第15話 嘘つきの鑑別診断


 リズが検査室の椅子で所在なげにしていると、いささか忙しない足音が廊下の方から聞こえてきた。


「お、来たな」


 パブロが呟く。


 そこから先の展開は――案の定、である。あまりにも想像した通りで、既視感すら覚えるほどだった。


「ああ、先生!」


 スキナーが検査室に飛び込んできたのだ。


「色が、茶色に変わってしまったんです!」


 慌てふためくように顔を引きつらせ、目には涙さえ溜めて。手には二本のスピッツ管を握り締めている。

 ――片方が薄黄色、もう片方は茶褐色だ。


 皆、あらかじめ手袋を着けて「証拠」を預かるべく待機していた。

 パブロがそれを受け取る。


「スキナーさん。色々思うところはあると思うが、病室へ戻って待っていてもらいたい。あとで今後のことについて話しましょう」


「ああ、はい。わかりました。……取り乱してすみません」


 スキナーはかすれた涙声で言い、戸口で頭を深々と下げると、とぼとぼと病室へと引き返していった。

 それから一拍置き、パブロが廊下を窺う。


「よし、もう行ったぞ。言論統制は終わりだ。何か言いたいことは?」


 ジミーが特大の溜息を吐いた。


「人間不信になりそうです。……いろんな意味で」


 それにはリズも同感だった。

 医者とは何であるのか。患者とは何であるのか。もはや根底から揺さぶられた気分だ。リズの口からもぼやきが漏れる。


「私たちの苦労はいったい何だったのか。あの涙も演技なんですよね。練習したんでしょうか」


 種明かしはするまでもないだろう。

 スピッツ管には最初から検査薬など入っていない。どう転んでも片方だけ茶褐色に変わるはずなどないのだ。


「あの涙が演技だって? 失礼な、あれは心からの嬉し涙だ」


 パブロがお得意の皮肉を言いながらスピッツ管を差し出してきた。


「持ってみろ」


 リズはそれを手に取って眺める。


「先生の策にまんまと嵌まりましたね。見事に茶褐色になっています」

「違う、温度だよ」


 そう言われて、両手にスピッツ管を握る。


「なるほど、……茶褐色の方だけぬるい」


 そこに音もなく木蓮が入ってきた。

 彼女はときに影のように動く。じつは敵国の諜報員なんじゃないかとリズはつい疑いの目を向けてしまう。

 しかし、そんなリズの視線などお構いなしに、木蓮は例の透きとおる声で諜報活動の成果を報告した。


「言わずもがなですが、スキナーさんは売店に向かい、発酵茶をお買い求めになりました。色は焦げ茶色です。薄めれば茶褐色になるでしょう。その後、それを持ったままお手洗いへ……」


 木蓮は腰に両手を当てて頬をぷうっと膨らませた。


「アウトです」

「ははは、患者にダメ出しをするなんて得がたい経験だ」


 ジミーが力なく椅子に倒れながら笑った。

 彼らしくもない態度だが、仕方がない。患者への信頼が傷つき果て、自我が崩壊しつつあるのかも知れなかった。


「それ、一応、検査に出しましょう」


 不意に、木蓮がリズに手を差し出す。


「ああ、このスピッツ管?」

「そうです。茶色の方は使えませんが、薄めていない方なら褐色細胞腫の検査はできます。メタネフリンとノルメタネフリンの検出です」


 検体を無駄にしない精神は大事だ。

 実のところ、リズはそれを捨てる場所を探している所だった。やはり、彼女の方が一枚上手かなと、少々苦い気持ちを味わった。それでも自ら認める敗北には、どこか清々しさがある。

 悪い気はしない。もっと努力しようと思うだけだ。


 結局、その尿検体は手すきの検査技師の先生が請け負ってくれ、リズらは次なる作戦会議へと駒を進めることとなった。


 が、その前に小休憩を挟んだ。


 時刻は午後五時を回ったあたり。

 気が付いてみれば濃密な時間は足早に過ぎ去っていた。たかが一日限りの採用試験ではあるが、リズには得がたい経験に思えた。


 ――これからあの患者をどうするのか。


 それは気にはなるものの、今は同志たちとの休憩を楽しむことにした。今度ばかりは木蓮も席を外すことはなく、みなで売店に行って各々好みのおやつを仕入れ、くだらない話をしながら過ごした。


 ジミーは何かにつけて噴火するが、どうやら根に持つタイプではない。木蓮と衝突しがちに見えたが、休憩時間には驚くほど打ち解けていた。


 好みも人それぞれだ。

 木蓮はイチゴ味のチョコレートをじつに幸せそうに食べ、ジミーは奇妙なほど姿勢を正して羊羹を食べた。リズはそんな様子を眺めながら、二種類のプディングの食べ比べをする。


 パブロは長いこと電話で話していたが、どうやら相手は山麓支店の店番のシドのようだ。やがて、その要件が済むと彼は長机に突っ伏した。そのまま息を引き取ったかに見えたが、木蓮がチョコレートをお供えするたびに起き上がって食べるので、どうやら生きている。


 そんなこんなで休憩時間も過ぎ去った。

 予定時間ぴったりに、パブロが立ち上がる。


「さて、ここまでで患者が検査結果を捏造したことがわかった。が、まだこれが詐病なのかミュンヒハウゼン症候群なのか分からない。どちらのタイプの嘘つきなのか鑑別診断しよう」


 前にも述べた通り、この二つはどちらも病気のふりをするが、その目的が全く別物なのである。


 簡単に表すなら、詐病は自分に得がある場合に病気のふりをする。一方、ミュンヒハウゼン症候群は病気になること自体が重要で、人から注目されたかったり、同情されたかったりという精神面での動機による。


「この検査も難しくはない」


 パブロはスタッフルームから廊下に出る。その後にリズらも続いた。ジミーももう吹っ切れたようで、平常心の顔だ。

 患者にも色々いる。それ以上でも以下でもないのだ。


「またしても強引な方法ではあるが。まあ、もう慣れただろ。私が患者と話している間、廊下で息を殺して聞いているといい」


 そんな言葉を残し、パブロは一人で病室へと入って行った。





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