第四話

 要翠、ミズカゼの現在位置を示すアイコンが整備区画に入ったのを見て、神室応助少佐は探索任務が第二段階に入ったのをあらためて認識することとなった。

 整備区画は居住区画と比して人間の生存に適した艦橋ではないことは明らかだ。気温と湿度の二つ、いや前者だけであっても人間の生命を容易に奪う。身体保護インナーを始めとする装備を考えれば杞憂だろうと機関部のメンバーは言っていたが、逆に言えばそうした装備が無ければ生きていけない環境であるのは間違いないのだ。

 そのあたりの危機意識の違いが悪い影響を及ぼさないように、パイロットの視点に立ってあらゆる準備と計画を行うのが神室少佐の役割だった。それは飛行計画を策定することと任務の意義としては何ら変わることはない。部下の安全管理責任に関しては神室少佐が一身に負っている。殊、<サギリ>艦内においては那須大智大佐が最高責任者であるが、戦闘機パイロットによる探索任務に関しては例外だというのが神室少佐の認識だ。これは戦闘機を用いた意思探査任務の延長線上に位置しているのだから、責任は自分が果たすべきだ、というのが彼の考えである。

 実際、翠とミズカゼはその理屈に納得しているものの、甘木丈二少尉とヴェラス・ユーエ少尉はこの探索任務に臨む姿勢としてはかなり弛緩していると言わざるを得なかった。有体にいえば舐め切っている。敵などいようはずもなく、感覚情報の収集はルーフェに任せておけばいい。今回ばかりは戦闘機パイロットである自分たちはお役御免だ、という考えが透けて見えていた。少なくとも<ミズカゼ>の二人ほどの認識を彼らが持っているとは思えず、その認識を少しでも正してやろうと神室少佐は傍らに立つ甘木少尉を振り返った。

「甘木少尉、君はこの状況をどう見る」

 突然、水を向けられて鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした甘木は、そうですね、と顎を抑えて考え込んだ。

「正直なところ、あの二人を早々に引き上げさせるべきかと」

 予想だにしない回答に目を丸くしていると、甘木少尉はブリーフィングルームのテーブルの上に置かれた<サギリ>艦内見取り図を映したタブレットを操作し、神室少佐に見えるように、翠とミズカゼが移動している位置とその周辺をハイライト表示させた。

「なぜかというと、手も足も出ないからです」

「どういうことだ」

「要するにこの朴念仁が言いたいのは」横からアダナミが赤い髪を振りながら割り込み、「今、翠とミズカゼは完全な孤立状態にある。エウーリアスの意思は現下の状況を看過するとは思えない、ということです」

「攻撃されるというのか」

「可能性のひとつとしてじゅうぶんに考えられるでしょう」

 割り込んできたアダナミの頭を叩きながら甘木は相槌を打つ。

「ですが、エウーリアスは手荒な真似をしないはずです。こいつはおれの予測ですがね、エウーリアスは複数のメタファを繰り出して<ミズカゼ>を襲ったあの一件以来、妙におとなしいところがある。あれはエウーリアスなりの手加減なのではないでしょうか」

「……試しに<ミズカゼ>を襲ってみたが、撃墜しそうになったからメタファによる攻撃は控えている、そういうことか」

「もしこの仮説が正しければ、今回の任務はそれなりの危険性の高いものになる。なぜなら、あの二人は今、ゲンチョウに乗り組んではいないからです。エウーリアスは、メタファをゲンチョウに近づければ戦闘になると考えている。だから、生身の二人が我々から隔離した状態になった今、何らかの方法で意思疎通を図る可能性があります」

「なぜその可能性を、事前に上申しなかったのだ!」

 珍しい神室少佐の怒鳴り声に、要員として詰めていた機関部やそのほかの部署からやってきていた乗組員が驚いて振り返る。

 アダナミは神室少佐の怒りの感情に同調して頬を赤く上気させたが、自制心を発揮して落ち着きを取り戻した。甘木少尉はテーブルに両手をついていた姿勢から背筋を伸ばし、怒りに燃える瞳の神室少佐と相対する。身長では彼のほうが上だが、今の神室少佐は鬼のような迫力を持っていた。

