九、雨の朝 1
六月十二日月曜日、早朝。ボクたちは羽生駅近くの公園に集まっていた。悠一の提案は学校に行く前に五人で集まり話をしたり、各々したいことをするということだった。その提案自体は良かった。良くなかったのは天候だ。あいにくの雨だったのだ。
梅雨時の今、晴れを願うのは空に喧嘩を売っているようなものだろうし、仕方がない。
「で、どないすんねん」
姉さんがそう言う。確かにどうにもならない。この小さな公園、『羽生子ども広場』には雨宿りできるようなものが何もない。そもそも遊具もほとんどない。公園の危険な遊具がどうのこうのというニュースを聞いていたが、実際に鉄棒と滑り台とベンチくらいしかない狭い公園を目の当たりにすると、侘しさがこみ上げる。子供向けの場所のはずが、ほとんどただの空き地でしかない。
「何か、話す、とか?」
この事態を想定していなかった様子の悠一は気まずそうにそういう。ボクもどう返して良いか分からなかったが、幸い広瀬さんが話題を投げてくれた。
「そういえば昨日、茉実が餃子を包むの手伝ってくれたんだけど、なかなか個性的な形で包んでくれてね。これなんだけど」
広瀬さんはスマホを操作すると、一つの画像を見せてくれた。焼かれる前の餃子、いや形が個性的で大きめの焼売が写っている。
「焼売みたいに包みたくなったみたいでね。でも中身も皮も餃子だし、何よりちょっと大きくて。でも画像で残しておきたくて。私も小さい頃こういうことしたもの。子供の発想って自由だなって思って、でもそう思うのは、私がもう子供の頭ではなくなってきているからなのかなって思ったりして」
ボクの頭の中に幼いころの美琴が浮かんだ。ケーキを作りたいと言って厨房に入り、シェフ達を困らせたこと、後日スポンジを作ってもらって、生クリームを塗ったら何とも不格好なケーキが出来上がったこと。そして、その不格好なケーキが今もこうして大事な思い出として残っていることを再確認して、その美琴に会えないことが悲しくなった。ああ、嫌だな。美琴ごめん、お
自分の意志とは無関係に目が潤んでいく。駄目だ、泣くな。泣くところを見せるなんて情けない。それに心配をかけてしまう。駄目だ、駄目だ。
涙を落とさぬように傘の中を見つめた。無地の黒い傘。葬式でそのまま使えそうな、不吉な傘。お母様に渡された良くない感情のこもっていそうな傘。
「白石君、大丈夫?」
右横からボクを気遣う声が聞こえる。教室の外でも、君はそうやってボクを見てくれるのか。
「だいじょうぶ」
震える声は裏返しのボクの本音を、周囲に伝えてしまっていた。
「ごめん。私が何か良くないこと言ったかも…」
広瀬さんがボクに謝っている。違う、君が悪いんじゃない。
「違うよ。広瀬さんが悪いんじゃない。美琴が小さかった時のことを思い出して、それで、もう会えないのかもしれないと思ったら泣けてきて」
「美琴って、妹さんだよな?」
悠一が確認するように言う。
「そう、腹違いの妹。母親が違うことを知っても変わらず接してくれた大事な…」
その大事な妹は今もなお継母の元にいる。気に入らないものがあるとそれに当たる女王様の元に。そして彼女をその継母の城に置いて来てしまったのは他ならぬボクだ。そして一度出て行ったボクを継母は絶対に家に入れない。彼女にとってはボクが、ボクだけが家族ではない邪魔者だったのだから。あの夜、どうにもならなくてボクは逃げた、一人だけ逃げた。その事実がボクを縛る、苦しめる。
「会えるよ」
声のする方を見た。河原さんが、こちらを凛とした目をして見ていた。
「白石君が諦めてどうするの?会うの!何日経っても、何か月経っても、何年経っても諦めずにいれば、きっと。白石君が諦めてどうするの?美琴ちゃんにとってはたった一人の兄妹なのに」
そうだ、ボクは美琴にとってはたった一人の兄なのだ。それでも、
「お母様がそんなことを許さないよ」
あの家では継母がルールだ。彼女が駄目だと言えば駄目なのだ。
「許す許さないじゃないよ。お兄ちゃんなんでしょ?妹が大事なんでしょ?なら、それなら…」
河原さんが小刻みに体を揺らす。
「諦めんじゃないわよバカー!!」
雨の公園に運動部で鍛えた河原さんの叫びが響く。雨で多少音量は抑えられたはずだが、それでも大きい声だった。公園の入り口を通り過ぎるサラリーマンが驚いた顔でこちらを向いた。
息切れをするように空気を吸い込む河原さん。ぽかんとした顔で彼女を見つめるボク、悠一、広瀬さん。そして今まで黙ったままだった姉さんが口を開いた。
「もう少しで、移動するようちゃう?」
スマホを慌てて点けると確かにそろそろ移動する時間だった。今から駅に向かえば余裕をもって登校できるだろう。
「あ、本当だ」
左手首を返すようにして腕時計を確認した広瀬さん。仕草が女性らしい。
「えっと、とにかく、移動!」
悠一の一言で五人そろって駅へ移動を始めた。姉さんはやれやれという顔をした後、
「きょうだい、か」
と呟いた。
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