第3話 確率、四分の一

  §



「こんにちは、受験生のリズ・テイラーです」


 リズが名前だけの挨拶をすると、派手な服の女は人懐っこい笑顔を浮かべた。やや年上の印象がある。


「サンディ・コールマンよ、よろしく」


 彼女はそう応じながら、茶目っ気のある視線を向かいの男の方へ流す。


「で、そこの憂いを秘めたツレナイ男がジミー・コリンズ。私と話すより本と話した方が楽しいみたい。してみると、たぶん知性派ね」


 お喋りなサンディが二人分の紹介をまとめて済ませてしまった。

 リズはそつのない笑顔を返す。


「してみると、私は知性派じゃないかも。お二人とも受験生ですよね、今日はよろしくお願いします」


 今のところ、受験生はこの三人きりのようだ。

 リズは遠慮がちにサンディの隣に腰を下ろす。すると、参考書にご執心だったジミーが一度だけ顔を上げた。


「君の方は、まともだといいけどね。……よろしく」


 まるでサンディがまともではないと言いたげだ。

 察するに彼はサンディに絡まれるのが鬱陶しくて本を広げたのだろう。この二人の相性が悪いのは分かる。

 彼の綺麗に整えられたダークブラウンの髪はいかにも育ちのよいマジメ君だ。勉強家の匂いがする。


 対するサンディは、束ねた金髪こそ眩しいが、服装も態度も軽薄な印象。真剣に受験する気があるのか疑わしい。とはいえ、こういう人物に限って鋭い爪を隠しているものだ。侮れない。

 蛇足ながら三番手のリズは、飛び級に飛び級を重ね、十七歳にして国家試験を通った新進気鋭の医師である。自信は人一倍。


「それにしても――」


 リズはハンカチで汗をぬぐいながらサンディに話を振った。


「ここ一帯、まるでキャンプ場ですね。バス停からこんなに歩くなら、私も楽な格好にしておくべきでした」

「そうね。カーゴパンツにでもしとけばよかったのに。そうすれば道端のどん栗も拾えたし、試験の後に負け組で慰労キャンプができたかも」


 サンディが悪戯っぽい目を細める。彼女の言葉はどことなくエッジが鋭い。ここは冗談でも返しておくべきか。


「私は負け組にはなりませんよ。それに負け組で集まったら、腹いせで店がキャンプファイヤーになるんじゃないですか」


 サンディが小さく笑う。


「それ名案ね、薬品庫が燃えてピカピカ光りそう。バーベキューの具は焼きパブロと焼き合格者。ひと夏の貴重な思い出になるわ」

「駄目ですよ。私は合格するんですから」

「みんなその予定よ。でも、大丈夫。予定は狂うものだから」


 ――ふむ。


 見た目どおり、サンディは口の回るお調子者タイプだ。リズが横目で窺うと、顔をこれでもかと顰めたジミーと目が合った。


「さっきから君らは何なんだ。低劣な会話で耳がどうにかなりそうだ。パブロ先生はまだ来ないのか?」


 それを聞いたサンディがケタケタと笑う。


「キャンプファイヤーの準備中かも、外にテントがないか見て来たら?」

「馬鹿馬鹿しい」

「ちょっと待って、あそこの冷蔵庫、冷えたビールでも入ってるんじゃないの?」


 サンディはジミーを無視してカウンター脇の冷蔵庫を指差す。


 さすがに冗談だろう。

 ――と思う間もなく、サンディはいそいそと冷蔵庫に忍び寄ったかと思うと、嬉々として物色を始めてしまった。


「何なんだ、あいつは……」


 ここまでくると、ジミーの苦言も理解できる。

 傍若無人にもほどがある。彼女も記念受験なんじゃなかろうか。あるいはただの盗賊か不審者なのでは……。


 リズもやや顔を顰めたところで、部屋の奥にある戸が開いた。白衣を翻して登場した人物、それがパブロだった。


「採用候補の皆さま、本日はようこそお出で下さいました。そして、会話は全て筒抜けだ。そこのお前、不合格!」


 指差されたのは、無論、サンディである。


「はいはい、細かいこと言わない。さっさと試験を始めましょ」


 サンディの悪びれない態度にも驚くべきものがあるが、それは最早、リズの眼中には映っていなかった。

 それくらいには、パブロの外見は人目を引いた。

 ――エスタルバニア人。

 話に聞いたことはあれど、間近に見るのは初めてだった。


 エルフ族の末裔などと囁かれ、総じて容姿端麗で長命な人種と聞く。成長が遅いのか、頭打ちが早いのか、身長が低いのも特徴だという。実際、彼の背丈はリズの肩ほどまでしかない。


