第二話

 報告書の作成を終えてコンソールを閉じ、オフィスを後にするべく席を立つ。デスクの上に置いておいた保温ポットの中に残った渋いコーヒーを飲み干してぶらぶらと歩き出すと、同じタイミングで席を立った甘木少尉が肩を叩いてきた。

「よう。どうだ、一杯」

「遠慮しとくよ」

 <サギリ>はソルベルト連邦、第二開拓艦隊2nd FFに所属する仮装航空巡洋艦である。主たる任務としては開拓惑星エウーリアスにおける意思探査マインドシーキングで、第二〇一飛行隊に所属する三機の戦闘機、ゲンチョウを運用する母艦能力を持つ。

 探査任務は複数のフェーズに分かれる。計画、探査、反芻だ。戦闘任務を遂行する兵員や軍事にとってそうであるように、特殊任務を帯びる第二〇一飛行隊においても実際にゲンチョウを投入した飛行任務は全体計画のほんの一部でしかない。戦闘機パイロットとして赴任している翠や甘木、そしてもう一人のパイロットにしても、普段は体力錬成と報告書の作成、そして愛機の整備が主な職務となる。

 時刻は標準時で二一〇〇時を少し過ぎたところだ。時間も時間だし、今日の戦闘はここ一カ月でいちばんハードなものだったから、できる限り早く居室に戻って休みたかった。

 甘木少尉は翠と同年代の若いパイロットで、やや伸びた黒髪を真ん中で分けて無精髭を生やしている。古来よりそうであるように、ロック歌手のような出で立ちの背の高い青年で、街を歩けばそこそこ人目をあつめそうなくらいには美形だった。彼のような男がどうして航宙軍でもなく開拓委員会に入り、辺境星系の奇天烈な任務に従事しているのかは聞いたことがない。赴任の理由を聞かないことが暗黙の了解になっているともいえる。三つある開拓艦隊はいずれも、元々は航宙軍出身の兵士が主体となり編成されていたが、軍人としての出世の機会――戦闘――には参加できなかった。出世から外れたキャリアの抱く忸怩たる思いは、翠には痛いほど理解できた。

「遠慮しとくよ。今すぐにでも眠りたい」

 肩に置かれた手を払いながら、歩みを早めるが、まるで編隊飛行のように甘木少尉は歩調を合わせてへつらいながら言った。

「メタファは段々と攻撃的になってる。そうは思わないか?」

「かもな」

 確かに、赴任時から既に一年が経過しようとしているが、当初はメタファが出現したとしても一機、多くて二機くらいだった。今日のように、約四〇機も現れるなど前代未聞である。状況は大きく変わりつつあるのかもしれない、少なくとも前兆として捉えるにはじゅうぶんだろう。

「報告書にもそう書いたんだろ」

「もちろんさ。で、どうだい」

「なにが」

「飲むだろ?」

「飲まない。悪いが今日は……一人になりたい。アルコールも無しにね」

 そうかい、と甘木少尉は相槌を打ち、それまでの軽薄な笑みから気遣いのこもった微笑みを顔に浮かべた。

「わかった。要、とにかく無事でよかった。ゆっくり休め」

「ああ」そこにきてようやく、この男が命の恩人なのだと思い至った。「ありがとう、甘木」

 いいってことよ、と背中越しにひらひらと手を振りながら甘木少尉は十字路を右に折れた。要はしばらくその中心に立ち止まって背中を見送った後、無人になった艦内通路の隔壁に背中を預け、その場にへたり込む。

「くそったれ」

 今日は、本当に死ぬところだった。

 動悸が激しくなり、ぼんやりと視界が霞んでくる。いまさら、おれは怖がっている、と翠は歯を食いしばった。パニック発作のように、自分が今どこにいるのかがわからなくなり、冷たく固い隔壁に体を押し付ける。軍服の袖で涙を拭い、抗いようもなく戦闘時の記憶がフラッシュバックするままに任せた。