 実際、神室少佐は激怒していたが、実際には動揺のほうが大きかった。甘木少尉がそこまで独特かつ的確なエウーリアスに対する世界観を持っていること、それを上官たる自分には隠していたこともそうだが、何よりも今回の探索計画における前提条件が覆ったことで、要翠とミズカゼが大きな危険にさらされている可能性が出てきたのだ。指揮官として冷静でいられるほうがおかしい。

 だが、甘木少尉は悪びれた様子もなく口を開いた。

「理由は二つです。一つ目は、これがつい一時間ほど前に思いついたからです。二つ目は、小官が具申して任務を中断するより、このまま実行したほうが有益であると判断したためです」

「嘘は言っていません、少佐」

 ちらりと横目で甘木を見ながら、隣に立つアダナミが言った。彼女が何を言ったところで甘木の不遜な態度を許容するつもりは毛頭なかった。

 一歩進み出て、神室少佐は甘木少尉を睨んだ。

「そんなことはどうでもいい。甘木、お前は要とミズカゼを捨て石にしたんだ。エウーリアスが積極的に干渉する可能性を思いついて、あの二人を先行させて様子見を決め込んだ。違うか?」

「否定はしません。ですが何故かと問われるならば、自分は戦闘機乗りに他ならないからです。エウーリアスは空こそが戦場だ。このような任務で損耗したくはありません」

「それはが決めることだ。第一、そのリスクを伝えたうえでわたしが貴様と同じ意思決定をしないという根拠はあったのか?」

 痛い所を突かれたのか、僅かに甘木の表情が揺らぐのを神室少佐は見逃さなかった。いいえ、と呟くように甘木が答えるのを面白がるようにアダナミは見ているが、既に神室少佐は怒りを抑えて現状を顧みている。

 今回の探索任務で翠とミズカゼが背負うリスクは想定よりも大きなものだったようだが、準備に余念がなかったことが幸いして、二人はこの艦内で最も重武装な人間となっている。ブルバップ式のアサルトライフルは敵地でベイルアウトした乗員のためのものだが、コンパクトであるにもかかわらず高性能な弾薬を使用しているため、軽装甲車輛程度ならば無力化できるだけの威力を持っている。

 いずれにしろ、甘木少尉がこれほど確固たる認識を有しているのは大きな収穫だった。何かあれば、安心して翠とミズカゼの救援に向かわせることができる。彼もまた自律した一人の戦闘機パイロットとなっていたのだ。

「いいか、少尉。独りよがりな生存戦略でこの星と相対することは愚策と心得ろ。我々は敵ではない、違うか?」

「いいえ、少佐」背筋を伸ばし、甘木は頭を下げた。「出過ぎた真似をしました。自分の判断が間違っていました。以降、同じようなことはいたしません」

「間違いかどうかは、このあとわかる。アダナミ、翠とミズカゼの状況はどうだ?」

 タブレットに触れていたアダナミの細い指が軽やかに踊る。そして彼女の顔色が険しくなった。

「アプリに障害発生。翠とミズカゼの位置情報が取得できません」

 甘木少尉と顔を見合わせる。

 早速、状況が動いたようだ。

「二人の最終位置は?」

「整備区画へのハッチ3Bから艦尾側へ五十メートルほど移動したところです」

「甘木少尉、すぐに装備完着のうえ要少尉とミズカゼの支援に向かえ。だが危険な状況であると判断したら引き返せ」

「了解、少佐」

 甘木はすぐにアダナミとブリーフィングルームの隅に行って装備を身に着け始めた。二人とも既に身体保護インナーを着ているため背嚢とライフルを手に取るだけで部屋を飛び出していく。





「何かいます」

 やや緊張したミズカゼの声に、翠は胸の前に引き寄せていたブルバップライフルの銃口を反射的に前へ向ける。狙うべき対象は視界におさまってはいないが、何が飛び出してきても即応できる姿勢だ。

