第10話 けいれん発作
現場はスタッフルームのすぐ近くだった。
一同が駆け付けると、スキナーは廊下にあおむけに倒れていた。けいれん発作を起こしている。居合わせた看護師が頭を床に打たないよう支えている。
見たところ、腕や足を小刻みに震わせる全身性のけいれんだ。看護師の言うには、気づいた時からこの状態だったという。
「救急カートからジアゼパムを、念のためだ」
パブロの声で、手すきの看護師が鎮静剤を取りに走る。
「僕はストレッチャーを持ってきます」
そう言ってジミーが現場を離れた。一方、木蓮は看護師と場所を交代し、てきぱきと応急処置を始める。
「見たところ外傷なしです。呼吸は確認できます。スキナーさん聞こえますか!」
やはり彼女には何らかの実務経験がある。
嘔吐した場合に備えて患者を側臥位にし、下顎を挙上させ気道確保。定期的に呼び掛けて患者の反応を調べ、視線や瞳孔からも意識の状態を確認。同時に頸動脈から心拍を取っている。
リズが棒立ちしていたのは、咄嗟に対処法が出てこなかったからだ。
唇を噛んだ。新米とはいえ、こんな及び腰ではマズい。免許などなくとも木蓮の方が実地では頼りになるようだ。
医療行為の手前までなら彼女にもできるが、任せきりでは……。
パブロと目が合った。
彼はすぐに患者に目を移したが、内心の声を聞いた気がした。そんなことを考えている場合でもないが、試験はまだ続いている。ここまで何ら活躍できておらず、採点が気に掛かる。
いや、今は患者を見なければ――
「ふむ、よくある強直間代性けいれん……かな」
パブロが見下ろすように観察して呟いた。
どこか語尾に迷いがある。発作の初期症状を見ていないからだろうか。リズも典型的なけいれん発作とは少し違うような印象を持った。それが具体的になぜなのかは分からないが――
「嘔吐もありませんし、呼吸も今のところ大丈夫です。ですが、長く続いているのでバイタルを測りたいですね」
木蓮が言う。
バイタルとは心拍、呼吸、血圧、体温などのことだ。だいたいの場合、これに加えて意識レベルや血中酸素などもチェックする。
「このままだと、けいれん重積になる。とりあえずベッドに移そう、それでバイタルも測れる。続くようなら鎮静剤と酸素投与だ。おい、ジミーは!」
パブロが叫ぶと同時に、ジミーが移動式ベッドを運んできた。
場の全員でスキナーをベッドに移す。けいれん発作はまだ治まる気配がない。そのまま、病室へと運んだ。
看護師が救急カートごと鎮静剤を持ってきた。汚名返上とばかりに、リズはカートを受け取った。
「助かります、ここは私がやります」
さすがにずっと傍観しているわけにはいかない。カートの中には鎮静剤のアンプルと静脈注射のための道具一式がある。
「この状態だが、できるのか」
ジミーが代わりたそうにしている。彼は町医者をやっているというから経験は豊富だろう。しかし、注射くらいリズにもできる。
「押さえててくれれば大丈夫。練習なら何十回とやった」
簡単かと言われれば、そうでもない。
ジアゼパムは数分かけてゆっくりと投与しなければならない。その上、けいれん中のため腕を押さえても多少は動く。この条件だと注射器で直に打つのは困難で、翼状針という固定しやすい針を使って対応する。
少々技量はいるが、活躍の場を見てもらうよい機会だ。
慌しく取り付けたバイタルモニターによれば、脈拍は85、血圧は165の90。高い値を示している。一方、血中酸素はやや低いが正常の範囲だ。パブロがそれを見ながら指示を出した。
「呼吸管理は問題ない。このまま一分ほど様子を……いや、すぐに鎮静剤を投与しよう。倒れたときに頭を打っている可能性もある。すぐに発作を止めた方がいい」
ゴーサインが出た。
ようやく出番だ。注射の手技ならそれなりに自信がある。リズはいそいそと静脈注射の用意をするが――
そこで、けいれん発作がぴたりと治まった。
喜ばしいことだ。
薬を使わずに済んだことも、発作が治まったことも喜ばしい。が、結局なにも見せることができなかった。
「私の見せ場が……」
それを聞いたパブロが背中を叩く。
「安心しろ、静脈注射が見せ場なら、生きているだけで相当な見せ場だ。そもそも患者が気になってお前は眼中にない。謝った方がいいか?」
例によってパブロから辛辣な慰めが送られた。
スキナーはぐったりした顔をしているが、呼吸や心拍は安定してきた。だた、血圧はやや高いままだ。この高血圧の症状は……発作の影響だろうか?
患者に意識はある。彼女は視線を動かして一同を見回している。
「私に何が起こったんですか」
スキナーが尋ねた。口調はしっかりとしている。
「わからん」
パブロが率直に応えた。こんな答え方では不安を与えるのではないかと思うが、リズにもよい言い回しは浮かんでこない。
「いずれにせよ、もう少し検査をする必要があるな」
これでまた振り出しである。
一同はまたスタッフルームに戻ってきた。
一から戦略の練り直しだ。どうやらスキナーの症状は進行している。早急に原因を突き止めたいところだが、リズの頭には何のアイデアも浮かんでこない。
銘々考える時間も必要だろうと、遅めの昼食を挟んでからミーティングをする運びとなった。
はあ、と溜息をつく。
どうにも気が張って食欲が出ないが、食事はとらねばならない。食べられるときに食べておく。これも、自己管理。
確か、院内食堂があったはずだ。
誰か誘って食べに行こうか――とも考えたが、木蓮は野暮用があると言っていたし、ジミーと二人きりというのも気が引ける。
気疲れを感じながら歩いていると、ふと、パブロに呼び止められた。
「正直なところ、驚いてる」
ぎくりとした。身に覚えがあり過ぎる。
「――分かります。私があまりに使えないので驚いているんですよね」
「その自虐的な感じに驚いているんだ。経験の浅い若者がこうして現場に放り込まれて何とかなってるだけでも十分だ。特にお前は就活中の学生みたいなもんだろ」
「それでも医師免許は取りました。医者の卵です」
「そんなに気負う必要はない。実力以上は求めないし、地道にできることを増やしていけばいい」
励ましているのか――?
人を人とも思わないような物言いをする割に、妙に気づかうような態度を出してきたりする。未だにこの人物が掴めない。
威勢こそいいが、こうして容姿だけ見ていると年下にしか見えない。見ようによっては儚げな少女のようだ。人種が違うというが、この違いは異星人と表現したほうがしっくりくる。
不思議な人物だ。
「大丈夫です。無理はしていませんから」
「まあ、それならいい」
パブロは小さく頷くと、アッシュシルバーの巻き毛を揺らしながら、皮肉も嘲弄もなしに去っていった。
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