四、白石家の異物 4

  ◇


 夕食を抜かれた翌日、当たり前のように朝食はなかった。昨日の夜にお手伝いさんたちからもらったパンがまだあったためこっそり鞄に忍ばせて昨日と同じく早めに出発した。身支度を整えて廊下を歩いていると冴木さんにぶつかった。冴木さんはお手伝いさんの一人。そそっかしいのかよくドジを踏んでいるのをよく見ていたが、今日のはわざとだった。わざとだと気が付いたのは駅に着いてから。駅のホームのベンチでスクバの中のパンを出そうとするともう一つ、ラップに包まれたサンドイッチが入っている。サンドイッチと一緒に入っているメモ用紙には「お気をつけて」の一言と「冴木」の文字。ぶつかった時にスクバのチャックを少し開けてねじ込んだようだ。

 物語では良くあるシチュエーションなのかもしれないが、実際に実行しようとしてできる人間がいるとは思っていなかった。とはいえ、ボクが肩に掛けているスクバのチャックが正面から開けやすい位置だったことと、締め切らなかったことは偶然ではない。いつもチャックを閉めるときに慣習的にその位置になっているし、チャックをきっちり閉めることの方が稀だ。冴木さん個人が考えて実行したというよりも他の人も噛んでいそうだが今はありがたい限り。

 サンドイッチの方はお昼に回して、昨日のパンを齧った。少ししょっぱい気がした。


  ◇


 ボクの通う狩谷高校の昼食時間は自席で食べるのが決まりだ。噂ではかつてはどこで食べてもよかったが、立ち入り禁止の屋上に入ったり、いじめなどのトラブルが起こったとかで今の状態になったとかなんとか。昼食時間の終わりを告げるチャイムが鳴ったら晴れて昼休み。それまでは食べ終わっても席に居なくてはならない。そんな自由度皆無の昼食中、隣の河原さんから声をかけられた。

「珍しいね、サンドイッチ?」

「ああ、今日はたまたま…」

「ふうん?」

席替えがあってからしばらく経つ。河原さんはボクの昼食がいつもならお弁当であることを覚えていたのだろう。ちなみに彼女の「いつもの」もお弁当。但し、文化系の部活の女子生徒よりも一回り大きいそれで、さらに部活開始前におにぎりを食べるのだそう。運動する分、たくさん食べるのだろう。

 家のことを話したくなくて自分でも知らず知らずのうちに視線を逸らしてしまう。感じの悪いお隣さんで申し訳ない。心の中で誤る。彼女はそれ以上特に何も言わなかった。


  ◇


 家に帰ると、冴木さんの姿が無かった。四島さんを捕まえて聞くと辞めさせられたとの返答。

「なぜですか?」

「それを…聞かないでいただきたい、です」

 四島さんはそう言って行ってしまった。理由を言えない。「ボクには言えない」ならもしかしたら、朝のことが継母にばれたのかもしれない。まるで見せしめのように解雇させられた冴木さん。

 その日の夜、ボクの元には誰も来なかった。当たり前だ。急に職を失ったらたまったものではない。

 ご飯を抜くのがこんなに辛いものだとは思わなかった。ボクは体力を消耗しないためにも意識的に早く眠った。


  ◇


 翌日、手持ちのお金から安くて量の多いものを選んでコンビニでパンを買った。空腹を我慢してお昼ご飯。この時間は何か食べないと不審がられてしまう。

 メロンパンを味わって食べる。隣からの視線は気になるが、無視して食べた。しばらくは一日一食になるかもしれない。体力を消耗しないことだけ考えて学校を切り抜けた。


  ◇


 帰宅すると詰襟のままのボクの元に美琴がやってきた。小声で早口に言う。

「こちらを!お母様が帰られる前に!」

 ボクの右手に押し付けるように手渡されたのはお札。一万円札が数枚。驚いたボクは思わず突き返す。

「美琴!これは受け取れない」

 美琴は今度は制服のズボンに躊躇なく突っ込んだ。取り出そうとするボクの手を握って

「このままではお兄様が飢えてしまいます。どうか…受け取ってください」

と言った。美琴の意図を聞いたボクは抵抗することを止めた。妹に金銭的に頼らなくてはいけないとは情けない。情けないが確かにそのままでは手持ちのお金はすぐに底をつく。

「ありがとう。ごめんね、美琴…」

 美琴は首を振って去って行った。話し声が聞こえる。継母の声。間一髪だったらしい。しかし、美琴の危険な賭けのお陰でしばらくは何とかなりそうだ。そう思っていた。

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