 エアロックを潜った後、右に曲がり艦尾側へ向けて歩き始めて一分が経過した時だった。寒気がするのは低い気温のためかと考えていたがそうではなかったようで、アタッチメントとして取り付けてある光学照準器越しに正面のやや婉曲した通路を警戒する。限りなく透明に近いプレートの無限遠点に、視認性に優れるライトグリーンの照準点が小さく投影されており、惑星地上軍の兵士ほど訓練を積んではいない翠でも容易に照準できそうだ。

「前、だよな?」

「はい。何かの意思を感じます。極めて微弱ですが、存在することは確かです。間違いありません」

「気配ってやつか」

 そんなものです、と彼女が首肯すると同時に、翠は素早く頭の中で状況を整理する。

 仮に、ミズカゼが感知した存在が人間である場合は、<サギリ>の乗組員だろう。整備区画まで出張ってくるのだから機関部やその他、保守点検を目的とした人員だろうが、機関部は今回の探索に際して神室少佐が掌握しているし、艦内乗組員にも出歩かないよう周知されている。無線による連絡が入らないところを見ると、この遭遇は明らかに異常事態と解釈していい。エウーリアスの衛星軌道上を航行している<サギリ>に対して外部から侵入を試みることは理論上可能だが、ソルベルト連邦においてそんな実行能力を持つ特殊部隊は限られているし、何よりそのようにしてこの船に潜入する理由がない。戦時でもないのだから、ただ普通に来訪すればいいだけの話なのだ。

 順当に考えればミズカゼが感知した存在は人間ではない。そして彼女が対象を「何か」と表現しているということは、少なくとも翠ら人間とは異なるものを想像していることになる。人間であれば、「何か」ではなく「誰か」になるはずだからだ。

 人間でなければ何か、という問いには回答が二つ用意されている。一つはルーフェ。そしてエウーリアス。

 ユキシロは<サギリ>近傍空域を索敵飛行中で、アダナミはブリーフィングルームで甘木少尉と共に待機しているはずだ。となれば、これはエウーリアスによる接触なのだろう。

「ミズカゼ、ライフルの安全装置を解除し、前方を警戒しろ。危険を感じたら撃て」

 翠は視線を外さないまま命じる。再度、ミズカゼが頷いて翠の肩を叩き、視界に入るように少しだけ歩み出て、止まった。巨大な背嚢にほとんど隠れて見えないが、彼女もブルバップライフルの銃口を正面へ指向しているのを確認して、翠は安全装置をかけてライフルを下げる。そして背嚢の肩紐に固定されている無線機のスイッチを押した。

「CP、こちら<ミズカゼ>」

 スイッチを離してあるはずの応答を待つが、沈黙が続く。動揺の呼びかけを二度繰り返し、こいつは思ったよりまずい状況だぞ、と翠は息をのむ。

 全身の神経が待ち受ける危険に対する緊張で張り詰める。ゲンチョウの機上でメタファを目にした時と同じだ。つまり思考から大きく外れた直感が、この先に待っているのは敵だと告げているのだ。結果はわかり切っていたが左腕に巻き付けた携帯端末の画面を見ると、やはり艦内ネットワークから切断されているようでエラーポップアップが表示されているのみだ。艦内の案内図は端末内のメモリに記憶されているため閲覧はできるが、現在位置情報などはエアロック前から更新されないままだ。

 司令部からの支援を受けられない孤立した状況で、詳細不明の存在と相対する。しかも、こちらが使っているのは自動小銃二丁のみ。いつもの頼れる戦闘機のような破壊力は望むべくもなく、最悪の場合は肉弾戦まで覚悟しなければならない。

 大きく息を吸い、吐く。白い煙のような呼気が広がるが、ミズカゼは一切、呼吸を乱すこともなく静かにライフルの狙いを定めている。

 とにかく、この異常を探るべきだ。翠は意を決して、ミズカゼの細い肩に手を置いた。

「CPが応答しないが、探索は続行する。ミズカゼ、後ろを頼む。おれが前を見よう」

「了解」

 今度は翠が銃の安全装置を外して前に出て、構える。ミズカゼは右足を軸にくるりと回転し、翠の背に隠れる位置についた。とはいっても、すぐに飛び出して翠を援護できる位置から離れようとしない。彼女くらいの身体能力があるのなら脇の下から銃口を突き出して撃つくらいはするかもしれないな、と翠は考える。だが今はそれが頼もしい。