 果てしない大地と海洋、黒と青の境界線。明らかな敵意と共に迫る空色の怪鳥と、機体のすぐ傍を切る翼。遠くなる意識の中、機械的に状況を読み上げる女の声。

 初めての実戦というわけでもないのに、これほど慄いているのは、エウーリアスがおれを殺そうとしているからだろう。単純な戦争ではない、最終目標は惑星との意思疎通コミュニケーションという話だが、その前に攻撃されているようでは道のりは遠い。おれはここで、死ぬまで操縦桿を握ることになる。あるいは、その前に壊れて、お役御免になるか。

 嵐のように翠の心を揺さぶり過ぎ去っていくフラッシュバックは次第に収まり、呼吸も落ち着いてきた。最後に残ったのは、あの女の声だ。

 ミズカゼ。

「要少尉」

 驚きのあまり飛び上がった。十字路の脇で座り込んでいる翠を見下ろすように、ミズカゼが立っている。

 彼女はこざっぱりとした軍服姿で、砂色の長い金髪がさらりと揺れているから、今しがたここに来たばかりなのだろう。シャワーを浴びたばかりなのか、翠と同じ石鹸のにおいが微かな風と共に漂ってきた。

「大丈夫ですか? だいぶ顔色が優れないようですが」

「気にするな」

 お互いに階級は少尉だが、翠のほうが先任だ。だからミズカゼは翠を上官として扱う。機長、自分の乗り込む機の頼れる相棒としてではなく、軍組織特有の縦割り関係として。

 足が少し震えたが何とか立ち上がり、壁に手をつきながらよろよろと歩いてその場を後にした。

 翠にとっては、エウーリアスに宿るといわれる知性と、目の前で動くこの女に違いなどなかった。いずれも、人類が生み出した異質な知性だ。人間の形をしているか、そうでないか、というだけの話。

 居室まではあともう少しなのだが、ミズカゼはすぐ後ろをぴったりとついてくる。追い払うのも疲れる、とひたすらに足を前に運ぶことに意識を集中していると、また声をかけられた。

「僭越ですが、お手伝いします」

 何をだ、と聞き返す前に、ミズカゼは翠の右腕を持ち上げ肩に回した。華奢だが膂力はそれなりに強い彼女の身長は翠より一回り小さい。

「おい」

「ほんの少し、そこまでですから」

 もはや振り払う気力もなく、彼女に体重を預ける。華奢なようであっても、もしかするとおれよりも体力があるのではないか、と思えるくらいにしっかりした足取りで、ふらつくこともなく通路を歩く。

 沈黙に満ちた、互いを思いやる戦友としての会話も、無言のまま通じ合う想いもないまま、翠とミズカゼはゆっくりと歩いた。そして現れた居室の扉の前でミズカゼは体を離し、扉を指さして、言った。

「今日は、生きて帰ってこれて、よかったです」

 翠は目の前の女が何を言っているのか理解できないといった様子で、その整いすぎた顔立ちをまじまじと凝視していたが、露骨に顔をしかめて首元からIDタグを引っ張り出してドア枠へ押し付けた。全体がリーダーになっているため、即座に入室者を認識し、同時に<サギリ>の甲板管理システムに誰がどの部屋に入るのかを通知してから、扉を開いた。

「生きてることは素晴らしいとでも言いたいのか?」

「違うのですか」

 それは疑問に思うというよりも、なぜそんなことを言うのか理解できない、という困惑から出た言葉だった。彼女の言葉を鼻で嗤い、ドアの中に体を滑り込ませて、閉じる。最後に挙手敬礼をする彼女の気配を感じた。

 足早に寝台に歩み寄る。他に同室者はいないため、入口から見て両脇に据えられている寝台のうち左の一台を普段使いしている。翠はブーツの紐を緩めて揃えて寝台横に置き、パンツと無地のTシャツだけのラフな姿になると毛布に潜り込んだ。途端に、筆舌に尽くしがたい疲労感が重くのしかかってきた。





 仮装航空巡洋艦<サギリ>は、惑星エウーリアスにおける航空機運用を想定して専用設計された特務艦である。

 通常、宇宙空間を航行し、星系間航行能力を付与された航宙艦は角ばったモノコック構造を取ることが多い。そのほうが構造的に頑強で単純な構造故に建造しやすく、内部容積が増えやすいのと整備性に優れるためだ。これは太陽系を中心とするソルベルト連邦とその他国家共同体においては常識といってよく、他の構造を取るのは、何かの用途に特化している場合だ。

