第6話 出題、塩と砂糖


「なにか知識を問うような試験をして下さい」


 悪ふざけのような会話にジミーは辟易ぎみだ。しかし、ジミーが不満げになるとパブロは満足げになる。


「試験官に試験の内容を指示する受験生の話、聞きたい?」

「時間の無駄はやめて下さい」

「無駄なことはない。相手との何気ないやりとりや感情のふれあいから、互いの理解が少しづつ深まるものなんだ。と、恋愛の本に書いてあった。ちなみにその著者は独身の精神科医だ、どう思う?」


 この試験が終わるころにはジミーの眉間の皺が数本増えていることだろう。木蓮は愛想のよい置物のようだ。感情が窺い知れない。


 一方、リズは今のところ楽しめている。

 毒されてしまったのか、パブロの世を拗ねたような態度が小気味よく感じるようになってきた。彼が上司なら退屈しないだろうと思う――それは決して叶わぬことではあるが。


 腕時計を見下ろしながら、パブロは続けた。


「そろそろ退屈してきたろう、何か問題でも出してみるか。受験生諸君の程度が知れるかもしれん」


 パブロは白衣のポケットから試薬要覧の冊子を取り出すと、逆さまに持ってページを捲った。ジミーの皺がますます深くなる。


「そうだな、この問題にしよう。塩と砂糖の見分け方だ。諸君ならどうする」

「方法は状況によるんじゃないでしょうか」


 木蓮が言うが、ジミーは首を横に振った。


「そうでもない。物質を確実に特定するなら方法は限られるだろう。塩ならX線結晶構造解析で特定し、砂糖ならクロマトグラフィーや質量分析だろう」


 答える間もなく、先を越されてしまった。――とは言うものの、ジミーの提案はリズにはいささか大げさに思えた。


「いや、ちょっと舐めてみれば分かるでしょう」


 リズのシンプルな回答にジミーは不服の面持ちである。問題の趣旨を考えろよ、と彼は言う。とはいえ、問題の趣旨は出題者にしか分からない。


 再び木蓮が割って入った。


「沢山の試薬の中から塩と砂糖を見分けるなら舐める方法はできません。一方、塩か砂糖かの二つしかないなら舐めれば済みます。そういう意味で条件によるんです。問題文が曖昧だと最適解は得られません」


 それは確かに正しい。が、木蓮は回答していない。尤もらしいことを言って問題から逃げてはいまいか。

 傍観していたパブロが口を挟む。


「それなら木蓮先生に問題文を補足する権利を与えよう。具体的なシチュエーションを自由に決めていい。面白い設定なら高得点を与える」


 回答者に問題を作らせるのか……

 やはりパブロは一筋縄ではいかない。木蓮は指先を口元に当てて少し考え、やがて言った。


「こうしましょう。料理人が同じ外見の瓶に塩と砂糖を入れてしまい、どちらか分からなくなったんです。ただしこの料理人は味覚に異常があり、舐めても区別はつきません。最も簡単に見分けるための方法を答えて下さい」


 間髪入れずに答えたのは、またしてもジミーだ。


「水に溶かせる量が違う、つまり溶解度の違いで区別がつく。いや、炎色反応の方が早いな。塩を火にくべれば炎が黄色くなる」


 どうやらジミーは頭の回転が速い。問題文にかぶる勢いで解答を出してくる。しかし気後れしている時間はない。リズも一歩遅れて反撃に出る。


「食塩の炎色反応は割と不明瞭だから判別は難しいんじゃないかな。それだったら火で炙り続けて炭化した方を砂糖とする方が間違いがないと思う」


 そこにパブロが割り込む。


「惜しいな、料理人なら炭化する前に火を止めてカラメルソースにすべきだった。これは減点だ」


 もはや何の試験だか分からない。


「その料理人はカラメル恐怖症なんです。パブロ先生は黙っていてください」


 リズはパブロの戯言を受け流すと、木蓮に視線を向けた。


「で、出題者先生の回答は?」


 彼女は医師免許の欠如を帳消しにできるだけの知識を示さなければならない立場だ。いい加減、何か言ってもらわなければ困る。

 空気を察したか、木蓮はそっと耳元の黒髪を掻き上げると口を開いた。


「科学的な分析ではありませんけど、料理人の味覚に異常があるのなら、誰か第三者に舐めて確認してもらうのが何よりも早いです」


 確かに、一理あるが……。


「木蓮、君は免許もなければ科学的な知識もないんじゃないのか。口は回るのかもしれないが、頓智ばかり聞かされている気がする」


 リズの思っていることを、そっくりそのままジミーが代弁した。考えていることは同じなのだろう。

 木蓮が動じた様子はない。困ったような微笑を浮かべただけだ。


「私は最適な答を出したつもりです。思うに問題を解決するうえで大事なのは最善の方法を模索することで、科学の知識をひけらかすことではありません。今回の問題を解くには科学の知識を必要としませんでした。それだけのことです」


「先生、こんな詭弁を許していいんですか!」


 ジミーは椅子から立ち上がるとパブロに食って掛かった。意外と熱くなりやすい性格らしい。学問と真面目に向き合ってきたゆえの感情なのだろうなと、リズはやや好意的に捉える。


「なあ、ジミー。優秀な人材を雇おうと一番真剣になっているのは、この中の誰だと思う?」


 席に着くよう促しながら、怒れるジミーにパブロが釘をさす。幸い、彼はすぐに落ち着きを取り戻した。


「いえ、それは」

「心配するな、私の目は節穴じゃない。君は受験生として自分のすべきことをすればいい。長所も短所もちゃんと見ているからな」


 パブロは優しい声で言い含めると、テーブルからボードを拾い上げて何か書き込み始めた。


「なるほど、これで問題は解決だ。優秀な諸君のおかげで味覚異常の料理人が無事に料理を完成させた。どんな味がするのか楽しみだな」


 そう締め括ると、ボードをテーブルに放った。ジミーの名前の下に新しい事項が書き足されている。


 特技:ブルカノ式噴火


 轟音とともに爆発的に火山灰を吹き上げる火山の噴火様式である。

 ツボに入ったのか木蓮が一人で笑いを堪えている。肩を震わせる彼女をジミーが睨みつける。活火山は再び噴火寸前だ。


「先生、何なんですかこの書き込みは!」

「何だろうな、敵国の暗号かもしれん。国防省に報告してくれ」


 パブロは投げ遣りにジミーをあしらうと腕時計を見下ろす。そして、丁度いい時間だなと呟いた。


「よし、レクリエーションはここまでだ。親睦が深まり心が温まったな。これから採用試験に移ろう」


 最後の一言で、皆、ぽかんとして顔を上げた。これまでのことは前座に過ぎなかったらしい。


 考えてみれば、医者の能力を試すような問題ではなかった。ここまでは互いに人となりを知るための時間、そしてここからが本番ということか。


「決戦のリングはここじゃない。メリングトン病院だ。そこの患者が診断に不服を唱えている。君たちにはその患者を診てもらう」


 パブロが戸口へ向かう。


「車を出す。三秒で支度しろ」




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