 ゆっくりと前進する。ぴったりと付き従うミズカゼから意識を逸らして前方に注意を集中すると、ミズカゼの言っているが翠にもわかったような気がした。

 そこはもうひとつのエアロック、4Bというシリアルナンバーが付与されたハッチがある箇所だった。翠とミズカゼが整備区画に入った時に使用した3Bとは、百メートルほど艦尾側へ移動した場所にある。同じ階層の別位置にある同一なもので、やはりハッチ前には機材置き場のような空間が用意されているはずだった。

「あそこだ」

 気配はその空間に在るようだった。確信はないが、ほとんど直線で見通しのいい通路には何も見えないし、視界から外れる位置にあるのはその空間くらいである。必然的に二人の視線はその空間の入口の縁に集中し、ミズカゼは前を向いて翠と並んで歩き、慎重に近づく。

 突然、機械音が響く。甲高いモーター音だ。静かだが、整備区画が張り詰めるほどの静寂で満たされているためによく聞こえる。

 翠が足を止めると、ミズカゼも立ち止まる。息を詰めて、角から何が出てくるのかを辛抱強く待った。

 そして、それが姿を現す。

「こいつは……」

 遭遇するとしたら、それは化け物に違いないと翠は考えていた。メタファのような超自然的な存在を相手取っていれば、何が出てきても驚くことは無い。それがエウーリアスに宿る意思が為せるものであるならば、可能性は挙げてもきりがないほどだろう。

 だが今、目の前にごろごろとタイヤを転がして出てきたのは、見慣れた給仕用の電動カートだった。士官食堂で腕を振るう佐竹給養班長が料理を載せて押しているもので、<サギリ>のみならず多くの星系にまたがって普及している普遍的な製品だ。昔、国防大学校の食堂でこの個体よりも古い型式の筐体がせっせと山盛りの料理を運んでいたのを思い出す。人類の生存権でもかなり普及している製品のひとつと言っても過言ではない。

 反射的に、翠は武装の有無を確認した。とはいってもカートは人間が手で握るハンドルとタッチパネル、そして食器類を格納する可動式の棚が何段か備えられているだけだった。武装など隠しようもなく、何か見慣れぬものが装備されていればすぐに気づく。今目の前にあるのは何の変哲もないカートだ。

 困惑しているのはミズカゼも同じようだ。僅かに銃口が震え、細い眉を潜めてカートを睨んでいる。

 対象は左側の空間から出てきたところなので、翠らから見て右の居住区画側の隔壁へ向かってゆっくりと進んでいき、通路の中央に差し掛かったところでくるりとこちらへ向きを変え、停止した。

「機長」

 いつもと変わらない声色に聞こえるが、自分の呼び名が<ミズカゼ>の機上のものになっていることから、これが戦闘状況だと彼女も認識しているのだと気付く。

 一歩間違えれば、死ぬ。この時ほど神室少佐の先見の明に感謝したことはない。翠は汗でじっとりと湿った掌を意識しながら、グローブ越しに感じられる固いブルバップライフルのグリップを強く握りしめた。

