第9話 検査、全滅


 リズの気分は重かった。……思わしい結果が出ない。


 まず患者の血圧と心拍。これは甲状腺の障害でもよく異常値を示すが、至って正常だった。期待外れだ。

 その後、ジミーと一緒に検査技師を捉まえ、血液サンプルの解析を手伝ってもらった。これも異常なし。


 さらに甲状腺機能の指標マーカーである血中TSHとFT4の測定も正常値を示した。これで候補であった甲状腺機能障害の線も薄くなった。病気でないことは喜ばしいが、患者は病名を欲しがっている。


 パブロに言われていた血沈速度も測った。これは感染症や体内の炎症を反映して変動する。が、これも正常値だ。


 痺れで物が持ちにくいとの訴えを受け、神経伝導速度の検査も行った。皮膚の上から軽い電気刺激を与えて、その伝わり方を記録することで筋肉や末梢神経の異常を調べる方法である。同じく、異常は見当たらない。


 何か見落としているのか。

 それとも、もともと病気などありはしないのか。


 ここまで堪えていた溜め息がとうとう漏れた。

 リズとジミーは一通りの検査を終え、小会議室という名のスタッフルームへと足を運んだ。次の作戦を練る必要がある。



  §



「何だ、甲状腺は違ったのか。二割くらいは期待していたんだがな」


 パブロが検査の結果表から目を上げる。ジミーがいささか疲れた声を出した。


「二割ですか。ということは、先生は始めから甲状腺疾患の可能性は低いと思っていたんですか」


「二割はそこそこ高いだろ。まあ、患者に甲状腺疾患らしさは感じなかったな。これで、今のところ全ての検査でスキナー氏は健康体だと示されている。近年稀にみる健康体だ。で、何の病気か分かったか」


「それをもう一度考えに来たんです。先生は既に見当がついているんですか」


 リズが何気なく尋ねると、パブロは心外そうに腕を組む。


「患者を治す方法が分かっているのに、試験を続けるために放置しているって言うのか。それはとんでもない悪い医者だな。どこのどいつだ。ぶん殴ってやる」


「済みません、ご尤もです」


「患者はドーナツを食ってた。だからドーナツ病だ。本人もそう言ってた」


「それはもう除外しました」


「ところで木蓮のやつはどうした」


 彼女は医療行為や機器の使用が禁じられている。なので患者から話を聞くと言って別行動をとっていた。ジミーが不満そうに答える。


「木蓮さんなら長いこと患者と談笑してましたよ。何をあんなに話すことがあるんだか。患者にも迷惑ですよ」


「患者とのコミュニケーションは大切だぞ、それで患者と仲良くなれる。仲良くなれば、少しの誤診なら大目に見てもらえる。間違いを恐れぬ医者の誕生だ、響きだけは格好いいな」


「先生が患者と話したら、まずその物言いで訴えられます」


 話が脱線している。行き詰まっている証拠だ。

 何でもいいから新しい案を出さねばならない。リズは頭の中でもつれ合っている考えをそのまま吐き出した。


「私は痺れの症状が加わったのが気になりますね。脳神経系での異常が進行しているとしたら……」


「患者は受け答えもはっきりしているし、オートンのやったCTやMRIの画像を見るかぎり、痺れは脳や脊髄ではなく末梢神経が原因に思える。が、末梢神経伝導の検査は正常だ。おまけに患者は食欲も旺盛で見るからに顔色がいい」


「CTとMRIを撮ったあとで悪化が始まったのかも」


「オートンがMRIを撮ったのが一週間前だな。撮り直してみるのもいいが、それはただの再検査だ。他にも代案を出しておけ」


 彼の言うように、再検査を繰り返しても期待は薄い。

 主だったところはあらかた否定されている。そろそろ発想の転換が必要かもしれない。痺れ以外の症状は、頭痛、倦怠感、吐き気、めまい。


「頭痛の痛みで他の症状を感じているのかも、群発頭痛とか――」


 リズが言い掛けたところで、木蓮が部屋に入ってきた。


「遅くなりました。群発頭痛はないと思います。痛みは発作的ではなく、持続的で中程度の痛みです。同じ理由で片頭痛でもないでしょう。発作の前兆となる感覚異常もありませんし、羞明や音声過敏もなしです」


「すごいな、まるで医者みたいだ」


「光栄です。それで、お医者さま方の進捗状況はいかがですか」


 木蓮もさらりと皮肉をかわす。

 パブロは茶化さずにはいられない生き物のようだが、こういう仕事がら、重い空気を作らないことを心掛けているのかもしれない。


 ……人によっては癪に障るに違いないが。


「お医者さま方は何も分からないことを突き止めたぞ。患者さまとの談笑の成果はどうだった」


「そうですね、これといって成果はないんですが、スキナーさんの住所が知りたいと思いました。私には権限がないので、先生にお願いしようかと」


 聞き間違いではない。患者の住所が知りたいらしい。

 ――何故?


「おい、仲良くなるのは構わないが、お宅訪問やストーキングはマズい。犯罪行為は試験で不合格になった後にしてくれ。住所は後で確認しといてやる」


 結局、確認はしてくれるらしい。

 しかし解せない。それに何の意味があるのか。


 おそらく、木蓮は免許がなくとも能力や実力はそれなりにある。無意味な発言とは思えない。何か情報を得て、一歩抜きん出ようというのか。


「どうして住所を?」


 リズが気になっていたことをジミーが訊いてくれた。彼の回りくどくないところは長所だと思う。気になったから尋ねる、思考は単純な方がいい。

 ――見習おう。


「スキナーさんが食べていたドーナツのお店を調べてみたのですが、この辺りにはなさそうなんですよ。どこで買ったのか気になるんです」


「何て優しいんだ、みんなに買ってきてくれるつもり――」


「大変です!」


 話を遮って一人の看護師がスタッフルームに飛び込んできた。


「スキナーさんが廊下で倒れています! けいれん発作を起こしたようで……」


 全員が一斉に立ち上がった。





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