第20話 官吏の妙な依頼


 手続きの書類がひたすら面倒臭い。

 この国は書類で回っている。たかが人事交流とはいえ例外ではない。


 オーストウッド病院に提出する分、内科部長に提出する分、国立病態生理学研究所に提出する分、その分室に提出する分。ちなみに二部ずつ。その記入用紙もあちこちから取り寄せる必要があった。


 こればっかりは、パブロの気持ちがわかる。

 非効率。やり方が古い。


 人事情報を正確に把握し管理するために、住民票に経歴書、推薦状、IDカードの写しに機密保持契約書、健康診断書の写し、加えてよくわからん誓約書、その他もろもろ。


 ……だるい。


 まあ、この厳重さのおかげでトラブルが未然に防がれているのだろうが、逆に木蓮などはこの壁に阻まれて仕事が続かなかったのだろう。


 それはさておき――。


 今、山麓支店に来ている。

 書類を届けるためだ。郵送してもよかったのだが、挨拶もかねて持参することにした。パブロの好みが分からないので、甘いものを持参した。アイツはたぶん、甘いものが好きだ。そんな顔をしている。


 人事がらみは秘書のシドが担っているようで、彼に書類一式を手渡すと、あの薬品臭のする接客カウンターに広げてチェックを始めた。


 この青年、横顔はまるで二枚目俳優だ。

 すらりと背が高く、男女問わず見惚れそうな端正な顔立ち、どことなく古風な召し物もこの店にぴったりで映えている。


 不思議だ。

 なぜこんなところで秘書をすることになったのか。何かやむにやまれぬ事情があるのだろうが、どこか嫌な予感がして聞く気になれない。


「書類の方は問題ありません」


 シドが顔を上げて優しげに笑う。

 店内は暗くとも、この表情はいささか眩しい。


「せっかくご足労いただいたわけですから、先生にご挨拶なさっていってください。じきにこちらへ見えると思うので」


「はい、そうさせて頂きます」


 元よりそのつもりだった。

 とは言え、パブロが不在でなかったのは単に運が良かっただけだ。


 無論、事前にアポイントメントを取ろうと連絡はした。が、パブロは、好きな時に来て書類をシドに渡せの一点張り。

 行動を縛られるのが嫌というより、しばしば急な仕事が入るので約束できかねるというのが本音らしい。


「先日、よい紅茶が入ったんです。苦手でなければお持ちします」


 シドが言う。


「そんな、お気遣いなく」


「いえ、私が飲みたいのですよ」


 彼は爽やかな微笑を浮かべると、脇の作業台で支度を始める。立ち居振る舞いも一々がこなれていて気品がある。粗忽なパブロとはえらい違いだ。


 この人物はパブロに染まらないのだろうか……。


「先生とは、長いお付き合いなんですか?」


「ええ、それなりには」


 少しぼかされた。まあ、長いのだろう。


「先生はご存じのとおり変わり者ですが、それ以上にすごく寂しがり屋なので、優しくしてあげて下さいね」


 思わぬ台詞が飛び出してきた。寂しがり屋……パブロが?


「そうなんですか? どちらかというと一人が好きそうに見えますけど」


「人は皆、寂しがり屋ですよ。採用試験の日、昼食に誘ってもらえなかったと少し落ち込んでいるようでした」


 試験の日の……昼食。

 思い返してみれば――無理をするなとか、自分にできることからすればいいとか、そこはかとなく気遣いの言葉を掛けてくれたような。


 あれ、お昼に誘って欲しかったのか――?