「落ち着け、ミズカゼ。これは意思探査任務マインドシーキングミッションだ。こいつを探れ」

 抽象的な表現だが、ミズカゼはその一言でいつもとやることが変わらないと安心できたようだ。少しだけ緊張を解いて、じっとカートを見つめて何かを見つけようとする。

「この機械に感情の機微は感じられません。ですが、何かを感じます」

「エウーリアスの意思か?」

「恐らく」

「敵意は?」

 安全に関わる決定的な質問だったが、ミズカゼの回答は歯切れの悪いものだった。

「何かがのはわかりますが、それが敵意であるかは判然としません」

「とにもかくにも、こいつはただの電動カートじゃなくて、今やエウーリアスの影響を受けた不明機アンノンということだな」

「機長、このカートはどうやってここまで来たのでしょうか?」

 ミズカゼの素朴な疑問に答えようと口を開きかけたところで、翠は愕然とした。

 自走できるとはいってもカートに備わっている自走能力は低出力の電動モーターでタイヤを転がすくらいのものだ。最大出力にすれば時速十キロ程度には加速できる性能を持つが、所詮はタイヤである。仮に居住区画の士官食堂から、数多くの乗組員の目を逃れてここまでやってくるにしても、先ほど翠とミズカゼが潜ったようなエアロック、ハッチ、エレベーターなどで認証を行わなければならない。カートには割り当てられた識別番号、製品番号があるからそれを打ち込めば<サギリ>に持ち込まれたどんな備品であるのかを伝えることはできるだろうが、いうまでもなくそこにハッチ開閉の権限など付与されているはずもない。

 可能性は三つ。一つ目は、士官食堂からこのカートが何らかの手段でテレポートした、あるいはそれに準ずる手段でエウーリアスが瞬時にここまで移動させた可能性だ。だがこれは否定できるだろう、何故なら現代の航宙技術として実用化されている超光速航法は巨大なエネルギーを必要とするのみならず、大きな時空震を伴う技術だ。人類の科学技術の遥か上をいく理論や技術でエウーリアスが同様のことを行ったとしても、移動した瞬間に何らかの反応が観測されたはずだ。誰にも気づかれないというのはありえない。

 二つ目は、士官食堂に置かれていた電動カートと寸分違わぬ精度で模倣された機械をこの区画に出現させることだ。メタファを瞬時に惑星上に出現させることのできるエウーリアスであるから、これはそれなりに確度が高いと言える。少なくとも不可能ではないだろう。

 そして三つ目が、士官食堂から人間の手によってカートが押されてここまで運ばれた可能性である。いうまでもなく、この場合は<サギリ>艦内にエウーリアスの側に立って活動する何者かがいる前提となる。

 内通者、あるいは工作員の存在は<サギリ>にとって致命的だ。開拓艦隊という都合上、<サギリ>は艦の規模に比べて乗組員の人数が少なく、深刻な保安問題を抱えているといっても過言ではない。警務隊や艦内での憲兵業務を執り行う保安要員はいるが、ほとんど形式的な存在に過ぎなかったし、海賊をはじめとする犯罪の脅威にも晒されていないマンタリア星系においては<サギリ>における保安体制など、有体に言えば皆無に等しい。さらに相手が特定国家ではなく、エウーリアスという惑星であるならば常識外の防諜対策を講じる必要が生じる。

「そもそも、こいつはあのカートなのか。ミズカゼ、判断できるか」

「不明ですが、タイヤ付近には見覚えのある塗装の傷が視認できます。現段階では、あれは我々の食事を運んでいたカートに相違ありません」

 目を凝らせば、ミズカゼの言葉通りタイヤの横に引っ掻き傷が見えたが、それが過去に見たカートのものであるかどうかは確証が持てない。言われてみればそうだった気がする、という程度だ。

「機長、これは……使者なのではないでしょうか」

「エウーリアスの、か」

「はい。我々は意思探査任務の中でエウーリアスの意思を理解しようと努めてきましたが、そもそも惑星と人間――あるいはルーフェ――では世界認識に大きな違いがあるはずです。だからエウーリアス自身ではなく、使者を仲介させることで人間と対話しようとしている」

「否定はしないが、だとしたらなんだ?」

「このカートを鹵獲すべきです」

「ダメだ」

 僅かに顔をこちらに傾けて、ミズカゼは疑問を呈する。ただのカートですよ、と。

 だが翠は、頭の片隅で直感とも呼ぶべき何かが、このカートは易々と鹵獲などされるものではない。

 非論理的な感覚を何とか手繰り寄せて、翠は言葉を紡いだ。

「メタファは例外なく我々に対して敵対行動を取っている。このカートがエウーリアスの影響下にあり、既に<サギリ>の機材とは言えない。であれば、メタファと同様に攻撃を仕掛けてくる可能性がある」