 例えば真空ではなく、ある程度の大気密度を持つ惑星重力圏内での運用を想定している場合などは、形状に空力特性を考慮する必要があるため、通常の箱型形状で建造するのは得策ではない。この場合、流線形を基調とした水滴型などが最適解となるのだが、全長一千メートルに迫る巨大な航宙艦において曲面を採用するのは非現実的で、なおかつ費用がかなり高くつく。ましてや、左右上下の対称性により艦の機動特性にまで影響を及ぼすともなれば、こうした航宙艦の建造は単純に言えば割に合わないし、建艦から就役した後の維持整備費用も馬鹿にならなかった。そんな事情を無視しても、大気圏内へ限定的ながらも降下し、戦闘機の運用能力を持つ仮装航空巡洋艦という特殊性の塊のような艦種に対し、調達部はあるアイデアでコストとの妥協を図った。つまり、既存設計を流用し多少の改良を加える、という昔ながらの手法である。

 ソルベルト連邦においてこうした用途で建造されるのは、もっぱらガス惑星の大気中を飛行しヘリウム3や重水素を収集する採掘船の場合がほとんどであったが、これは<サギリ>の設計とするにはあつらえ向きだった。採掘船が想定する運用環境は高重力、高気圧、そして居住惑星では考えられない乱気流の真っただ中であり、時には巨大な落雷の直撃まで考慮する必要がある。翻って、<サギリ>の活動環境は地球とよく似た気象条件を備える惑星エウーリアスのみで、設計の耐久性はお墨付きだった。さらに、採掘船ならではの多数の重機、および資源を密閉コンテナへ封入するコンビナート設備を格納するスペースは、戦闘機の運用、整備甲板として再設計するにも余りあるほどの空間的余裕を有していた。

 かくして、<サギリ>は外見上はガス惑星の資源採掘船とうり二つの外観を持つこととなり、ほんの少しだけ縦横比を縦に長くした矢尻形状と相なった。仮装航空巡洋艦という名称は、正式な設計ではなく、<サギリ>だけのワンオフ建造であることから由来しており、もちろん今後の建造計画なども存在しない。しかし部品の多くを設計を元にした採掘船と共有化させているため、整備性と維持費は調達部の思惑通り、航宙艦の基準値以内、むしろ少し安上がりというくらいにおさまっている。

 <サギリ>は人類生存圏においても稀有な大気圏内飛行可能航宙艦で、同時にソルベルト連邦の開拓委員会が保有する唯一の戦闘艦艇でもある。

 開拓委員会はその名の通り、新規惑星開拓事業を統括する連邦評議会隷下のいち組織で、大幅な軍縮に舵を切っている連邦においてはもっとも多く予算を割かれている委員会のひとつでもある。

 開拓委員会は、開拓委員長を長とし事務局、副委員長など様々な部署を持つが、殊更に名が知れているのは三つの開拓艦隊フロンティアフリートだ。俗にFFと呼ばれるこの開拓艦隊は、基本的に開拓艦と呼ばれるテラフォーミング実行と監視機能を持つ巨大な非武装船を中心に複数の支援艦艇――物資輸送を担う大型輸送船など――によって構成される。航宙軍における工作艦隊を拡大し湯水のごとく予算を注ぎ込んだようなもので、ひとつの工業星系を丸ごと移動させるような代物だ。第一から第三の開拓艦隊はそれぞれ、惑星メブタス、エウーリアス、ケルンの開拓を担当し、それぞれが別星系で活動を行っていた。

 そして惑星エウーリアスのみがメタファの出現に伴う超自然的な現象に見舞われており、戦闘機ゲンチョウの開発配備と、運用母艦としての<サギリ>の建造、就役と相なったのだった。

