第12話 三者三様の診断
ミーティングの時間になるとパブロが戻ってきた。
木蓮は何をやっているのかこの場にはいない。
とは言っても、怠けているわけでないのは誰もが察していた。リズも彼女が裏で駆けずりまわっている姿を見ている。
恐らく彼女なりの最善を尽くしているのだろう。
リズには純粋に興味があった。
医療行為だけでなく設備の使用まで禁止されている彼女が、いったいどこまでできるのか。木蓮はその極限を見せてくれそうな節があった。
だが、患者は待ってくれない。木蓮抜きでミーティングは始まった。
「私はけいれん発作のときの高血圧が二次性のものではない気がします」
開口一番、リズは気になっていた点を指摘した。思いのほか、ジミーの賛同が得られた。彼は大きく頷いている。
「それはあり得ると思う。けいれんによる高血圧ではなく、高血圧によってけいれんが起こった。例えば、高血圧性脳症なら頭痛に吐き気、けいれんも起こす」
「高血圧性脳症には脳浮腫がみられることが多いけど、オートン先生の画像診断は最近のものじゃない。だから当時は脳浮腫を伴わなかったか、軽度で見落とされたのかも」
リズがジミーのアイデアを捕捉すると、パブロが首を傾げた。
「急に二人で意見を合わせだしたな。休憩中に結婚したのか?」
変な空気になる前に、ジミーが言葉をつなぐ。
「血中カリウムが低い、アルドステロン症では? それで血圧上昇の説明がつくし、低カリウム血症から脱力感や一過性の麻痺も起こり得る」
アルドステロン症は、副腎の異常によって血圧を上げるホルモンの分泌が亢進してしまう病気である。血中のカリウムが低下する特徴がある。
しかし、これではない。
リズは首を振った。
「カリウム値はそこまで低くないよ。これなら正常の範囲。アルカローシスも出てないし、アルドステロン症ではないと思う」
「なんだ、今度は意見が割れたな。スピード離婚の新記録だ」
「価値観の相違です。先生はどちらと再婚します?」
「不服ながらジミーだな。可能性がある以上は調べたい。血漿アルドステロンとレニンの活性を見ておけ。その結果アルドステロンが高ければエプレレノン投与で改善するか調べればいい。他の求婚者は?」
アルドステロン症はリズの考えていた病名とは違う。てっきりジミーが先んじて病名を出してくれると思っていた。
なぜ、土壇場でチャンスを譲ったか――?
譲ったわけではない。ひとえに間違いを恐れたからだ。
人の病名を口にするには思いのほか勇気がいる。的外れなことを言えば、患者にも失礼なように思えてしまう。
これもまた自分の悪いところだとリズは自戒する。間違いを指摘し合うためのミーティングでありチームだ。今は臆してはならない。
「私は、初期の褐色細胞腫だと思います」
診断の根拠を求めるように二人の視線がリズに刺さる。
褐色細胞腫――ノルアドレナリンなどを分泌する腫瘍細胞で、体を闘争時のような興奮状態にしてしまう。血圧が上昇し、頭痛、動悸、発汗、手指の振戦など様々な症状を起こす。
注目すべきは、褐色細胞腫には常に血圧を上昇させるタイプと、何かの刺激で発作的に血圧を急上昇させるタイプがあることだ。
リズは説明を続ける。
「心臓の負担を示すBNPは低いので慢性的な高血圧ではありません。普段は高血圧は隠れているんです。突発的に高血圧発作を起こすタイプの褐色細胞腫です」
パブロは少し考えるように目を落とした。
「それを言うなら遺伝性疾患のフォンヒッペルリンドウ病の可能性もあるな。これはよく褐色細胞腫を伴う。家族にも腫瘍が多いなら遺伝子検査をするべきだが……」
「ご家族に腫瘍の方はいないそうですよ。――遅くなってすみません」
答えたのは木蓮だった。
静々と歩いてきて、空いている席に着く。
ジミーが露骨に不愉快そうな面持ちをしている。遅刻にも厳しい。一方、パブロの表情は変わらない。内心、どう思っているのかは分からないが。
「なら方針は決まったな。リズ先生は褐色細胞腫の検査だ。尿検査でメタネフリン測定。それまでに高血圧発作が出たらクロニジンを投与して下げられるか見てみろ。下がらなければ褐色細胞腫は濃厚だ」
パブロはそうまとめると、木蓮に視線を向けた。
「話の焦点は患者の高血圧。ジミーはアルドステロン症、リズは褐色細胞腫の検査をする。他にも何かあるか?」
「あの、挙げたい病名はあるのですが、実はまだ裏が取れていなくて……」
珍しく戸惑っているように木蓮は言い淀む。パブロが顔を顰めた。
「なら裏を取るのを手伝ってもらえ、そこにお医者様が二人いるぞ」
「私はですね、彼女はミュンヒハウゼン症候群じゃないかと」
ひと時、全員がぽかんとした顔になった。
それもその筈である。
ミュンヒハウゼン症候群とは虚偽性障害といわれる精神疾患の一種で、人の気を引くために病気を装ったり、症状をでっちあげたりする病態のことである。
ジミーが声を荒らげる。
「君は患者を疑うのか!」
「まあ待て、まだ溶岩を噴出するには早い。根拠を聞いてからだ」
パブロは宥めながら、話の続きを促す。が、木蓮もまだ自分の判断に確証がないのか、態度は煮え切らない。
「やはりまだ決めつけるのは早計かもしれません」
「それでもいい、話してくれ」
突飛なことを言い出しはしたが、彼女が患者と真摯に向き合っていることは顔付きで分かる。その懊悩も逡巡も。
それだけに、リズの直感が感じ取った。彼女がこれから言うことは、おそらく――真実だろうと。
「……わかりました。分かる範囲でご説明します」
木蓮は小さな息を一つ吐き出すと、今まで単身で集めてきた情報を話し始めた。淀みない透明な声が、部屋を満たす。
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