五、面と向かう
六月四日日曜日。有紀ちゃんを家に泊めた翌朝、夜のうちに有紀ちゃんに何があったのかを聞いた私は、家に帰る有紀ちゃんに同行することにした。
「午後の方がええて。午前中に布団買いに行くとかなんとか」
有紀ちゃんの母親、晴香さんと電話をした有紀ちゃんはそう言った。布団。有紀ちゃんの弟さん、行人君と言っただろうか、彼のためのものだろう。有紀ちゃんの家は2LDK。三人で暮らすには少々手狭だ。行人君がいつまでいるか分からないが、もしかしたら近いうちに引っ越しでもするのかもしれない。
ゆう君、高宮悠一君にも連絡を入れると合流してくれるとの返事だった。昨日の一件をすぐそばで見ていたゆう君からすればその後は気になるだろうし、有紀ちゃんを探したのもゆう君だ。当事者の一人と数えてもいいだろう。
「ゆきちゃんまだいるの!?」
「そやで」
「やったー。あのねあのね!ゆきちゃんとやりたいことがあるの。あのね―」
私の十個下、現在五歳の妹、茉(ま)実(み)は滅多にないお泊り会が楽しかったようで昨日から終始テンションが高く、何をするにも有紀ちゃんにまとわりついている。一方で、不意に有紀ちゃんが不安そうな顔をしたときに「だいじょうぶ?」と声をかけに言っている。有紀ちゃんの心情を慮ってわざとハイテンションでいるのか、それとも実際に楽しいからなのかそれは分からない。だが確実に言えるのは茉実は有紀ちゃんが家に来てからこんな調子で、有紀ちゃんは有紀ちゃんでそのおかげで少し肩の力が抜けているような気がするのは事実だろう。
午前中は三人で遊び、お昼ご飯にラーメンを食べて有紀ちゃんと私は宮田家に向かった。茉実は「またきてね」と笑顔で見送っていたが、玄関の扉が閉まる間際に父に飛びついていたから、本当は寂しかったのかもしれない。
◇
ゆう君とも合流し、宮田家のベルを鳴らす。すぐに応えがあり、晴香さんが出てくれた。
招き入れられ、ソファを勧められる。が、二人掛けのソファではどう考えても足りないので晴香さんが恐らく有紀ちゃんの部屋と思われる部屋からキャスター付きの椅子を持ってきて有紀に座らせ、隣の部屋を開けて声をかけた。
「行人。皆来てくれたで」
中から現れたのは長身の男子。この人が行人君だろう。女性にしては高身長の晴香さんの高さを少し上乗せして男性にした感じだ。私達と同い年ということを考えるとここからさらに伸びるのだろう。髪色の茶髪が血のつながりを感じる。しかしいつでも自身に満ち溢れている様子の母娘とは異なり、とても不安そうな顔をしていた。
かく言う母娘の方も今は少し居心地が悪そうだ。家族に走った亀裂が手に取るようにわかる。行人君は自分でキャスター付きの椅子を持ってきてそこに収まった。ソファに座った私とゆう君や有紀ちゃんから距離を取るように壁近くに大きな体を小さくしていた。
何も言わないわけにもいかず、自己紹介から入ることにした。
「はじめまして、行人君。でいいんだよね?私は広瀬麻結です。ゆう君、そこにいる高宮悠一君と付き合って、います…」
付き合っている云々でこのタイミングで照れるのはおかしいのだが、それでも照れてしまう。少しボリュームが下がってしまったので元の大きさに戻して続きを言う。
「有紀ちゃんとゆう君と同じ中学校でした。高校も一緒なのだけれど有紀ちゃんとはコースが別です。ええと」
他に何を言うべきか頭の中を探る。
「正直、私もびっくりしているのだけれど、何か力になれることがあったら話してもらえると嬉しいです。…そんなとこかな」
行人君はこちらの様子を窺うようにしながら自己紹介を返してくれた。
「白石行人です、はじめまして…。えと、よろしく」
気まずい空気が流れる。有紀ちゃんは行人君と目を合わせようとしないし、行人君も行人君で口数が少ない。私も何を言っていいかわからずに固まっていると、ゆう君が助け舟を出してくれた。
「そういえば、行人はあっちの家ではどんなだったの?」
何気ない質問だったはずが行人君は固まる。そこから少し考えた後に口を開いた。
「実は―」
そこからの話は聞けば聞くほど怒りがふつふつと湧いてくるかのようだった。よそ様の家庭に口出しできる立場ではないけれど、行人君が自分の両親の真実を知ってからの継母の態度は外から見たら明らかに虐待だった。部屋を奪い、食事を取り上げて暴行を加える。公的機関に訴え出たら何らかの対応はなされるだろう。それでも行人君は「虐待」の二文字を口にしなかった。当事者からすれば、考え付かないものなのかもしれない。
