四、白石家の異物 6

  ◇


 保健室に着いてから河原さんは養護教諭の森先生に手短に説明をして教室に戻っていった。ボクの方はと言うと体温を測りベッドに横になることになった。

 いくつか質問されてはいたが意識が朦朧としていて答えられたか自信が無い。いつの間にか眠っていたようで、気が付いた頃には昼休みになっていた。

「起きた?」

 森先生に声をかけられる。

「具合はどう?あまり良くないようなら、お家に連絡して迎えに来てもらうか、自力で帰れそうならそのまま早退かなと思うのだけれど…」

 森先生の言葉にボクはどきりとした。「お家に連絡」などされたらどんなことになるか分かったものではない。それに服の下を見られて大事になったら最後だ。

「だ、大丈夫です!」

「大丈夫そうに見えないから言っているのよ?ここのところ調子が良くなさそうだったって連れてきた子が言っていたしね?」

 河原さんは最近ボクの様子まで森先生に伝えていたらしい。気が回るのだろう。しかし、今は余計なお世話だ。

「まあ、細かいことまで聞かないけど、何かあるなら周りを頼るのよ?私でもいいし、担任の先生でもいいし、友達でもいいし、もちろん親御さんもね。さっき熱もあったし過呼吸気味だったから、精神的なもののような気がしてね。一応、下がったか確認しましょうか」

 森先生は体温計を持ってきてくれた。測ってみると微熱が出ていた。帰るか再度聞かれたけれど、無理を言って居させてもらった。六時間目の授業は何とか出て、いつも通りの時間に帰宅できた。早退などしたら何をされるか。


  ◇


 帰宅後、ボクはいつものように継母からの暴力と暴言に痛めつけられていた。反抗しようという気持ちは無理矢理押し込めたまま。ボクが手加減なしに本気で継母に手を上げたら彼女はどうなる?壊れてしまったシャーペンが脳裏に閃く。固いプラスチックや金属がああなったのだ。生身の人間ではいったいどうなる?

 気が済んだのか継母が足音を高らかに鳴らしながら去っていく。ボクはこの先のことを考えた。抵抗することもかなわぬままただただサンドバックにされるだけ。このままずっとそうなのだろうか。そんなのは嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。逃げたい。誰か助けて!そう願ったところで助けなど来ない。父と美琴が頑張ってくれているがそれでも状況は悪くなるばかり。いっそのこと消えてしまえればどんなにいいか。

 体力を保つために早く休むようにしていたのに今日に限って起こされた。こそりこそりと聞こえる声は父の声。

「行人、行人」

「とう、さん?」

「行人、すまない、すまなかった。父さんが下らない約束などしたばかりに」

「約束?」

 時計を横目で見ると現在二時六分。こんな深夜に何の話だろうか。無理やり起こされたため頭が朦朧とする。

「再婚するときに、麗華と約束したんだ。『行人が全てを知るまでは、本当の息子として接してほしい』と」

 眠気が飛んだ。

「僕は、それだけの時間を共に過ごせば、行人が知るころには親としての情が湧いているだろうと思っていた。だが、彼女はその約束を裏側から読んだのだろう。『行人が自分と血が繋がらないことを知れば、もう息子として扱わなくてもいい』と」

 つまり、継母は約束を忠実に守ったのだ。その上で「約束通り、もう行人は息子ではないということで良いね?」と逆に父の首を絞めたのだ。

「僕が、僕があんな約束をしなければよかった。だが後悔するのももう遅い。だから、今取りうる最善を行人に渡す」

 父は一枚の紙と封筒を僕に差し出した。封筒の方は形状的に紙幣のようだった。数枚の紙幣が中に入っている。紙の方には何かが父の字で書かれていた。常夜灯に照らされた廊下は暗い。目を凝らして読もうとするがその前に父の声に意識を向けた。

「ここに行人の母親と姉がいる二人の名前も書いておいた。美琴とも相談したがこれが一番行人にとって最善だろうと。僕たちと離れて顔も知らない家族に会いに行くのは辛いと思う。しかし、麗華にされるがままの行人をそのままにしておくことはできない」

 父は「結論を出すのは今すぐでなくてもいい」と言って自室に戻っていった。ボクは暗がりで読み辛い字を必死で読んだ。


  ◇


 翌日から、僕は少しずつ荷造りを始めた。といっても継母に気取られぬように、だ。しかしついにスマホを取り上げられてからはなりふり構っていられなくなった。

 スマホを持たぬ高校生は目立つだろうとそのままにしていたのかもしれないが、周囲に不審に思われていないのをいいことに、物まで取り上げ始めたのだ。ボクの方からすると情報を得る手段を取り上げられてしまったのは手痛い。住所や路線などを調べるツールが無くなりこれ以上何かを失う前に行動を起こすことにした。

 日付が変わって皆が寝静まったタイミングを見計らい最後の追い込み。普段から使っている詰襟や文房具類を押し込み、父と美琴へのメモを残してそっと外へ出た。

 駅に着き、駅の構内で始発を待つ。壁にもたれかかるように座り込み、荷物を抱えるようにして目を閉じる。半覚醒状態で体力を温存して始発に飛び乗った。

 まずは羽生市内に入るために羽生駅を目指す。学校の図書室やスマホで軽く調べた記憶を頼りに電車を乗り継いでいく。東京の高級住宅街である田園蝶社から神奈川県の西部までは時間がかかる。

 何度か乗り換えを間違え、時に戻り、また乗り過ごしながら、少しずつ、目的の駅へと近づいていった。途中途中で休憩を挟み、羽生駅に着いたのは十時前。車窓を叩く雨粒に不安を覚えていたら案の定。暗く淀んだ空から無数に落ちる雨。傘を開き、本屋を探す。運よく駅前に『散文堂』という本屋を発見した。開店は十時から。

 それまでの間に自力で近所の住所表示を頼りに歩いてみる。何度か現在地が分からなくなるたびに駅に戻り、歩いているうちに十時を過ぎた。近そうなことは分かるがたどり着けない。仕方なく本屋に入りこの辺りの地図を購入する。

 地図と紙をにらめっこしながら場所絵お把握しようとしていると同じ年くらいの男に声をかけられた。その彼が姉さんの友人で彼女の家を知っていたのは運が良かったと、思うけれど…。


  ◇


 荷造りをするときに一枚だけ持ち出した美琴との写真。美琴と次に会えるのはいつになるのか。そして、あの継母の元に残してきたことに今更のように申し訳なくなってくる。父と美琴はボクのためにここを教えた。でも二人はそのままだ。二人は今どうしているだろうか。決意を持って出てきたはずなのに、継母から逃げたはずなのに、父と美琴が恋しくてならない。

「弟なんて知らんわ!」

 姉の声が思い出される。ボクを否定する言葉。そして苦しそうなその顔。ボクはどこに居てもいらないものなのだろうか?

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