第13話 全ては覆る


「スキナーさんの病室に入ったとき、ドーナツを食べていましたよね。その容器が見慣れないメーカーのロゴだったので調べてみたんです。食事が問題を起こす場合もあるので念のためです」


 それはリズも同じだった。

 患者の観察も重要なヒントをくれることがある。だからよく観察をした。そして、見知らぬメーカーのドーナツを食べていたのも知っている。


 だが、それ以上の追及はしていない。

 まさかドーナツばかり食べているわけでもないだろうし、食中毒や毒物の摂取による症状とは思えなかったからだ。


「このドーナツ屋は都心部に三店舗ほど展開している小規模のもので、この付近での販売はありません。おそらくスキナーさんは都心部でドーナツを買い、それからこの病院に訪れたんです」


 なるほど、……問題はドーナツではなく距離だ。

 リズも体験している。この辺鄙な地方まで来るのに電車を乗り継いでそれなりの時間を要した。

 この事実が意味するのは、スキナーの自宅はかなり遠方にあるということだ。


「覚えていますか。それで私はスキナーさんの自宅の住所を確認して欲しいとお願いしたんです。そして事実、彼女の自宅は都心部にあって、ここから二百キロ以上離れていました」


 なぜ、わざわざ遠方のメリングトン病院まで来たのか?

 それは彼女の病態を考えれば、想像に難くない。


「彼女がドクターショッピングをしていると――?」


 リズの呟きに、木蓮は頷いた。


「私もそう考えました。彼女は望むような診断が得られず、次々に病院を変え、段々と遠方にまで足を運ぶようになりました。逆を言えば、既に自宅付近の病院も受診している可能性が高いということです。彼女はそのことを言わないだけで」


 度重なる受診歴を隠している。

 それは不思議なことではない。理由は、単に印象が悪くなると思ったからかもしれないし、病気ではないと診断されてきた過去を否定したかったからかもしれない。


 いずれにしても、彼女は執拗に病名を欲している。それを妨げるような情報は出してはくれないだろう。たとえそれが誤診につながると分かっていてもだ。


「その見立てが正しければ、どこかの病院で処方された薬が予期せぬ症状を引き起こしている可能性があります。そこで彼女の自宅付近で当たりをつけて何カ所か電話を掛けてみたんです」


「院内規則もまちまちだろうが、普通は個人情報の無料セールはやってない。それで聞き出せたら保険会社からスカウトが来るな」


 パブロの言葉に、木蓮が頷く。


「はい。過去にスキナーさんを担当したことだけは聞き出せましたが、そこから先は守秘義務の壁です。本人の同意もありませんし、そもそも私は医者を名乗ることもできません」


 リズは廊下で見かけた光景を思い出す。


「それでオートン先生の力を借りていたんですね」


「ええ、彼が先方の医者との仲立ちをして下さって、我々がスキナーさんを担当していること、そして過去の診療記録が彼女の診断に不可欠であることを分かってもらいました。結果、あちらでの治療の概略を聞くことができました」


 ジミーが眉を顰める。


「それ、だいぶ迷惑な話だぞ。先方の都合もあるし、所定の手続きもあるだろう。少なくともいきなり電話口でやることじゃない。分かっているのか」


 まあ、分からなくはない。

 が、リズはやるべきであったと感じる。それが患者を第一に考えた行動のように思えたからだ。

 実際、強引なやり方だったからこそ、すぐに情報が得られたとも言える。


 木蓮は話を続ける。


「確かにご厚意に甘える形でしたが、みな快く協力してくださいました。で、分かったこととしては、その診療所では軽い起立性低血圧の診断を出したそうで、昇圧剤であるミドドリンを処方したそうです」


「昇圧剤……か」


 パブロが呟く。

 昇圧剤とは、一時的に血圧を上昇させる薬である。


「その処方をなぜ伝えてくれなかったのか? 不自然なけいれんと共に血圧の上昇が起きたのはなぜか? 演技だとは断言できませんが、少なくとも私にはあのけいれん発作がどこか不自然に見えました」


 それはリズにも覚えがある。

 あの発作にはどこか違和感があった。何ら根拠があるわけではないが、あれが演技だったとすれば腑に落ちる面もある。


 パブロもけいれんを観察していた際、その違和感を見抜いていた節はあった。間近で患者の顔を覗き込んでいた木蓮なら尚更かもしれない。


「あのけいれんと高血圧を除けば、彼女に重い症状はありません。あちこちの病院に掛かる検査代は馬鹿にならず、それだけのコストを払ってでも病気であると認められたい――それが、ミュンヒハウゼン症候群の特徴のように思えたんです」


 木蓮はそう締め括った。

 ……が、すぐに思いも寄らぬ爆弾を追加した。


「ただ、今は、詐病さびょうの可能性も高いのではないかと疑っています。と言うのも、その高額な医療費の全額、彼女の勤める会社が持っていたんです」


 詐病――。

 それは自分が病気であるかのように偽る行為のことである。一見、ミュンヒハウゼン症候群と似ているが、その実態は大きく異なる。


 違いはある一点において明確である。詐病は利益の享受を目的として行われるのである。精神病とは限らない。健常人が詐欺の手段として行う場合もあるからだ。


「スキナーさんが退職予定だと言っていたのを覚えていますか。彼女と話していて分かったのですが、会社内でトラブルがあったようです。会社に強い恨みがあり、準備が整いしだい辞めてやるのだと息巻いていました」


「準備……」


「さすが大手企業の福利厚生は違います。社員の医療費は会社持ち、それに加え、充実した傷病手当制度があり、重病にかかった診断書があれば高額の見舞金が下ります。病名にもよりますが、ゆうに一年分の給与を超える額です」


「それも電話で確かめたのか?」


「はい、それは難しくありませんでした。社員に対する相談窓口があって、そこで内規について細かく相談に乗って下さいましたから」


 軽々しく言ってのけるが、簡単なことではない。

 話術や交渉術に長けていなければ、ここまでアグレッシブな調査はできないはずだ。これもまた彼女の得意分野なのだろう。


「もう一点、詐病を疑うポイントがあります」


 木蓮が何を言おうとするのか分かり、リズは思わず口を挟んだ。


「けいれん発作が治まったタイミング……」


「そうです。鎮静剤の注射を打とうとしたところでピタリと治まりましたよね。ミュンヒハウゼンなら医療行為を積極的に受ける傾向がありますが、詐病なら逆のことが多い。不要な注射を打たれたくなかったんです」


 パブロが悩まし気に腕を組み、唸る。


「つまりこういう事か、スキナーは恨んでいる会社から見舞金を巻き上げてから退職したい。だから、なるべく重い病気の診断が欲しくなり、方々の病院を駆けずりまわって病気の振りをしていると」


「ええ、そう思います。おそらく彼女は病気や検査についての知識がまだ乏しいです。それで曖昧な不定愁訴となるのでしょう。ただ、今後はエスカレートするかもしれません。先ほど、けいれん発作を起こしたように」


 まだ、推察の域を出ない。

 とはいえ、それなりに理路整然としている。患者を疑うのは忍びないが、一つの可能性として見過ごすことはできない。


 いったい何が正解なのか。リズは頭を抱えた。





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