 中々に面倒臭いやつだな。……と思いつつも、悪い気はしない。あの時のパブロの姿を頭に浮かべ、勝手に台詞を捏造してみる。


 一人で食堂に入るのは心細い……こいつ、誘ってくれねえかな……。


 あのパブロがそんなことを考えるだろうか。

 本当だとすれば少々可愛げはある。小生意気な態度の裏にある弱点を知ったようで少し嬉しい。いや、駄目だ、変な意味で毒されている気がする。


「向こうから誘ってくれればよかったのに」


「先生はパワハラとか気にするので」


「あの口振りで――?」


「全部つつ抜けだって言ってるだろ!」


 奥の戸が勢いよく開き、白衣を翻して表れたのはパブロである。


「おい、シド、余計なことは――」


「先生、どうぞ、紅茶が入りました。それから、リズさんが甘いものを差し入れて下さいました」


 シドは被せるように言い、三人分の紅茶を並べ始める。


「ああ、ありがとう、それはそうとだな――」


 パブロの苦情を遮って、今度は電話が鳴り始める。


「電話に出ますので、あとでお伺いしますね」


 あのパブロが完全にあしらわれている。今後、彼の扱い方はシドから学ぶことにしよう。


 パブロが気まずそうにリズの方を向く。

 今までは気が付かなかったが、この人物、いわゆる生粋のツンデレ気質なのでは。


「先生、こんにちは」


「まあ、儲けもんだったよ。タダで使えるにしてはいい人材だからな」


「もっと素直に喜んで下さってもいいんですよ」


「私が素直になったらアイデンティティーが消えちまうだろ。そうしたら人格が二つに分裂して、両方皮肉を言う。やってみるか?」


「結構です。今日は実験をしていたんですか」


「まあな。ついでだし、これから地下の研究室の見学でもする?」


 これは最近知った。

 山麓支店の地下には研究室がある。更には戦争捕虜や山賊を捕らえた際の監禁房まであるという。木蓮の部屋って、まさか……。


 興味はあるが、今日はもう帰らねばならない。

 こちらへの出向は決まったとはいえ、まだオーストウッド病院で受けなければいけない研修やら実習やらがそれなりに残っているのだ。


 しばらくはこの長距離の行き来に煩わされる。早いところ、オーストウッド方面の用事を片付けてしまいたい。

 その後は、……宿探しか。地下牢はお断りだ。


「見学したいのは山々なんですが、この後、オーストウッドでちょっとした研修があるので。楽しみは次に取っておきます」


「なんだ、ツレナイな。誰かの寂しがり病が悪化するぞ、治療薬を早めに用意しておけ」


「週末にでも来ますよ。ところで、この辺りに良い賃貸の――」


 長らく電話口で話していたシドが、ふと意味ありげにこちらを窺った。リズが言葉を止めると、彼は通話を保留中に変えて近づいて来た。


「お話し中のところ済みません。急な依頼の話です」


「どんな?」


「お世話になっている上級官吏のニコラス・ハカビー氏から、なんでもシルバーレイク方面の小さな町で吸血鬼が出たと騒動になっているとか」


 聞き違いではない。吸血鬼と言った。


「人の生き血を啜るやつなんてこの世に溢れてる。ほとんど全員吸血鬼だ。放っておけばそのうち収まるだろ」


「急を要すると仰っています。ハカビー氏と懇意にしている方が吸血鬼だと疑われているそうで、早急に協力を願いたいと」


「ハカビーのお友達に血を吸われたらかなわん、危険手当は付くんだろうな」


「ええ、付くそうです」


「危険手当が付くなんて、危険な仕事じゃないだろうな」


「危険な仕事だから危険手当が付くんです。それと、現地にハカビー氏の部下がいるので、使っても構わないと」


「わかった、引き受けよう。面白そうだしな」


「承知しました。詳細を聞いておきます」


 パブロは残りの紅茶を呷ると、勢いよく立ち上がった。柔らかな巻き毛が髪がふわりと揺れた。

 今から向かうのだろうか。シルバーレイク方面……行ったことがないな。


「面白そう、……私も同行していいですか」


「オーストウッドの研修はどうした」


 ……そうだった。

 しかし、これは悩むまでもないだろう。


「サボります」


「なんて悪いやつだ。気に入った、支度しろ」


「恩に着ます。ところで、木蓮さんは……」


 ここに住んでいるらしいが、今日は気配がない。


「役所で手続きをしているはずだ。アイツのことだ、興味があればシドから聞き出して勝手に追って来るだろう」


 違いない。彼女ならそうするだろう。


「それと、お前はまだ出向手続きが済んでない。労災は降りないから空飛ぶ伯爵に血を吸われるなよ」


「善処します」


 そんなこんなで、パブロがバタバタと支度を始める。


 その様子を眺めながら、リズはシド特製の紅茶を啜る。深い香りだ。店の独特の空気がそれを引き立てる。

 はあ、と安らぎの溜め息が漏れた。


 何だろうこの職場。……変な職場だなあ。


 苦笑してみせながらも、実のところ、けっこう気に入っている。


 ――不肖なわたくしではございますが、微力ながら尽力して参る所存ですので、今後とも末永く、よろしくお願いいたします。


 以上、新入社員代表からの挨拶でした。


「いくぞ!」


 奥の部屋から支度を終えたパブロが飛び出してきた。


「はい、準備万端です!」


 ギギギと音を鳴らして玄関の戸を開けると、まだまだ暑い夏の日差しが降り注いできた。今ではこの暑さも、とても心地よく思える。





(第一章 了)





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 是非とも☆のご評価をお願い致します。

 本作をお読み下さり、ありがとうございました。


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