 元より予定されていなかった、開拓艦隊における戦闘部隊の設立に伴い、問題となったのは人材確保である。技術要素は容易に融通できるが、乗組員や、部隊の中核たる戦闘機パイロットの教育ノウハウを持っているのは航宙軍をおいて他にない。たった三人の人間ではあるが、長期にわたり辺境惑星において探査任務と時折降りかかる戦闘任務とを万全にこなす適正を持つ人材はそう多くはないのが現状だ。

 かくして、要翠少尉が国防大学校を次席で卒業し任官した際に言い渡された辞令は、志願していた首都惑星に駐屯する星系防衛軍が運用する大気圏内飛行隊ではなく、前人未踏の大地を前に墜落することの許されない、困難な任務が待ち受ける辺境惑星への赴任だった。

 航宙軍にとって、優秀な人材を開拓委員会に差し出すのは面白い話ではなかったが、連邦評議会、評議会議長の命令ともなれば拒否することなどできようはずもない。彼らは人身御供として三人の戦闘機パイロットとその他大勢の航宙艦乗組員を開拓委員会へ異動させた。

 評議会が惑星エウーリアスの開拓に固執する理由は、何においても予算の回収が優先されるためである。過去百年にわたり、ひとつの惑星に対して動植物の移植や大気改造、海洋水質の改善を膨大な予算と人員を割いて行ったからには、全てを無に帰すことなどできようはずもなかった。それに、エウーリアスが公転軌道をめぐるマンタリア星系は巨大ガス惑星と鉱物資源の豊富な準惑星、衛星に恵まれた豊かな星系だった。元々は採掘星系だったが人口増加と経済規模の拡大に伴い新市場の開拓が求められたことで、ソルベルト連邦開拓委員会による入植事業の対象となった。

 もうひとつの理由が、未知への恐怖である。地表へ降り立っての調査が一切行えないため、詳細は不明なままであるが、エウーリアスが意思を持ち超自然的な存在、メタファを用いた人類への攻撃を行うに至ったのは惑星自体に知性が宿ったからである、という通説は、荒唐無稽に思えるが現在に至るまで否定する材料を得られていない。では如何なる知性か、という議論はあらゆる分野で勃発し繰り返されてきたものであるが、もっとも有力なのはエウーリアス地表に人為的に繁殖させた植物の根が、膨大かつ緻密な神経ネットワークとして機能し、惑星地表全体を覆う意識体として顕現したのではないかという説だが、仮説にすぎない。

 問題なのは、実際にエウーリアスが人類の入植を拒み続けているという事実だった。これはつまり、人類を敵視していることと同義である。メタファが宇宙空間に進出し、ソルベルト連邦全体に対して攻撃する可能性もゼロではなかった。未知とはすなわち、際限がないということで、最悪の事態はいくら想定しても足りない。

 だからこそ惑星エウーリアスにおける任務は、世間一般で認知されているよりも遥かに重要性の高いものであり、もしかすれば人類で初めて異種知性体との遭遇を果たしているのかもしれず、決して失敗することの許されない重大な意義を孕んでいた。

 必然的に、重要な任務を負うポストの人材は選りすぐりが起用される。第二〇一飛行戦隊においても例に漏れず、メタファに対する分析眼、戦略的見識を持つ人物として辞令を受けたのが神室かむろ応助おうすけ少佐だった。

 神室少佐の経歴は未だに戦隊員にとっては大きな謎で、機長三人で宴席を共にする時は例外なく話題に上る。一説によれば情報部出身ではないかと噂が流れているが、当の本人はといえば淡々と仕事をこなす、どこにでもいそうな航宙軍士官という為人と見た目をしていた。

 今、神室少佐の執務室に出頭命令を受けた翠は、ミズカゼと共に机の前で直立不動の姿勢を取っていた。ただ立っているだけでも、均整の取れた四肢をしているミズカゼは、翠よりも完成度の高い人間に見えたが、神室少佐はミズカゼの存在を無視しているのか、翠のみを凝視して告げた。

