九、雨の朝 2
◇
羽生駅に着き、ボク、河原さんは一番ホームに、悠一、広瀬さん、姉さんは二番ホームに移動した。学校のある方向が逆方面だから仕方がないが、少し寂しい。
「さっきはごめん」
ホームに着くなり、河原さんに謝られた。
「なんで?」
「人の家の事情に、踏み込むのは違うなって歩きながら思って。だからごめん」
「いや、そんなこと」
ボクも気が弱くなっていたのは事実で、美琴が動けないならボクが動くしかない。それなら喝を入れてくれた河原さんに感謝することはあっても謝られるようなことは何もない。
「いや、ボクもあんなマイナス思考じゃいけないなって思えたから、有難かったよ」
「そう?」
不安と期待が入り混じった顔で小首を傾げられた。河原さんは女子の中では身長は低い方ではないがボクがまあまあ高いので、目線を合わせようとするとどうしても上目使いを見下ろすことになる。なんだか変な気分になりそうだ。
「それより、何でそんなに熱くなってたの?」
話題を変えよう。そう思ったが結局近しい話題になってしまった。
「ああ、うん。それなんだけど、あたし兄がいるのね」
初耳だ。そういえば、河原さんから口から兄弟の話題が出たのは初めてだ。
「で、そのお兄ちゃんが自他ともに認めるシスコンなのよ」
妹の口から実の兄がシスコンだと言うことはあまりないだろう。そうでなくても高一の女子がその場にいない兄を指して「お兄ちゃん」と言うのは珍しいような気がする。固まったままのボクに気が付いているのか、河原さんは続ける。
「クラスの男子の話をしただけで顔をしかめるのよ。可笑しいでしょ」
「へ、へぇー」
ボクはそのお兄さんにいつの間にか敵認定されていそうで怖くなった。お隣さんとして話をする仲ではあるが、その話を河原さんがお兄さんにしたら知らず知らずのうちにヘイトを集めていそうだ。ボクは兄だから河原さんのお兄さんの感情も分からなくはない。どこの馬の骨とも分からない男に大事な妹を誑かされ、遊ぶだけ遊んだ挙句捨てるなんてことをしたら、ボクはその男をどうにかしてしまうかもしれない。
とはいえ、その妹の知り合いという今のボクの立場からすると怖くて仕方がない。何かの拍子で一緒にいるところに会ったりしたら殺されそうだ、精神的に。
「で、そのお兄ちゃんがさ、同じようにグダグダ悩んでたとしたらなんだか悔しくなったんだよね。妹の立場からすると、そんなお兄ちゃんだったらヤダなって。だからなんか、こう、うん…」
河原さんの態度を見ていると、彼女のお兄さんに対する信頼と親愛の情を感じることができた。実の兄をシスコンと言った河原さんもブラコンなのかもしれない。
何より今までの発言が「お兄ちゃん大好き!」にまとめることが出来そうに思った。本人もそれに気が付いたのか、
「ごめん、なんか恥ずかしくなってきた」
と顔を背けて呟いた。ほんのりと色付いた頬が可愛らしい。恥ずかしさを振り払うように、ごまかすように先ほどよりかはボリュームが抑えられた少し大きめの声で、
「と、とにかく!美琴ちゃんのためにも諦めないの!オーケー!?」
と河原さんは言った。
「うん」
可愛いなあ、可愛いなあ。そう思いながらまだ赤みが引かない河原さんを見る。まだ恥ずかしいのか、目線を合わせてくれない。可愛い。胸のあたりがじんわりと温かくなってきた。
自動音声が流れる。電車がホームに入ってくる。河原さんを連れ立って乗り込み、反対側のドア付近に並んで立った。ロングシートはすべて埋まり、所々立っている人がいる程度の混み具合。一応河原さんを守るような位置に立ったものの、そこまで立っている人がいるわけでもなく、ただただ格好つけているだけに見えなくもないが、外からの視線は無視する。
「今日、雨で良かった、かも…」
「どうして?」
心の中で思っただけのつもりだったが声に出していたらしい。仕方なく、続きを話す。
「テニス部の朝練が無くなったおかげで朝から河原さんと話せたし、一緒に学校行けるし」
「なっあぁ、何言ってんの!」
流石に電車の中だからか「な」の後はボリュームが下がったが、一瞬大声を出しかけていた。やっと引いてきた赤みがあっという間に復活した。
「白石君のばか!」
軽い罵倒がじわりと甘さに変わる。照れ隠しであるのが見え見えだ。
そして、そう言った後にハッとしたような顔をして赤みが消え去った。
「どうしたの?」
「ううん、なんでも…」
明らかに何かある顔で考え込む河原さん。ボクはじっと待った。電車の規則的な音が耳に入っては通り過ぎていく。
一度口を開きかけた河原さんの声を遮るように自動音声が入った。慌てて河原さんが口を噤む。
「まもなくー、――。――。お出口は右側です。お降りの際は―」
自動音声が終わり、電車がホームに到着する。再び電車が動き始めてから河原さんは口を開いた。
「その、『白石君』って呼んでるけど、あんまりそう呼ばない方がいい?」
河原さんの質問の意図が分からず、
「どういうこと?」
と質問を返す。
「いや、要は向こうの名字なんでしょ?その…」
河原さんが気にしていることが分かった。呼び名、だ。
広瀬さんの家で姉さんと双子だということを河原さんに伝えた後、学校で悠一に会うまでどういった状態だったかを河原さんに話した。その時に継母の名字であることも話したのだ。
河原さんの言いたいことはこうだろう。自身に暴行をした人物の名字で呼ばれるのは嫌ではないのか。
「や、今まで『白石』で生きてきたから特にそういうのはないかな」
物心ついてから「白石」だったのだ。特にそれに関して感慨もない。だが、一応思うことはある。ボクは名前で呼ばれる方が好きだ。
「あ、でも…名前で呼んでもらった方が嬉しいかな」
そう言うと、河原さんは固まった。そして、
「有紀と同じこと言うのね」
と言った。
「え?」
「有紀ね、自己紹介した時名前で呼んでって言ったのよ。母親の晴香さんもね。血筋かしらね」
ああ、共通点がまた一つ見つかった、河原さんのお陰で。
「じゃ、『行人君』って呼ぶね。あ、でも学校の中だと目立つから校内では『白石君』で通させて?」
「うん。分かった」
君はそんなことまで寄り添ってくれるのか。感動すると同時に、名前で呼んでくれた時に言葉にできない甘さが僕を支配した。他の人に呼ばれてもこんな風にはならなかったのに。
ボクはふざけ半分という体でやり返すことにした。さて彼女はどんな反応をするのか。
「じゃ、ボクも『奈緒ちゃん』って呼ぼうかな。いいよね、奈緒ちゃん?」
「え、あ…」
その時の奈緒ちゃんの顔は他の人には見せたくなかった。実際問題周囲には見えなかったかもしれない。ボクの身体が邪魔をして。物理的に奈緒ちゃんを守るために立った場所は奇しくも奈緒ちゃんの可愛い顔を外に見せないための立ち位置になった。
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