れた位置にいた<アダナミ>が参戦し、メタファへ向けレーザー攻撃。必中かと思われたが命中せず、メタファは加速しながら離脱し高度を取った。

「レーザー砲の照準がおかしい。今のは当たるはずだ」

 甘木少尉の声は苦しそうだが、冷静だった。翠も敵機の離脱に伴い少し機動を緩め、下方から様子を窺いながら息を入れる。こんなことを五分も続けていては先にパイロットが潰されてしまうだろう。

 ふと思いつき、通信回線を閉じて機内の有線でミズカゼに声をかける。

「敵機は誘導弾の妨害に電磁波を用いているが、出力はどの程度なんだ?」

 翠の思考を読んで先回りし、ミズカゼが感心したように言う。

「有効範囲があるとお考えですか?」

「少なくとも無限の範囲を持つわけじゃないだろう。出力から推測できないか」

「<サギリ>に問い合わせてみます」

「レーザー通信を使え。可能な限り通信を傍受されないよう努めろ」

「了解」

 ミズカゼが<サギリ>へ支援を仰ぐ間、翠は<アダナミ>と共に機体を大きな時計回りの旋回コースに乗せた。中心はメタファの滞空している位置で、<サギリ>と通信しながらもメタファの位置を見逃さないミズカゼにより正確に状況を把握できている。今はこちらの出方を見ているのか、敵機も似たような軌道で旋回していた。

「<サギリ>機関部より回答ありました。推定ではありますが、およそ二千メートルの位置からのレーザー攻撃であれば、敵の妨害を受けずに射撃できるとのこと」

「了解、やるしかないな。<アダナミ>、援護を頼む」

「話は聞いていた。任せとけ」

 言うや否や、<アダナミ>が翼を翻して<ミズカゼ>の頭上を通り過ぎ、そのまま加速して敵機へ向けて突進する。甘木少尉の考えは手に取るようにわかった、先ほどまで激しい機動を繰り返し消耗している<ミズカゼ>に代わり、自らが敵に隙を作るために格闘戦の役を買って出たのだ。

 メタファは敏感に反応し、緩やかに降下して増速しながら<アダナミ>を迎え撃つ態勢を整えていた。翠はいつでも射撃できるよう徐々に高度を上げていく。レーザー砲は光学兵器のため重力や加速度などの環境要素を無視して攻撃を行えるが、空気密度による屈折率が命中精度に大きく影響を及ぼす。高度を揃えて自機と敵機との間の空気密度を均一にし、少しでも命中率を底上げする必要があった。

 二千メートルは空戦においては至近距離だが、レーザー砲の射程としては有効範囲ぎりぎりといったところだ。それは威力減衰に加え、前述した命中率による。航空機から精密機器により数キロ離れた物体へ攻撃を命中させるというのは、額面通りにはうまくいかない困難な作業だ。大気圏内を高速で飛行する機体は高温に包まれ振動を起こし照準が安定しないという欠点を抱えている。ゲンチョウはコックピットブロックの右後方、エアインテークの上方に設けられたストレーキ内部に照射機が収まり、左側にはレーザー砲用のコンデンサがある。大出力のエンジンから供給される電力をコンデンサに充電する方式のため連射は不可能だが、パイロットによる直感的な照準が行えるよう工夫がされていた。

 <アダナミ>が下方から突き上げ、メタファと交戦。あからさまな攻撃進路とタイミングに合わせて敵機が急激に向きを変えレーザー砲を発砲するも、甘木のほうが一枚上手だった。

 彼は上昇機動を逆手に取りエアブレーキを最大まで伸張させ大減速、さらにエンジン出力を最低まで絞りカナード翼を独立運動させ、意図的にバランスを崩して攻撃を躱した。上方から下方へと通り過ぎるメタファの軌道ときりもみ状態で落下する<アダナミ>の機首が重なった瞬間にアフターバーナーに点火。メタファの後方を占位し追撃。

 敵機は降下しつつ増速、<アダナミ>を振り払おうと離脱を試みるもゲンチョウの大推力には敵わない。<アダナミ>から空対空誘導弾が全弾発射され、敵機の至近まで迫るも全て誘導能力を失いあらぬ方向へ逸れ、自爆した。