「一番機ミズカゼは、本日一一〇〇時。つまり現在時刻より七日間の休暇とする」

 翠とミズカゼは互いに顔を見合わせ、了解とだけ返事をしたが、神室少佐は不思議そうに首を傾げた。

「何故、とは問わないのか?」

 こいつは何を言っているんだ、とはおくびにも出さずに、何と返事をすべきかと思案していると、ミズカゼが神室少佐に負けず劣らずに疑問にあふれた表情で問い返した。

「これは命令では」

 そう、これは命令だ。飛べと言われれば飛び、寝ろと言われれば寝るのである。開拓委員会隷下であれど、戦闘部隊として指揮命令系統と規律に従う第二〇一飛行隊、ひいてはこの<サギリ>艦内においては、命令に疑問を挟む余地などない。名前こそ違えど軍法会議に準ずる組織内司法機関は存在するし、数名ではあるが逮捕権を有する警務隊も乗り組んでいる。

 軍紀を鑑みれば、ずれた質問をしているのは神室少佐のほうであった。翠は求められている答えがわからないまま、ミズカゼの問い返しになんと少佐が答えるのかを観察していた。

「命令だ。だが、何も疑問に思わないのか?」

「少佐は、我々が命令に疑義を唱えることを期待しておいでなのですか」

 今度は翠が言うと、神室少佐はゆっくりと頭を振った。

「艦内休暇だからそれほどリフレッシュはできないだろうが、各自静養し任務に備えろ。以上だ」

 解散、という一言で二人は挙手敬礼、退出した。さほど広くもなく、あるのは少佐の執務机とその上の端末のみという殺風景な部屋を後にすると、翠は休暇に入ったことを実感したが、腑に落ちないまま、まずは今日一日をどう過ごそうかと思案し始めた。少佐の言う通り、<サギリ>艦内においての休暇であるため、例えば食堂に行って大っぴらに昼間から酔っぱらうわけにもいかない。最低限の規律に縛られたまま英気を養うのが目的だと理解していたが、一週間という長さは異例だった。もしかしたら、先の戦闘で相当におれがまいっていることを心配されたのかもしれない、それに<ミズカゼ>はこれまでにないほど強烈な加速度がかかる機動を連発したから、ボディの劣化度などの整備をじっくり行っているのだろう。

 とにかく、休みは休みだ。翠は昨日よりは幾分かさっぱりした気分で、気密ハッチのすぐ目の前で立ち尽くしているミズカゼを振り返った。彼女は狭い通路の床に視線を落としていたが、翠が振り返るとすぐに気づいて視線を合わせた。その所在なさは、実家の犬が初めてドッグランに放たれた時、どうしたらいいのかわからずに翠を見つめてきた記憶を想起させ、少し微笑ましい気になる。

「まあ、とにもかくにも休暇だとさ。お前も好きに過ごせ」

「了解しました」

 アンドロイドのように律儀に首肯し、そしてこれまた堅苦しく敬礼をしてから、ミズカゼは通路の艦尾方向へ向けて歩き出した。ほとんど反射的に、そっちには展望室があったな、と妙に納得しながら、反対方向の食堂へ向けて歩き出す。簡単な軽食を包んでもらい、酒保でエールを二本ほど持っていきたかった。開拓委員会隷下に配属された時は、おれのキャリアは始まる前に終わったのかと絶望的な気分になったが、唯一よかったことは、未だに連絡を取っている国防大学校の同期たちと比べ、福祉関係が充実していることだった。開拓艦隊は軍人ではない民間関係者が多く所属し、長期にわたりテラフォーミングを行うため、嗜好品や生活必需品の供給を行うロジスティクスが生命線なのだという。

 開拓委員会の力の入れようは、何も艦隊だけではない。巨大ガス惑星周辺に資源採掘プラントを複数建造し、その星系で作業従事する人口を増やすと、その後は衛星や準惑星の内部を掘削して初期の居住コロニーを建設した。また、レクリエーションやエンターテインメント性の高い施設を複数備えた円筒状のリゾートコロニーまで建設され、これはラグランジュ点で現在も稼働していた。長期休暇を取る<サギリ>の乗組員はほとんどここへ向かい骨を休めるのだが、翠はあのけばけばしい立体映像ホログラフが立ち並ぶ繁華街や、はたまた開放的で長閑な公園などよりも、どちらかといえばエウーリアスを見ていたかったので、他の者に比べれば足を運んだ回数は少ない。

