第5話 一人目の脱落者
医師免許の話が一段落したところで、唐突にサンディが席を立った。
「それじゃあ、アタシはこれで。楽しかったよ」
やはりこの人、冷やかしだったか。
人のことを言えた義理ではないが、堂々とこんな真似をされては試験する側も面白くはあるまい。しかもここまで軽々しく退散していくとは……いや、やはり人のことを言える立場にない。
リズはおそるおそるパブロに視線を向けるが、気分を害している様子はない。見ようによっては朗らかな面持ちだ。
懐の深い人なんだろうか……?
しかし、続く不可解な会話で、ようやく察するに至る。
「早いな、お医者さんごっこは終わりか?」
「ええ、アタシも言うほど暇じゃなくてね。これから国防省まわり。そうそう、ご注文の硫酸は保管庫、アクリルアミド溶液は冷蔵庫に入ってる。拷問道具かしら。納品書はカウンターの上ね」
「受け取り印はどうした」
「ご心配なく、勝手に押しておいたから」
立ち去ろうと背を向けたサンディを指差し、パブロが言う。
「サンディ・コールマンは山麓管区の配達員だ。仕事はズボラだし、最近は受験生をからかう趣味ができたらしいな。私と関わるとあんな性格になってしまう」
なるほど、受験生ではなかったと。
リズは納得すると同時に、人知れず冷や汗をかく。サンディは冷蔵庫を漁っていたのではなく、配達物をしまっていただけだろう。あのとき、一緒になって物色していたらどうなっていたことか……。
「彼女の性格、私は好きですよ」
色々な意味を込めてリズは呟いた。ギギギと戸を鳴らして出ていく後ろ姿に、その声は届いたろうか。
実際、気が合いそうだとリズは思う。毒のある会話は嫌いではないし、彼女の冷やかしのおかげで緊張がほぐれたのも事実だ。
ばたん。
戸が閉まり、嵐が去ったような静けさが残った。
……にしても、これで早くも候補者は残り三人。無難なリズと、無免許の木蓮と、黙して語らぬジミー。
ぱっとしない品揃えだ。全員落ちるんじゃなかろうか。
「実は配管工でしたとか言わないですよね」
ジミーと目が合って、つい話を振ってしまった。が、冗談が通じる相手ではない。睨まれただけだ。パブロがわずかに口角を上げる。
「さて、気を取り直して、サンディ・ガイドラインの続きだ。とりあえず、ご希望の月収でも聞いていこうか。まずは配管工の君から」
先の軽口のせいでジミーのあだ名が配管工となった。
いささか申し訳ない気もするが、もはや後の祭りだ。また睨んできたので、リズは目を逸らした。
「配管工じゃありません、ジミー・コリンズです。履歴書を見て下さい」
彼はうんざりした面持ちで訂正を施した。が、その言葉に少し引っ掛かった。
……履歴書?
この採用試験では履歴書は必要ないと事前に言われていた。それゆえリズは提出していない。だが、ジミーは提出したと言う。
「あの、履歴書を出しておいた方がよかったですか?」
リズが思わず口を挟むと、パブロは首を横に振った。
「いや、最初から書類で振り分けるつもりはない。まずは実力を見て、履歴書は最終段階だ。その方が余計な先入観もなくなるからな」
「では、彼は……?」
「配管工の彼は自分から履歴書を送り付けてきただけだ。理由は何だろうな、ご自慢の学歴を見せたかったからか?」
パブロがジミーに水を向ける。
少し妙な間があった。パブロを観察するように見据えながら、ジミーはどことなく含みのある笑みを浮かべた。
「まあ、そんなところです。送られて困るものでもないでしょう。あと、僕は配管工じゃありません」
ふむ、とパブロが腕を組む。
「学歴が高いのは雇用者にとって面倒な側面もある。頭でっかちで教科書的だったり、思い上がって実力に見合わぬ高望みをしたりする。で、話を戻そう。君は月額いくらを所望する、ジミー・コリンズ」
嫌な前振りである。
が、この店構えを見るに資金が潤沢とは考えがたい。あまりいい払いができないというのは本音だろう。
「そうですね、二千ベルク程度です」
二千ベルクなら、若手の平均的な初任給の額だ。
「ほらなって言おうと待ち構えてたのに、まあ、妥当な額だな。二千ポイント減点」
「おかしいですよ、妥当なのにどうして減点なんですか」
「細かいことを気にするな。点数を気にしても人生は薔薇色にならない。……という論文を前に見かけたんだが、誰があんな研究に金を出してるんだ。はい、次は木蓮、お幾らをご希望かな」
「千五百くらいあれば」
「なるほど、それなら千五百ポイント減点。正直な話、資金は不足がちだ。求める給与水準も採用の参考にする。では、満を持して次の方」
リズの番だ。
正直を言うと、他の二人が提示した額では安すぎる。ここでの仕事がどんなものかにもよるが、よい人材が欲しいなら、それに見合う額を用意すべきだ。
……吊り上げよう。
たとえプレッシャーを掛けられようとも、要は主張する金額に合理性があれば良いのだ。自分を安売りする必要はない。
「私は最低でも三千五百ベルクです」
「随分大きく出たな。こちらも大きく出て一万ポイント減点しよう。この流れでどうしてその金額になった?」
「簡単なことです。他に内定を頂けそうなところがその水準なので」
「なるほどな、内定はどこで頂けそうなんだ?」
「それを言うわけにはいきません。先生が卑劣な電話を一本かけるだけで、台無しになり得ますから。自衛の策です」
「そうか、高根の花だな。君が優秀でないことを祈ろう」
タマゴが先かニワトリが先か。
確かに、彼の皮肉めいた語り口はサンディとよく似ている。
パブロは接客カウンターからメモ用のクリップボードを取ってくると、各人の希望する給与額を書き込み始めた。
「君らの評価もこのボードに書き足していこう。自由に覗き込んでいいぞ。参考になるはずだ」
テーブルの上に放り出されたボードを見ると、リズの名前の下に大きな文字が書かれている。
特技:生意気な態度。
まあ、空気のような態度よりはいいんじゃないかな。
……にしても、変わり者の薬屋、か。
容姿ばかりは天使のようだが、性格がこの上なくどぎつい。脂っこい食事のように胃もたれを起こすが、どうしてか嫌いになれない。
しかし、この試験会場で何を学べというのか。
ベア教授は何を期待していたのだろう。
精神力を鍛えろとでも言われている気分だ。リズの頭の中で、当て所のない小さな怨嗟が浮かんで消えた。
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