「しかしあのカートからは敵意は感じません」

「ミズカゼ、どう見てもあのカートに疑似人格のような機械知性が備わっているとは思えない。エウーリアスが機械操作をしているに違いないんだ」

「要するに、エウーリアスがあのカートを使って攻撃をするのであれば、あのカートに敵意を見出すのは不可能ということですね」

「そういうことだ。ところで、あいつに耳はあるのかな」

「はい?」

 理解できないといった様子で聞き返すミズカゼに吹き出しそうになるが、咳払いをして仕切りなおす。

「近付いたら撃つ、と警告がしたい。確か音声認識機能はあったよな?」

「ええ、マイクは付いているはずです。ですがエウーリアスがそこから音を聞くことができるとは……いえ、じゅうぶんありえます。あれが使者だとするなら、全ての情報を収集しようとするはず。いわば偵察機ですから」

 その論理は恐らく正しいだろう、と翠は思う。人類がエウーリアスの意思探査を行うのと同じように、エウーリアスも人類の情報収集を行っているに違いないからだ。それは対話の意思の表れでもある。人類の排斥が目的ならば、いかな<サギリ>といえどメタファにより攻撃を仕掛けられる場面はいくらでもあったのだ。それに、数十体のメタファに襲撃された経験を持つ翠としては、エウーリアスはその気になればほぼ無限の数のメタファを繰り出すことができるだろうと考えていた。

 先ほどミズカゼに言った攻撃の可能性と矛盾するようだが、だからこそ意思探査任務が困難であると言える。人間と同じ思考をし、こちらと同等の言語を操る相手であれば苦労はしないのだ。

 翠はミズカゼの存在をこれまでになく強く意識した。ここで自分が殉職しても、ミズカゼは守らねばならない。彼女がいれば意思探査任務は続行できる。任務が続くのならば負けではない。

 軍人としては当然だが、そのような教条的ともいえる価値観を抱いている自分に翠は驚きつつも、戸惑いを隠すように声を張り上げる。

「近付いたら、撃つぞ」

 立てこもった銀行強盗みたいだな、と自嘲気味に口元を歪めると、カートは少しだけ後ずさりした。

 驚くべきことに、相手はこちらの言葉を理解できるようだ。意思探査任務を根底から覆すような出来事が立て続けに起こっている現状に対応しきれるか不安になるが、いずれにしろ意思疎通が取れたことは喜ばしい。

 しかし横でミズカゼが疑問を呈し、すぐに次の問題が浮かび上がる。

「このカートにはスピーカーは無かったはずです。こちらの声が聞こえていても、どうやってこちらに意図を伝えるのでしょう?」

「鋭い指摘だ」

「つまり、機長も失念していたのですね」

「当たり前だろ、まさか給仕用の電動カートが出てくると誰が予想できた?」

「いえ、そうではなく、相手が言葉を使えない場合にどうするのかといったことなのですが……」

 本来であれば、人間の感知できないエウーリアスの意思を探知するためのルーフェという存在であるはずだが、電動カートの感情を読み取ることは完全に想定外だった。ミズカゼ自身も電動カートを前にどういった分析を試みるべきか考えあぐねているようで、ただじっとカートを凝視するだけだ。