「射撃の用意を」

 ミズカゼが指示する。恐らく彼女はメタファから放たれる敵意から、その注意が<ミズカゼ>から<アダナミ>に移っているのを敏感に察知しているのだろう。翠は圧力感応式で微妙に可動するサイドスティックを傾け、緩やかな旋回運動から静かに機首を敵機へ向ける。相対距離は八千メートルを超えているが、ゲンチョウの速力を発揮すればすぐに距離を詰められるだろう。

 <ミズカゼ>が攻撃態勢に入ったのを確認したのか、<アダナミ>が誘導弾の爆風を突き抜けてレーザー砲を発砲。メタファは直線的な機動をやめ、減速、先ほどの<アダナミ>と同じように小さな旋回半径による回避機動で逃れようとした。

 翠はその隙を見逃さなかった。

 スロットルレバーを押し込み、ドンと座席が背中を押すような大加速。息が詰まるが数秒を耐えればいいだけだ。辺縁がぼやける視界の中でHMDに投影されたレーザー砲の射界に敵機が収まるよう微調整する。この加速度の中であっても、ミズカゼは後部レーダー員席で確実に敵の位置を捉え続けていた。

 息を吸い、押しつぶされる肺から吐き出す。コンテナカーソルの隅に記された相対距離の数字が見る間に減少していく中、三千メートルを切り、二千メートルになる直前にトリガーを引く。

「FOX-2」

 <ミズカゼ>がレーザー砲を発砲。敵機は電磁波を投射し妨害を行うが、<サギリ>の計算が正しかったようだ。ゲンチョウの電子防護を突破できず、正しく照準された一・三メガワットの出力を誇るレーザーがメタファの右翼付け根に命中。爆発が起こり、片翼を失ったメタファは力なくエウーリアスへ向けて墜落していった。



 <サギリ>が衛星軌道から降下し、無事に第二〇一飛行戦隊の全機が帰還する。

 かつてないほど激しい戦闘だった、と疲労困憊した体を引きずりながらシャワーを浴びてロッカールームに戻り、少し辟易しながら自分のロッカーを開いた。

 この後、神室少佐にはレポート作成が命じられていた。休息する暇はなく、そのレポートを提出し少し仮眠を取った後、口頭での確認のためにミーティングまで行うという。それもそうだろうと納得しながらも長く続いた緊張状態が解けたパイロットたちは閉じそうになる瞼をこじ開けるのが精いっぱいだった。

 手早く<サギリ>支給の航宙服を身に着け、髪を乾かすこともなくロッカーを閉じた時、入口のハッチが音を立てて開いた。

 顔を向けると、そこにはミズカゼが立っていた。同じ命令が下っている彼女は翠と同じく長い髪をまだ乾かしておらず、妖艶な空気を纏って部屋に入ってきた。

 翠は彼女の輝く緑色の瞳から眼を離せなかった。初めて出会った頃のように、今のミズカゼは人間離れした美しさと静謐な気配に呼吸すら忘れてしまう。

 彼女はすぐ目の前までやってくると、少しの間、翠の眼を覗き込んでから言った。

「なぜ撃ったのですか」

 それが艦内探索で遭遇した電動カートのことだと思い当たるまで間があった。

「あのカートは明らかに敵意を持って行動していた。それだけで排除する理由にしてはじゅうぶんだと考えているが……お前は納得していないみたいだな」

「たかがカートです。攻撃能力などあるはずがありません。あなたは、わたしを守るためだと言って無害なモノを攻撃しました。それがどれほど恐ろしいことか、理解されていますか?」

「お前こそ、自己の存在意義を見失っているようだ。お前はルーフェで、おれは人間だ」

 数秒間、互いの眼差しが無言のまませめぎ合う。

 やがて視線を逸らしたのはミズカゼだった。明らかな失望の色を隠そうともせず、彼女は背を向けて入口のハッチを開く。

「あなたの言葉は正しい。ですが他でもないあなた自身が、その正しさを信じているのですか?」

 言葉だけを残して、ミズカゼはハッチを閉じ、姿を消した。

 明るいロッカールームに取り残された翠は、すっかり覚めた眼で無機質な明かりを投げかける照明パネルを見上げた。

 寝ても覚めても、ここはエウーリアスなのだった。

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