第2話 到着、山麓支店

  §


 五分も歩くと体が暑さに慣れた。


 歩道を覆う木々のアーチが清々しい。道沿いには民家がちらほらとあり、大きめの国立公園を通り過ぎ、スーパーが一店舗、今は国防省の施設が脇に見える。


 見上げれば山がそびえている。


山麓さんろく支店、か」


 十年ほど前に戦争があった。

 リズは幼かったのでよく覚えていないが、周辺十ヶ国以上を巻き込んだ苛烈な大戦だったという。容赦ない応酬が続き、攻め取られた国も、焦土と化した国もあった。


 今は表向き休戦状態。貿易の鈍化や難民問題が各国の喫緊の課題とされているが、国際的な連合機関とやらは未だに機能不全に陥ったままだ。

 何も進んじゃいない。


 ここ、タロス共和国は戦争被害が少なかった。

 それでも隣国タミシアとは国境付近で激しく干戈かんかを交えたという。戦のフロントライン――いわゆる火線となったのがレッドオーク大森林。

 目の前にある山だ。

 この山が隣国タミシアとの自然的国境を成している。山脈一帯はタロスの領土で、それを超えるとあちら側となる。


 この界隈には悪い噂が絶えない。

 未だに隣国からの密偵や工作員が侵入し、山賊まがいの連中まで出ると聞く。最近ではブラッディ・フォレストという愛称を冠しているらしい。


「一見、長閑のどかなところだけどね」


 独りごとをかき消すように、一台の車がリズを追い越していく。

 タクシーだ。

 賢い受験生は気温まで見越して移動手段を決めているに違いない。この十五分の徒歩が思いのほか体力を奪う。


「もうじき見えて来るはずなんだけど」


 それにしても……あの、ベア教授。

 最高峰の病院の内科部長ともあろう人が、どうしてこんな辺境の採用試験に興味を持ったのだろうか。


 自然に考えれば、ベアはパブロという人物と知り合いなのだろう。それが彼の敵か味方かは知らないが……。

 パブロは業界では有名なんだろうか。

 いや、こんな曰くつきの場所に追いやられているからには――


 リズが顔を上げると、一軒の建物が見えてきた。


「あれか」


 近付いてみると、思いのほか小さな外観である。


 想像していたものと全く一致しない。古民家を改修したような店構えで、たぶん薬を販売しているのだろう。従業員はせいぜい数名か。


 趣こそあるが、ここで働きたいかと言われると……。


「引退した老爺が生薬とか売ってそう」


 玄関先に看板がある。


 ――――――――――――――――

 森の薬屋、山麓支店

 兼、国立病態生理学研究所分室

 兼、国境警備調査団、取調主任室

 ――――――――――――――――


 木戸にはメモが貼ってある。


『本日閉店。採用試験の方は中でお待ち下さい』


 リズは看板と建物を交互に見る。

 薬屋、研究所、国境警備……色々なものを兼ねているようだが、そのせいでここが何なのかさっぱり分からなくなった。少なくとも前途洋々な若者が活躍する場のようには見えない。


 ――まさか警備兵の募集じゃないだろうな。ベア教授の嫌がらせか?


 何はともあれ、ここに突っ立っているわけにもいかない。頑丈そうな木戸を押し開けて中に入る。丁番がきしんで甲高い音が響いた。


 まず感じるのは、薬の匂い……。

 奥には薬棚にぐるりと囲まれた接客カウンター。店員は見当たらない。別室に通じるドアがあるが閉じている。


 まあ、普通の薬局か。

 木造の温かさはあるが、なんとも手狭な店だ。


 左手には大きめの来客用テーブルがあって、そこに二人着いている。


 一人は気難しそうな青年。改まった出で立ちを見るに受験生だろう。参考書に目を落として予習に余念がない。

 その向かいの女は、どぎつい黄色のアウターと裾のほつれた迷彩柄のチノーズ。頬杖をついてこちらを見ている。どこか挑戦的な笑みだ。閉店中というから客ではない。彼女も受験生だろう。


 一歩踏み込むと、ひんやりとした空気が体を包んだ。冷房が利いている。外の日差しが強いぶん、中は薄暗い印象だ。様々な薬品の芳香が鼻をくすぐる。


 パブロらしき人物は見当たらない。

 試験の集合時間までは十五分ほどあるが、人があまりにも少ない。まさか採用希望者がこの三人だけということはあるまい。


 ――いや、でもブラッディー・フォレストの麓だし。


 嫌な予感は拭えない。本当にまともな求人なのだろうか。取りあえず、リズは挨拶がてらテーブルの二人に近付いた。




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