 とにかく考えていても始まらない。翠は少しだけ考えてカートへ語り掛ける。

「これから質問をする。肯定する場合は一メートル前進し、元の位置に戻れ。否定の場合は同じ距離を後退し、元の位置に戻るんだ」

「名案ですが、何を質問しますか。その方法では、イエスかノーといった次元での質問しか行えませんが」

「こういう時は前提の確認からだ。まず、君は人類に属する勢力か?」

 電動カートは後退し、少ししてから元の位置へタイヤを転がして戻った。

 二人は顔を見合わせ、続けて翠が質問を投げかける。

「ここへ現れたのは、我々に危害を加えるのが目的か?」

 後退。

「対話をするためにここへ来たのか?」

 前進。

 心臓が早鐘を打つ。今、正に自分は歴史に立ち会っているという確信が湧くにつれて、緊張感が加速度的に増していった。

 肯定か否定か、単純な二元論の回答に限定されているとはいえ、今、自分は初めてエウーリアスの意思と相対しているのだ。

 興奮する翠が口を開きかけた時、ミズカゼが機先を制して口を開いた。

「ここへ現れたのは、我々に危害を加えるのが目的ですか?」

 それは先ほど、翠がした質問とまったく同じ内容だった。それを聞いた時、翠は馬鹿な真似をするなと一喝しそうになったが、ミズカゼの張りつめた横顔を見て考えを改めた。

 間違いなく、ミズカゼは自身の判断で今の質問をしたのだ。同じ回答が返ってくるだけだろうという当然の推測は、だからこそ今この場では意味をなさないのだという考えに至る。

 そして案の定、電動カートは前進した。

 途端に、周辺の雰囲気が翠にも感じ取れるほど一変した。向けられた敵意の大きさに鳥肌が立ち、電動カートが勢いよく加速して突っ込んでくる。

「機長、発砲しないでください。鹵獲すべきです!」

 ミズカゼの声が耳元でするが、翠の判断は既に決まっていた。

 引き金を絞る。ブルバップライフルの撃針が開放されて信管を叩き、発砲。

 ヘッドセットには外音取込機能が付与されているが、一定以上の音圧を自動的に遮断する聴覚保護機能も有している。そのため、発射時のガスが顔に吹き付け鼻の奥がつんとするようなにおいはするもののさほどストレスを感じなかった。

 十発程度をバースト射撃。全弾が電動カートの筐体に命中し、内部の電気系統を破壊して停止。

「なぜ撃ったのですか」

 安全装置をかけた途端にミズカゼが食って掛かる。

 翠は彼女の怒りを理解できた。あの電動カートが突進してきたところで、翠やミズカゼに危害を加えることはできないだろう。何しろ非武装の、ただ食器を載せて運ぶだけの機械なのだ。その気になれば鹵獲も容易だが、翠はミズカゼの顔を見てぴしゃりと言った。

「ルーフェである君に危険が及ぶ可能性がある限り、発砲すべきだった。君がいれば、意思探査任務は続行できる」

「ですが、あのカートには多くの情報が得られたかもしれない。それに、敵意の有無が明確ではない相手を破壊するのは横暴です」

「人間がそういう存在だと言われれば、おれは否定できない。それにあのカートに敵意があるのは明らかだった」

 口にした後で、しまった、と翠は苦虫をかみつぶしたが、ミズカゼがショックを受けているのを目の当たりにしても訂正はしなかった。

 今、二人の間には埋めようのない溝……人間とルーフェという、存在の違いが確固たる差異として存在してしまっていた。翠とミズカゼの主張の食い違いは、いうなれば人間とルーフェという、各々の存在概念が持つ根本的に相容れない部分が表層に浮かんだだけに過ぎないのだ。そして、二人はそれを理解できるだけの聡明な頭脳を持っていた。

 僅かな沈黙も耐え難く、翠は左手首の携帯端末に目を落とした。

「議論している暇はないぞ、ミズカゼ。見ろ、通信が回復している。どうやら甘木とアダナミが迎えに来ているらしい」

「二人と合流しましょう」

「ああ」

 ここに来る前と変わらないレベルで意思疎通ができているのに、どうしようもない心の距離を感じながら返事をする。

 程なくして、翠とミズカゼと同じ装備をした甘木丈二少尉とアダナミがやってきた。アダナミはすぐに翠とミズカゼの間にある微妙な空気感の違いに気づいたようで、問いかけるように翠を見てきたが、彼は何も言わなかった。

 散らばった薬莢を見て甘木は状況を察したのだろうか、すぐに無線で神室少佐に連絡を入れた後で、翠とミズカゼに告げた。

「二人とも、すぐに戻れ。<ユキシロ>が攻撃を受けている」

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