 ぶらりと食堂に顔を出すと、広々としたスペースの一面、入口付近に設けられている配膳口でフィッシュアンドチップスを注文した。給養員たちは人柄も気さくで、休暇ですか、いいですねなどと玉虫色の相槌を打ちながら気前よく量を増やして箱型の容器を渡してくれた。箱を小脇に抱えるようにして出口へ向け歩いていき、途中で食事を摂っているシフトを交代し終えたばかりの顔見知りと軽く挨拶を交わしながら酒保へ向かう。

 この時間帯、酒保は妙に賑わっている。忙しく、食堂で食事を摂るより酒保で携行食料を買って済ませる者が多いのだ。特に<サギリ>艦内の整備を担当する技術職はその傾向が強く、昼夜を問わず、この巨大な仮装航空巡洋艦の状態に気を配っている彼らの汗ばんだつなぎ姿が多く見受けられた。

 今日も例に漏れず行列を作っている彼らの目を憚りながら、冷蔵庫からエールを二本取り出す。目敏く気付いた整備員たちから羨望の眼差しを受けるが、その相手が戦闘機パイロットである翠であることを認めると、ぎこちない微笑みを浮かべる者がちらほらいた。その笑みの意味は理解できる。

 ――お互い大変ですね、機械を相手にしていると。

 言うまでもなくミズカゼのことを揶揄しているのだろう。翠は怒るべきか、それとも笑い飛ばすべきなのかわからず、ついと視線をそらして列に並び、手早く会計を済ませて自室へ向かった。

 今日一日は何も考えずに過ごそう、と思い自室のハッチを潜ったが、静かな室内で頭の中をめぐるのは神室少佐の言葉だった。

 命令に疑義を唱えないことが軍人としての美徳であるはずだが、あの男は、どういった理由であんな突拍子もない質問をこちらへ寄越したのだろう。特段、普段からあのように理解できない言動をする為人ではないが故に、その行動に何らかの意図があるのではないかと考え続けてしまい、気付けばフィッシュアンドチップスの半分とエールを一本空けてしまっていた。

 もう一本の蓋を開けながら、果たしておれは命令に疑問を持つべきなのだろうか、と自問し、いや、そんな考えには意味がない、疑問を持つことでおれがどうなるかが重要なのだ、と思い当たる。

 上官からの命令に疑問を挟むことなく確実に実行する。それは軍人として非常に模範的であると同時に、教条的であるということだ。何をすべきか、ではなく、どうやって達成するべきかを思案するのが兵隊の仕事だ。例えば、意思探査マインドシーキング任務において、翠にとっては惑星エウーリアスのどんな意思を検知するかよりも、飛行計画そのものが重大な関心事であるように、軍人は命令の遂行を目的とする。

 神室少佐が、もし翠やミズカゼ、第二〇一飛行戦隊に対し、盲目的に命令に従う以外の何かを期待しているのならば、それは軍人としてではなく、どのような立場としての責務を負わせるかを再定義しつつあるのだろう。だとすれば、翠にしろミズカゼにしろ、今のまま飛んでいれば安泰という訳ではなくなったということだ。唯々諾々と彼の伝達する飛行計画の持つ意味や、そもそもなぜおれたちは飛ぶのか、といった根源的な問いを自らに投げていかねばならない。

 穿ちすぎか、と考え、無性に誰かに相談したいと心の底から望んでいる。今の思考を言葉にし、整理するために、誰かと言葉を交わすべきだ。

 だが、二本目を空けて適度な酔いが頭を揺らし始めたので、室内に据え付けの小さなテーブルの上に広げたフィッシュアンドチップスが食べかけの容器もそのままに寝台で仰向けに横になった。

 いずれにしろ、考える時間はたっぷりある。今日はまずリフレッシュだ。

 ほどなくして、翠は浅い眠りに落ちた。メタファに追い掛け回される悪夢を見て何度も目を覚ましたが、耐え難い睡魔はとめどなく眠りの淵へと彼を誘いこんだ。

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