「まあいい、全員テーブルに着席しろ」


 彼が歩くに合わせ、アッシュシルバーの巻き毛が揺れる。

 精緻を極めたビスクドールのような整った顔ばせだ。ぱっと見では、少年とも少女ともつかない。かなり若く見えるが、仄聞そくぶんによれば齢は三十近いらしい。青みがかった瞳は鋭く、理知的だ。


 エスタルバニアという国は小さいながら優れた科学立国として名高かった。特に医薬分野では数々の先駆的な研究で知られ、多くの成果がある。が、なにぶん非力な小国である。

 ――先般の大戦であっけなく滅んだ。


 恐らくパプロは戦争移民だろう。

 彼がこうして国の外縁でほそぼそとやっているのも、なにかしら人種的なしがらみがあってのことかもしれない。


 いずれにしても、一つだけ喜ぶべき点があるとすれば、彼が医薬界のパイオニアだとするなら、学べるものも多くあろうということだ。


「では、これより試験を――」


 パブロがやや大きい声で仕切る。が、その言葉を遮るように、ギギギと建てつけの悪い玄関の木戸が鳴いた。

 元々そう作られたかのようによく軋る。店でありながらドアベルを付けないのはこの音で事足りるからに違いない。


 皆が戸口に目を向けると、一人の女が佇んでいる。


「済みません、駆け込みで間に合いますか?」


 駆け込み受験なんて言葉は聞いたこともないが、どうやら受験生が一人増えようとしている。

 あの遅れがちなバスで来た口だろう。

 よく見れば、ものすごい量の汗を滴らせながら息を切らしている。太陽の熱を吸いそうな焦げ茶のワンピースはよれて見る影もない。同志だ。親近感がわく。


 パブロが呆れたように腕を組む。


「誰だ、お前は。まあ、いいか。候補者も少ないし」


 いいのか。

 こんなどこの誰とも知れない人物を……とも思うが、この採用試験には事前の書類審査がない。受験手続は申込用紙に名前と年齢を書くだけだ。誰でも受験でき、等しく同じ土俵で勝負する。ここでは親が政治家だろうが神様だろうが関係ない。


 こうして四人目の受験者が現れ、合格の確率は四分の一。いや、見たところジミーを除けば、お気楽な場当たり受験のようにも思える。

 有利かも。

 ――という、リズの胸裏を見透かしたように、パブロがぼやく。


「気楽に受けていいよ、全員不合格って線も濃厚だから」


 ……その線もあったか。

 そもそもリズは採用枠の数も把握していない。


「よかった……では、お言葉に甘えて」


 辛くも受験許可を得た女は、安堵の息をひとつ吐き、ようやく店内に足を踏み入れた。そこはかとなく異国の情緒を漂わせている。

 その歩みに合わせて長い黒髪がなびく。大人しそうな優しげな顔立ちで、肌は色白、背は高くないが総じて豊満で健康的。


 お淑やかそうに見えるが、どこか蠱惑的な感じもする。

 この底知れぬ空気――これも彼女の強力な武器に違いない。色恋沙汰とは無縁なリズでもわかる。

 男を惑わせるタイプだ。


「今朝がた求人に気がついて大急ぎで来たんです。医薬系の仕事を探していたので挑戦させて頂ければと」


 風鈴のような透き通った声だった。


 口元は愛想よく微笑んでいるが、俯き加減になると表情は読み取れない。眉の下あたりで綺麗に切りそろえられた前髪が目元を隠してしまう。


「申し遅れました。私のことは、……木蓮モクレンと呼んでください」




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