ゆう君は自分の振った話題が良くなかったと思ったのか青ざめていた。有紀ちゃんも目を見開いている。立ったままの晴香さんは神妙な顔で話を聞いていた。
話し終えた行人君は周囲の反応に狼狽えていた。
「あ、あの…?いや、今はこっち来たからまあ、そんな顔をされるほどでは…」
「『そんな顔』するよ。その、なんて声をかけていいかわからないくらい」
独り言を言うように私は行人君に言った。
「怒っていいと思う。どこか、相談できる場所に訴え出れば何か動いてくれるとは思う」
「へ?」
まだ現状が見えていない行人君は混乱しているようだった。ゆう君が重ねて言う。
「オレもそう思う。行人が望むなら、だけど」
「ボクが…?」
しばらく考え込んでしまった行人君の様子を見ていると、有紀ちゃんがぼそりと言った。
「勝手にせェ」
有紀ちゃんはそのまま立ち上がって自室に入ってしまった。静まり切った室内に扉が閉ざされる音が嫌に響いた。
「姉、さん…」
行人君は愕然とした顔をした。姉に放置されたことが痛いのだろう。
しんとした居間で思い出したようにゆう君が鞄の中からA4の紙が何枚か入ったクリアファイルを取り出した。今日合流してからなぜ今日はリュックを使っているのかと思っていたが、これを折らずに運ぶためだったようだ。
「これ、行人に」
「ボクに?」
「笑い話に感じると思うけど、本当のことだから。それと、今はいろいろあって混乱していると思うから、落ち着いたら読んで」
行人君が遠慮気味に受け取る。私はゆう君の言葉で何が書かれているものかを察した。笑い話に感じる本当のこと。能力のことだろう。
有紀ちゃんの双子の弟ということは能力者の血筋にいることは確実だ。能力者になっているかはわからないが必要な情報だろう。
そこまで考えて気が付いた。いや、もう能力者になっているかもしれない。行人君が語った内容に、シャープペンシルを壊してしまい、継母に抗うことを躊躇した話があった。振ると出るシャープペンシルの中の金属の筒すらひしゃげる力。もともと握力が強い可能性もあるが、もしもそれが身体強化によるものだったとしたら。そして属性の違う能力者はお互いが近づくことを嫌う。行人君はゆう君と距離を取っていた。もしも無意識に近づきたくないと思っていたなら。そしてその感覚を昨日の時点でゆう君も感じていたなら、クリアファイルを今日持ってきたのにも意味がある気がする。
そこまで考え、不思議そうな顔をしている行人君と目が合った。曖昧に笑ってごまかす。
気が付いたら時刻は四時に迫ろうというところだった。長居するのも迷惑なので、私は晴香さんと行人君に断って帰ることにした。扉越しに有紀ちゃんにも声をかけたが応えはなかった。
◇
ゆう君と連れ立って外に出る。マンションを出たあたりで、
「あの紙、能力のこと?」
と話題を振った。
「そう」
端的な回答にやはりと思う。
「有紀に似た雰囲気があるんだよ。それで、オレに少し警戒してそうだった。決まりだろう」
「信じてくれるかな?」
「オレも最初は嘘だと思ったし、時間はかかるだろうな。有紀もあんな調子だし」
「…そうだね」
初対面から私たちに揺さぶりをかけ、私とゆう君が付き合うよう誘導しようとしていた有紀ちゃんは他人に対して興味関心が高いように思っていた。しかし今日の態度はまるで行人君を居ないもののように扱っていた。
明日は月曜日、学校だ。行人君のことも心配ではあるし、有紀ちゃんも心配だ。しかし、学校名を話してくれなかったからわからないが、おそらく別の学校の行人君と私たちとはコースが違う有紀ちゃんのフォローは難しい、というよりできないだろう。行人君のお隣さんとやらが気遣いのできる人だといいなと願いつつ、有紀ちゃんにはそういった人がいるだろうかとまた心配になる。
先のことを考えて一つ、しなければいけないことがあることに気が付いた。
「奈緒に、話した方がいいよね?」
「あ、そっか。そうだな。麻結、連絡頼んでいい?」
「分かった」
歩きスマホをするわけにはいかないので道の脇によけてメッセージアプリを開く。「有紀ちゃんに双子の弟がいたみたい。あとで詳細を話す時間をください」と打ち込む。珍しくすぐ既読が付かなかったので後でまた開くことにしよう。
ゆう君に家まで送ってもらい、別れた。二人のために、私にできることは何かあるだろうか。
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